第二章 将来を約束された学び舎は、少女の試練と変貌する
カイン国の学園は町の中心にある。立派な正門をくぐると、灰白の石煉瓦が精巧に積み上げられ、大いなる学び舎が鎮座している。
花壇には様々な花が咲き、整えられた庭園と噴水の水音。王族、貴族、聖職者、そして富裕層、選ばれた者たちだけの学び舎。
だが、ごく稀に例外がある。
その例外であるライラは迷うこと無く正門をくぐり校舎へと歩き出す。
「まだやめてないみたい」
冷たい声が、背後から突き刺さった。
「こんな場違いな場所にいて、よく恥ずかしくないわね」
どんなに馬鹿にされようと、ライラは振り返らない。こんな扱いはもう慣れっこだ。
「母親があんなことしておいて」
「本当よね」
くすくすと笑う声、悪意のある言葉たち。ライラの入学は“特例”だった。優秀な成績があれば、わずかな支援金で通うことができる。ライラが王女リラとして身につけた知識と所作は学園に入学するには十分だった。
しかし今は庶民、しかも母親は悪女と噂されており、それが気に入らない者は多い。
(何を言われようがここを卒業すれば、それだけでいい)
ライラにとって、今の目標はそれだけだった。
『私も入学してたら、いじめから守るのに』
パンのお礼にと野菜スープを渡したとき、スミカがそう言ってくれたことを、ライラは思い出す。
『ありがとう、でもそれじゃあスミカちゃんに迷惑かけちゃうから』
『迷惑とかあるわけないでしょ』
まっすぐな瞳に、嘘はない。
『ライラちゃんは優しくて、真面目で努力家なこと、私が一番知ってるんだから。
それに私、勉強苦手だし、学園よりライラちゃんに教えてもらう方がわかりやすいし』
『そうかな』
『そうだよ! ……まあ、学園通ってないからわかんないけど』
そう言って、お茶目に笑った。
スミカは少し前まで、この学園に通うはずだった。だが――
『まさか私が能力者だったなんてね』
この世界には能力を持って生まれてきた人間がいる。
『視察に国王の側近であるアグロ様が来られたときは、心臓が飛び出るかと思ったわよ』
『能力者は貴重だから』
スミカの能力は土や草木の状態を感じ取る力。それは農家にとって、あまりにも有用すぎる力だった。
見知らぬ少女にその力を告げられ、半信半疑で試した結果、畑は見違えるほど豊かになる。
今では国にも認められ、スミカの家は一気に繁盛した。
だからこそ、彼女は学園ではなく家を選んだのだ。
『そばにいられないし、愚痴を聞くことくらいしかできないけど……何かあったら、いつでも言って!』
『スミカちゃん……ありがとう』
スミカとの何気ない会話、癒しの時間があるから、ライラは学園生活を耐えられる。
ガシャン、と乾いた音を立てて床に食器が落ちる、ライラが食べるはずだった昼食は、その原型をとどめていなかった。
「いたっ、もう、邪魔よ!」
「あー、ご飯ぶちまけちゃって、ちゃんと掃除しなさい」
そう騒ぐのは貴族の娘達、わざとぶつかってきたのは明らかだが、彼女たちを咎める人間は誰もいない。
目に入ったのは、唯一の友人が育てた野菜が無様に散らばる光景だった。
カッと頭に血が上り、ぶつかってきた貴族を睨みつける。
「何よ、悪女の母親にでも頼んで、私を呪うつもり?」
「もしかしたら娘も、呪い使えるんじゃない?」
(悔しい……けど、ここで騒ぎを起こした方が、この人達の思うつぼよ。
でも……スミカちゃんの野菜まで……)
頭の中で葛藤するが、ライラにとって大事な事は、この学園を卒業して、母親を幸せにすること。
(これはただの日常……落ち着いて)
嫌がらせは、今日に始まったことじゃない。
いつも決まって、二、三人、多いときで四人の貴族たちが絡んでくる。
二階から水をかけられたことだってある。幸い学校が終わったあとだったためそのまま帰ったが、母親の心配そうな顔に、いたたまれなくなった。
今日も当然のように助けてくれる人はおらず、ライラは一人で耐える日々。目立たないように長い髪で顔を隠して、彼女は常に俯いている。それが尚更貴族達をつけあがらせているのかもしれない。
(スミカちゃん、ご飯をだめにしてごめんなさい)
ぐっと耐えてやり過ごすしかない。
応援してくれる友人と、自分の為に必死に働いている母の為に、ライラはしがみつくようにこの学園に通う。
この学園を卒業すれば未来は開ける、その力がこの学園にはあった。仕事も、身分も。
(お母様を守れるようにもなる)
泥や肥料まみれで仕事をしながら、この学園に入れてくれた母親、噂なんて気にならないほど幸せにしてあげたい。
それに――
「おい、あんた」
ぶっきらぼうに呼ばれて顔を上げると、厨房にいるはずの女性シェフが、仁王立ちしている。
側のテーブルには、新しい食事が置かれていた。
「これ食べな、たまたまいらしていたデルフィ様が気づかれてね」
「っ!!」
不機嫌そうな物言いだが、ライラの片付けを代わり「さっさと食べな」と促してくれる。
「勘違いするんじゃないよ、ただの偶然。誰にでもお優しいお方なんだから」
「……はい、わかっております」
食堂の隣には、侯爵以上の階級が食事をする部屋がある。ライラがいたところは遠いため、人の認識は出来ないものの、誰かが食事を落としてしまったことはわかったらしい。
「ありがとうございます」
お礼を呟き食事を頂く。
(デルフィ様…)
嬉しいけれど切ない、ライラには特別な思いが押し寄せていた。
ライラが思い出すのは幼き頃に出会った、黒髪に黒い瞳を持つ少年。カイン国の第一王子 デルフィ。
王族のため姓はなく、入学式に見かけた姿は――『デルフィ様』と男女問わず色めき立つほど、スラッとしたスタイルを持つ青年へと成長していた。
(同級生としてこの学校に通えるなんて)
当然上級階級が学ぶクラスにいるため、ライラと出会うことはないものの、同じ空間にいられるだけで十分。
ライラとして生きた瞬間からもう届かない想い。だけど抑えようとしても消えることなく、静かに燻り続けている。
幼い頃に出会った王子との淡い恋心、諦めるには――まだ、早すぎた。




