第四章 卒業式の罠
毎日耐えて通った学園も、最後のその日を迎えた。
卒業式…ライラの苦しい日々から解き放たれる瞬間。
学園の大広間には、華やかな装いの人々が集っていた。色とりどりのドレス。金糸の刺繍。宝石の輝き。
今のライラが住む農村とはまるで違う、きらびやかな世界。
生徒の家族も来ているようだが、その中にユリの姿はない。悪女とののしられ、ライラに迷惑がかかると気にして来られなかったのだ。
ライラはというと、会場の端に立ち、いつものように目立たぬように視線を伏せていた。しかし、この時ばかりはそうもいかない。
「…首席、ライラ・ツリー」
その名が呼ばれた瞬間、会場中がざわめき、人々が注目する。そのほとんどが称賛ではない。疑念と、嫉妬と、嫌悪。
それでもライラは、静かに前へと進む。
(やっと、ここまで来た)
長い時間だった。耐えて、耐え抜いて……ようやく手にした場所。
証書を受け取り姿勢良く壇上から降りるライラ、すると入れ替わるように人影が二つ壇上へと上がった。
「本日、もう一つ発表がある」
声を上げたのは国王の側近であるアグロ。その声に顔を上げ振り向くと、そこには信じられない光景が広がっていた。
「第一王子デルフィ殿下と、マリー・ゴールド嬢の婚約をここに発表する」
ライラの世界が止まる。
――デルフィ殿下の婚約
その言葉が、ライラの中で何度も反響した。
(デルフィ様が…婚約?)
理解が、追いつかない。いや、本当はわかっている。自分以外の人間と婚約する可能性。
壇上の中央に立つのは、黒髪の青年、デルフィ。
当然記憶よりも成長し、たくましい姿ではあるが、その面影はしっかりと残っている。
そして、その隣に寄り添う小柄な少女。ふわりと波打つ金の髪。青い瞳を細め、無邪気な笑顔を浮かべる。
マリー・ゴールド。その姿は初めて見るのに、どこか懐かしい…彼女は“昔の自分”に似ていた。
(…違う)
胸の奥で、何かが強く否定する。自分以外との婚約を発表するなんて……わかっているけど、わかりたくない。
「おめでとうございます!」
「とっても、お似合いだわ」
祝福の声が、会場を満たしていく。確かにデルフィに寄り添うマリーは、凛々しく男らしいデルフィと、可愛らしく助けたくなるようなマリー・ゴールド。
一緒に幸せそうな笑顔を見て、誰も否定なんてできないだろう。
「…っ」
(……帰ろう、お母様の元へ)
ライラはあふれそうな何かを必死に耐えた。このまま自分を崩すわけにはいかなかった。
(大丈夫…)
何度も、自分に言い聞かせる。
(私は、もう…)
王女ではないのだから。
いつかこうなるのは分かりきっていた。
(私の、卒業という、役目は果たせた……これだけで、いい。これでお母様の役に立てる)
ライラが立ち去ろうとした、その時だった。
「皆様、もう一つ」
高らかな声が響く、声の主はマリーだった。くるりと振り返り、デルフィに向けて愛らしく首を傾げ、悲しそうな顔をする。
「実はぁ…わたくし、ずっと困っていたことがありましてぇ」
初めて聞くマリーの声は、噛むほどではないが舌足らずだ。可愛らしいが少しわざとらしい。
場の視線が、一斉に彼女へと集まる。
「この学園にぃ、わたくしをいじめていた方がいるのですぅ」
ざわり、と空気が揺れた。
ライラは訳もわからず、呆然とその光景を見ていたのだが。
「…ライラ・ツリーさん」
名前を呼ばれた瞬間、すべての視線が、ライラへと突き刺さった。
「…え?」
まるで関係ないと思っていた為驚く、何故ならライラがマリー・ゴールドを知ったのは今日が初めてだからだ。
どこの誰だかもわからず、彼女がどこの家の者かもわからない。デルフィの婚約者という情報のみ。
「私はこの者を初めて見たが、何か接点があったのか?」
ライラにとってちくりと刺さる言葉だが、確かに疑問は残る。
しかし彼女は続けて口を開く。
「最初はすれ違う程度だったのですが、なぜか急に呼び止められまして……」
その言葉に、ライラはいくら考えても、マリーの面影すら思い出せない。
「あの、人違いでは、ないでしょうか。私は今日初めて、マリーさんを見かけたので」
「ひっどぉい、証言もあるんですよぉ」
今度は全員にいうように振り向き、ライラと目があったマリーが微笑む。
その笑顔は、どこまでも無垢で――だからこそ、残酷だった。
「彼女は、私に嫉妬して、何度も嫌がらせを」
「私たち、現場を見ました!」
次々と上がる声、見覚えのある顔。証言をしたのは、日々、彼女を嘲笑っていた4人の貴族の娘たち。
「わざとぶつかって、昼食を床に落としたり」
「上から水をかけていたところを、見たこともあります」
どの発言も彼女たちがライラにしたいじめだ。
毎日のようにあったいじめは、多くの生徒が見ているはずだが、ライラをかばう証言は一切でない。
(…あぁ、見たことある)
この光景はよく似ていた、母が貶められた光景に。
(私も、仕組まれたんだ)
この先の展開は知っている。自分の無実を証明できず、弁明の余地もない。
「…違います」
それでも、声を出した。かすれる声で。黙って受け入れる訳にはいかなかった。
「私は、マリーさんと会うのも、初めて――」
「やめておけ」
必死に出したライラの声を、低い声が、遮った――デルフィだ。
「…見苦しいな」
その一言が、刃のように胸を貫く。
「デルフィ様……」
アグロが耳打ちをする、僅かに漏れ聞こえる内容から、ライラが悪女の娘という噂を、伝えている要だった。
「なるほど……」
そう呟いてから大広間全体を見渡す、マリーを虐めたという発言以外は出てきそうにない。
「証言がある以上、言い逃れはできない」
冷たい眼差し。かつて、自分に向けられていたはずの優しさはそこにはなかった。
「こんな悪事を働く女を、卒業させるわけにはいかない…アグロ」
「かしこまりました」
ショックを受けているライラをよそに、残酷な処分が下る。
「ライラ・ツリー、あなたの卒業は取り消し、退学の処分を下します」
(あぁ…終わったんだ)
ライラは悟った。
(なんとか手に入れた卒業、やっと母親を幸せにできると思ったのに…)
スミカやファムス家に恩返しできると思ったのに。
(卒業すらできない、デルフィ様にも嫌われた)
本当はずっと、どこかで期待していた。同じ学園にいたら。もしかしたら、気づいてくれるかもしれないと。もしかしたら、結婚という約束を果たせるかもしれないと。
だけどもういない。デルフィと婚約を誓いあった【リラ王女】はもうどこにもいない。
ライラは無表情に、涙だけ流れていた。
悪い意味で注目を浴び、クスクスと笑われ続けている。
その時スッ、と。
誰かが、隣に立った。
「失礼いたします」
低く落ち着いた声。
視線を向けると、そこには一人の青年がいた。短く整えられた髪。鍛えられた体。
ライラは彼を知っていた。
王子の護衛 アイビー。かつて王子の世話係として出会ったことのある騎士。
「この者は、場を乱しました。こちらで対処いたします」
アイビーから発せられる厳しい声音、彼もまた秩序を守る為にライラを厳しく見据える。ざわめきの中、彼は自然な動作でライラの腕を取った。
「…っ」
一瞬、体が強張る。彼は強引にライラを引き寄せて。
小さく囁いた。
「第一王女」
その声に、ライラの息が止まる。
「この場は、俺に任せてください」
その一言で、こわばる体が一気に解ける。
(私のこと、わかるの?)
胸が、熱くなる。やっと、自分が【リラ王女】だと認識された。
だから。
ライラは、ただ一つだけ。震える声で、問いかけた。
「デルフィ王子の、病気は……」
――治りましたか?
その続きを言わなくても、アイビーは理解し、そして驚いたように表情が揺れる。
そして優しく微笑み、答えた。
「…完治しております」
その言葉を聞いた瞬間。張り詰めていた何かが、ほどけた。
「よかった」
この最悪な状況でも、ライラに唯一救われた事実。
「よかったぁ」
ライラは、涙を流しながら笑った。あの幼き日と同じように。
ふと壇上を見れば、にんまりと笑うマリーの横で、冷たく見ていたデルフィの表情が揺れていた。
確かに断罪中に笑うなんて、正気の沙汰ではないだろう。
(ますます不審に思われたのかも)
「さっさと歩け!」
すぐに厳しい顔になったアイビーの言葉に、ライラは歩き始めた。振り返ることなく、この会場を、後にした。
壇上では去っていった悪女の背中を見つめ、マリーが怪しく微笑む。
(あなたはもう、退場よ)
心の中で呟き、アグロの方をチラリとみると、彼は頷き手下に何かを命じている。
一方デルフィも、去り行くライラの背中を見つめていた。
胸の奥に、ひどく懐かしい感覚が残る。
『デルフィしゃまぁ……よかったぁ……』
涙と笑顔、幼き日の思い出が蘇る。
「…リラ」
思わず口に出る少女の名前。その名に、マリーは微笑みながら答えた。
「はぁい、デルフィ様、お呼びになりましたぁ?」




