第三章 幼き思い出、大人になってからの現実
ライラがまだリラと呼ばれていた幼い頃、第一王女として、初めてカイン国の城へ訪れていた。自国から出たことのないリラにとっては何もかもが見慣れない。
緊張していたリラが通された部屋には、歳が同じくらいの、ベッドに横たわったままの少年がいた。生気のない瞳で、ただ天井を見つめている。
「ルーシュ国のだいいいち王女、リ、リラともうします」
両手でスカートを軽く持ち上げ、つたないながらも挨拶をするリラ。
しかし返ってきたのはたった一言。
「第一王子の、デルフィだ」
たったそれだけ。
体を動かすことも無く、一瞬彼女を見るが、すぐ逃げるように天井へと視線を戻す。
「デルフィ、せめて体を起こして、ちゃんと挨拶をしなさい。お友達になってくれるリラ王女よ」
見かねたカイン国の女王の声にも、少年の態度は変わらない。
「友だちなんて、いらない」
つぶやかれた言葉は冷たく、どこか諦めているような声色。
「どうせ、ずっとベッドの中だし。つまんないから、ほか行ったほうがいい」
デルフィの突き放す言葉の奥に、ためらいがにじむ。すぐ体調が悪くなり迷惑をかけ、すぐ離れてしまう。ならば最初から、関わらない方がいい。
「わ、わたくし!」
それでもリラは口を開く。
「お話、するの大好きでしゅ」
そして盛大に噛む。
「あ、ですっ」
訂正しながら訴えるリラの姿は、嫌そうなでも、同情でもない。目を輝かせ、単純に友人が増えるという期待に満ちた表情だ。
「もしお体かわるくなったら、すぐしゅいい、いえ、じゅじい…こほん、主治医、を呼びに行きます!」
何度も間違えながらも、言葉を絞りだしさらに前のめりになった。
「それに、おやさしいデルフィさまと、お話がしたいです」
「はぁ?」
その言葉にデルフィは思わず体を起こし、初めてまともに彼女を見た。
ふわりと揺れる金髪と期待に満ちた青い瞳が、デルフィをとらえて離さない。
「…やさしい?」
まさかの言葉に怪訝な顔の少年。
「わがままのまちがいだろ」
「わがままじゃにゃいですっ」
即答で返されデルフィは怯み、また違った噛み方に周りの人間は吹き出しそうになる。
「お友だちが退屈しないか考えてくださるデルフィさまは、やさしいですっ」
その拙さに反して、偽りの無いまっすぐな声。語る思いに偽りがないのはこの場にいる誰もがわかる。
そしてリラの優しい発言に異議を唱えるものは、本人以外いなかった。
「へんなやつ、だな」
少し探りつつも、口元が思わず緩む。
「そっちこそ、やさしくてへんなやつだ」
「わたくし、へんじゃ、ないですぅ」
ふくれて反論するリラの顔に、デルフィは思わず吹き出す。
「にゃっ! なんで、笑うんですかっ」
「あははっ…にゃって、くっ、くくっ、ふふふっ」
「もうぅっ」
その様子にリラは唇をとがらせる。大人達は目を細めながら、静かにその光景を見守っていた。
「おかあさまっ、聞いていますか?」
「はいはい、聞いていますよ」
リリーの返事にリラは頬を膨らませる。確かに彼女の本から目を離さない態度は、真面目に聞こうとしているようには見えない。
「デルフィ様のことでしょう、ここに来てからずっとそれなんだから」
正直毎日のように話されるデルフィの様子は、リラの褒め言葉が八割を占めていた。
「そうなんですっ、わたくしが知らないことを沢山ごぞんじで、お話ししてくださる、しんけんなかおもとてもかっこよくてね、でも『たいくつじゃないか?』とか、わたくしを気づかってくださるんですー」
大体同じ内容の報告をされて、リリーがうんざりするのも無理はない。
「ふふっ、わたくし、明日もデルフィ様のおへやに行くんですっ」
しかしこんなに嬉しそうに話す娘を微笑ましくも思い、
「よかったわね」
と、優しく頭を撫でてあげるのであった。
ある日の朝、デルフィの部屋に様子を見にきた女王が、いたずらっ子のような笑顔を浮かべながら話しかける。
「あーあ、一ヶ月といわず、リラちゃんにはずっとこの城にいてほしいんだけど、ねぇ?」
「べつに、すぐかえっても、いい。一か月長いし」
同意を求める声に素っ気なく返すくせに、リラが来るのを今か今かと待ちわびているデルフィ。
「まぁ来たら話すけど、よく言葉をかむし、うるさいし、おせっかいだし、いつも笑っていて、目が離せないし」
ぶつぶつと文句を言っていたが、その内容はいつの間にか変わっていることに、本人は気がついていない。
舌っ足らずでも必死に話す姿は、女王から見てもけなげで好印象だ。
素直じゃない息子の姿に、母親としていたずら心が芽生えた。
「リラちゃんだったら、お嫁さんに来てくれてもいいのになぁ」
「はっ、はぁあ? お、お、お、おおおよめ、よめっ」
思った以上の反応に、女王らしからぬにやけ顔が収まらない。
「早いうちに婚約者としてもうしこんでぇ」
「何いって、ぼくは、そ、そんな、リラ王女、と、なんか」
『なんか』という割には、デルフィの顔は真っ赤だ。からかいすぎて体調が悪くならないかと心配になるが、ちょっと口元が緩んでいるあたり大丈夫そうだ。
「でも結局はリラちゃんの気持ち次第だから、他の人を選ぶかもぉ」
「え」
「アイビーとか、仲いいしね」
アイビーとはデルフィの世話係をしている5歳上の使用人だ。確かに仲良く話をしているところをデルフィも見かけている。
「だめっ!!」
「え、だめなの?」
「………だめじゃない、好きにすればいい」
かなり不服そうに撤回するデルフィだが、体調が悪いときのように沈んでいる。
女王は(やりすぎた)と、申し訳ない気持ちになり、いたずらはここで終了となった。
そんな和やかな日々に、突然病が襲いかかった。
朝から胸が苦しく、脂汗が止まらない。苦しむデルフィを見つけたのはリラで、急いで主治医を呼びに行く。
「デ、デルフィしゃまがっ、くるしみ、だしてぇ」
何度か噛みながらも必死に訴え、主治医がくる間にリラは、デルフィの側で必死に呪文を唱えていた。
「いたいのいたいの、飛んでいけっ」
親から教えて貰った魔法の呪文…ただの気休めだということは、リラ本人もわかっている。
「いたいのいたいの、飛んでいけっ、飛んでってよぉ」
わかっているが、唱えずにはいられなかった。苦しむデルフィに、何かしてあげたい。でもなにもしてあげられない事実に、幼いリラは自分の無力を思い知った。
「うっ、うぅ」
少しうめき声を上げて目を開くと、数人の大人が心配そうにデルフィを見守っている。体はだるいものの、体調が落ち着いていた。
「あ、れ、なんか、おも、い」
そんな中感じた違和感に体を起こすと、デルフィの手をしっかり掴んで、覆い被さりながら突っ伏しているリラの姿があった。
「あ…」
(ずっと側に、いてくれたんだ)
「デルフィ、気分はどうだ?」
いつもは仕事で忙しい父親である国王が優しく問いかける。
「はい、今はおちついております」
少し前まで寝ているはずなのに苦しくて、うなっていたのが嘘のようだった。国王は「そうか」とつぶやいてからほっとしたように微笑む。
「リラ王女がずっと看病してくれたんだ、今は疲れて寝てしまっているがな」
いわれてもう一度リラを見ると、頬に涙の痕が付いていた。無意識に空いている手で、痕を消すようになでると
「ふにゃっ」
と情けない声が漏れる。
その声に思わずクスリと笑い、一人の男として覚悟を決めたのだった。
「デルフィさま、たいちょうはいかがですか?」
「まぁ、ふつうだ」
もう2人が出会ってから一ヶ月、今日はリラが自国へと戻る日だ。部屋を訪ねたリラに、柔らかい笑みで素っ気なく答えるデルフィ。
今日はいつもと違いベッドではなく、立ってリラを迎える。服も部屋着ではなく外交用のガウンを着ている、その様子に少しどきりとしながら近づいた。
「今日まで、相手をしてくれてありがとう、ぼくはもう、大丈夫だ」
決して病気が治ったわけではないが、デルフィの言葉は安心できる。
「デルフィさま、わたくしこそ、たのしかったです、もう少し、お話、しゅたい…コホン、したいです」
どうも噛んでしまう癖はなかなか良くならないらしい。
「そうか」
そんなリラを笑う訳でもなく、優しくも少し緊張した面持ちになる。
「ぼくは必ずびょうきをなおす、今まであきらめていたけど、ぜったいあきらめない」
覚悟を決めたその表情は、病気に立ち向かう強い意志が、感じられる。
「わたくしも、とおくからデルフィさまのけんこうの、祈っております」
「ありがとう…ぼくは必ず、このびょうきを治すよ」
デルフィは言葉を止めて、深呼吸をした…そして、リラの前に片膝をつく。
「だから、将来、ぼくと結婚してくれないか」
「…え?」
「ぼくの、婚約者になってくれ、リラ」
突然の申し出、幼い年齢にしては大人びているデルフィが振り絞った精一杯の告白だ。全てを諦めかけて自暴自棄になっていたが、リラのおかげで前を向くことができた。そんな彼女と、将来一緒に生きていたいと思うことは、ごく自然なことだった。
「わたくしで、よければ」
リラもまた、不器用ながら優しいデルフィに思いを寄せていた。
その答えにリラの手をとり、手の甲にキスをする。こうして2人は恋をして、婚約者になったのだった。
大人になった今でも大切な思い出、叶えたい夢。
――だが、それはもう叶わない。
リラは事実上行方不明となり、この婚約は破談扱いになっているだろう。
ライラとして生きている彼女にとって、デルフィとの結婚は、もう、手が届かないものだった。




