謎の男
2話のつつぎ
「……逃げようとしないんだな」
不意に、男が言った。
ヴェルナは壁にもたれたまま、視線だけを向ける。
「逃げようとしても、逃さないんでしょ」
短い沈黙が落ちる。
「……一体、何が目的なの」
ようやく本題を切り出す。
男はわずかに間を置いてから、口を開いた。
「BLADEの人間って言えばわかるか」
(……やっぱり)
聞いたことがある。
人間の中に、ヴェイルに対抗できる者たちがいることは。
ただの対策部隊じゃない。BLADE
ヴェイルを狩るための人間だけで構成された、異常な組織。
そして、その上層は
(……お父様と、直接取引していた)
供給と制御。
共存の裏側を支える、もう一つの力。
だが。
(……おかしい)
目の前の男を見る。
背は高い。立ち姿も隙がない。
けれど。
(若すぎる)
どう見ても、同年代。
せいぜい、自分と変わらない。
対ヴェイル戦闘員は、熟練者が多いはずだ。
まして戦闘制圧ならなおさら。
「反応からして、ブレイドは知ってるみたいだな」
男が言う。
「……ええ、まぁ」
曖昧に返す。
「なら聞くが」
視線が、鋭くなる。
「なんでお前みたいなやつが、違法捕食なんてしている」
「……」
答えない。
答える理由もない。
男は気にした様子もなく続ける。
「違法捕食をするヴェイルには、大きく分けて二つある」
指を一本、立てる。
「一つ目。強い血に目がくらんで、道を外れた連中」
もう一本。
「二つ目。ヴェイル区から追放されて、手段を選べなくなったやつ」
そのまま、まっすぐに見てくる。
「お前は後者か?」
「……だったら何?」
少しだけ、棘を乗せて返す。
「ただ、珍しいと思っただけだ」
「……何が」
「違法捕食の大半は、成人した男のヴェイルだ」
事実を並べるように言う。
「お前は若い。しかも女だ。加えて、最低限以上の知識がある」
一歩、近づく。
「普通じゃない」
「……」
黙る。
否定も、肯定もしない。
男は小さく息を吐いた。
「まぁ。そんなことはどうでもいい」
興味を失ったように視線を逸らす。
(どうでもいい?)
一瞬、引っかかる。
でも、すぐに次の言葉が来る。
「お前、名前は」
「……」
言わない。
沈黙。
「これも言いたくないか」
男は少しだけ考えるように視線を上げた。
「なら、俺が…」
「……ヴェルナ」
遮るように、口を開く。
なぜか。
それだけは、嫌だった。
男は一瞬だけ目を細めた。
「ヴェルナか」
小さく繰り返す。
そして。
「……いい名前だな」
ぼそりと、聞き取れるかどうかの声で呟いた。
「?」
一瞬、意味が分からず視線を向ける。
だが男はもう表情を戻していた。
「ヴェルナ」
名前を呼ばれる。
「俺はブレイド特務執行課のレイだ」
「お前にはこれから、俺とヴェイル狩りをしてもらう」
「……は?」
一瞬、理解が遅れる。
「私に、同族を狩れって言うの?」
「同族?」
男はわずかに首を傾げた。
「違法行為をしている連中の肩を持つのか」
「……」
言葉に詰まる。
「それにヴェイルは本質を隠していれば、人間と見分けがつかない」
事実だ。
普段は、人間と変わらない姿をしている。
爪を出す。力を解放する。中には翼を生やすやつもいる。でもそれを見抜くのはむずかしい。
レイの視線が、わずかに鋭くなる。
「これは俺の推測だが…」
「ヴェイルなら、簡単に見分けがつくんじゃないのか」
ヴェルナは、わずかに目を細めた。
「仮にそうだとして、ブレイドの人間が、処分対象のヴェイルを連れていていいわけ?」
「バレたら、俺もお前もただじゃ済まないだろうな」
あっさりと言う。
まるで問題にしていない。
「……あなたに、私を生かすメリットがない」
はっきりと言う。
合理で考えれば、あり得ない判断。
なのに。
レイは一瞬だけ考え、
「……ただの気まぐれだ」
そう言った。
(嘘)
直感で分かる。
でも、それ以上は分からない。
そのとき。
レイの端末が、電子音を鳴らした。
通信。
レイは視線を落とし、短く応答する。
「……了解」
それだけ言って、通信を切る。
「俺はこれから仕事だ」
振り返りもせずに言う。
「まずは人間社会にでも慣れとけ」
「……え?」
一瞬、思考が止まる。
「ちょっと、待って」
呼び止める。
だが。レイは振り返らない。
そのまま部屋を出ていく。
ドアが閉まる音。
静寂。
「……何なの」
ぽつりと、呟く。
部屋に一人。
改めて、状況を確認する。
拘束は、もうない。
扉も、鍵はかかっていない。
「……逃げられるじゃない」
その気になれば、今すぐにでも。
なのに。
足は、動かなかった。
(……何なの、本当に)
理解できない。
あの男も。
この状況も。
そして。
ほんの少しだけ、気になっている自分も。




