~暗黒の魔女~ 二章・オットー様の覚悟 「29.スノーハーム」
シャロンが予告した、オーベルク襲撃の日は刻々と近づいてきています、いよいよオリバーたちの訓練も大詰めです。
オリバー、イザベル、モニカ、そしてローズは今日もミニエー家のお屋敷で魔術の訓練をしていました。オリバーは別室でローズの訓練をしていましたが、休憩を兼ねてモニカの魔術の様子を見に来ました。
ローズの背後にアンドレアスがとりついているということもあって、モニカは不機嫌なような、おびえているような、何とも言えないような表情をしていました。ローズは少し肩をすくめました。
「気にしないで、モニカ…。モニカがいる前ではアンドレアスを召喚するつもりはない…。」
「そ、そういう問題じゃありません!魔神は召喚しなくとも人の心に直接話しかけることができるときいています。つまり、今この瞬間も私たちを監視しているのかと思うと…、」
「ふむ、例えばこのようにか?しかし監視とは人聞きの悪いことだ。見守っている、とでも言ってもらいたいものだな。」
オリバーたちの心の中でアンドレアスの声が聞こえました。モニカの顔が真っ青になりました。
「ロ、ローズさん!気分は悪くありませんか!?体が痛くはありませんか!?魔神に魂を乗っ取られて、」
「そろそろアンドレアス、と名前で呼んでもらいたいものだ。この者のことは心配する必要はない。それよりもそなたの術の方を心配した方がいいだろう。」
モニカは真っ青だった顔を一気に真っ赤にしました。
「あ、あなたが近くにいると思うと集中できなくて…。」
「私の存在よりも、そなたの経験不足が原因だろう。だが確実に上達はしているようだな。もう一頑張りだ。」
「あっ、あなたにいわれなくてもっ!」
オリバーとイザベルは大笑いしています。ローズも笑いをこらえながら、アンドレアスに言いました。
「アンドレアス…。いたずらはいけない…。」
「悪意はなかったのだが…、仕方がない、私は引き下がるとしよう。」
そう言ったきり、オリバーたちの心の中の声はしなくなりました。
「もう…許せない…。」
モニカは床に座り込んでしまいました。アンドレアスにからかわれたこともありますが、それまでの間ずっと魔術の訓練をしていたのです。
「リバイバル!」
イザベルがすかさず緊急回復術を唱えると、モニカはすぐに立ち上がりました。
「それにしても、イザベルの緊急回復術はものすごいなぁ。あれだけ魔力を使ってもすぐに復活するんだから。」
オリバーは感心したように言いました。
「ある程度の大きな怪我でもすぐに治すことができます。腕がなくなったくらいなら再生させることもできると思いますよ。」
「ははっ、だとしてもそんなにひどい怪我はしたくないもんだな。」
オリバーが苦笑いした瞬間、辺りの空気が凍りつき始めました。モニカが部屋の中に氷の壁を作り上げたのです。
「ここまではすんなりとできるようになったんですけどね…。」
イザベルが困ったような笑みを浮かべて言いました。モニカは得意げに氷の壁を消すと、次の段階に移行しようとしました。
「うんっ!うーんっ!」
モニカは顔を真っ赤にしてうなりました。すると何か青白く光るものがモニカのこめかみのあたりから出てきました。
「おお!魔力を取り出せるようになってきたのか!」
オリバーは感激したようにモニカを見ました。自分にはできないことをずっと若いモニカができているので、興味津々です。しかし、次の瞬間でした。
「…あっ、いけません。早くこの部屋から脱出しましょう!」
イザベルが叫びましたが、もう手遅れでした。モニカのこめかみから出てきた青白いものは急激に膨張し、爆発しました。埃が消えると、ボロボロになった四人がそこに立っていました。
「ま、またっ、失敗っ、してしまいましたっ…。」
モニカはぱたりと倒れてしまいました。イザベルが駆け寄りました。
「…大丈夫、脱力してしまっただけのようです。とはいえ、私も魔力を消耗していますから緊急回復術は使ってあげられません。気を取り戻すまで待ってあげなければなりませんね。」
イザベルはまた困ったような笑顔で言いました。
「一応、惜しいところまではできているようだな。俺じゃあの段階までもできないよ。」
オリバーが感心したように言いました。
「ええ、同感です。…ところでオリバーさん、モニカさんの氷の壁のように、オリバーさんも呪いの壁を作ってみた、とローズさんから聞いたんですが…。」
「ああ、やってみたよ。思いのほかうまくいったよ。ただ、壁が真っ黒になるから、昼間にあれをやるとあからさまに目立ってしまうな。夜だと敵が気づかないで突っ込んでくる可能性もあるが…。」
「やはりそうなりましたか…。私も毒の壁を作り上げてみたのですが…、オリバーさんと同じような結果になりました。これらの壁は時と場合をしっかりと見極めなければなりませんね。」
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一方その頃、森の中では他の仲間たちが訓練を続けていました。ハンスとの試合を終えたパトリックがヘルガとともに他の訓練の様子を見回っています。
「ほう…、ロジェもいい動きをするようになったね。」
パトリックが感心したように言いました。
「ええ、初めのころと比べると、見違えるようになったわ。」
ヘルガも満足そうです。
「…なあ、二人ともよぅ。この光景を見て何とも思わないのか?」
マチルドが呆れたように言いました。
「ぎゃああああああっ!」
ロジェがアリスに突き飛ばされ、思わず悲鳴をあげました。
「相変わらず動きがぬるいな、ロジェ。」
アリスがロジェを見下して言います。
「シャロンがここへやってくるまでもう猶予はないのだ。貴様の訓練もより厳しくしなければならぬ。さあ、立つのだ!」
ロジェは倒れこんだままアリスを睨みつけていましたが、やがてよろよろと立ち上がりました。
「ふむ、悪くない目だ。さあ、もう一度来るのだ!」
「うおおおおおっ!」
ロジェはまた槍を構えると、アリスに突撃しました。しかし、アリスはサッと身をかわすと、やはりロジェを組みふせてしまいました。
「なあ、ヘルガ、あれ見て何とも思わないのかよぅ。」
マチルドがヘルガにたずねました。
「フランツ殿の訓練に比べたら全然よ。あの方は『いざという時においては性別も身分も関係ない。弱い者が死ぬ』とおっしゃっていたの。だから訓練の時だけは私にいっさい容赦しなかったのよ。お陰でギル大臣の謀反の時には私は捕らえに来た兵隊と戦うことができたから殺されずに済んだの。」
「うへえっ、オットー様がそんなことを…。ん?でも待てよ?あたいも親分に山賊のやりかたを仕込まれた時は確かにこんなもんじゃなかったぜ?それを考えたらこんなことはたいしたことじゃないのかもな。」
「そうよ。あなたと私、状況は違えど、死線をくぐりぬけてきたことに間違いはないわ。だったら、彼も今後そういう体験をするのならば厳しい訓練を積まずにいったいどうするというの?」
「そっかぁ、そうだよなぁ。よーし!アリスいいぞー!もっとやっちまえー!」
「むー…。結局ロジェの肩を持っているのはあたしたちだけになっちゃったね…。」
ビアンカが頬を膨らませてラルフに言いました。
「ああ…、ロジェくんがまるで泥だんごのように…。」
ラルフはもうまともにラルフを見ることができません。一方エミリーはすまし顔です。
「仲間たちの足手まといにならないためにはこのくらいのことは必要です。当然のことなのです。
…そうそう、ビアンカさん、パトリックさんがハンスとペーターの試合の審判をやってほしいと言っていましたよ。」
「え?あ、うん。でも…パトリックがそのままやればいいのに。」
「ビアンカさんの審判が一番公正で、それに試合の決着がついたところを的確に見極めて試合をやめさせることができるから信頼できる、と言っていましたよ。」
「そ、そうなの?えへへ、そんなに言われちゃったらやらないわけにはいかないなー。ちょっと行ってきますか!」
ビアンカは意気揚々と広場の真ん中の方に歩いて行きました。
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やがて日が少しずつ傾いてきました。その日の訓練も一段落ついたようです。パトリックがみんなに声をかけました。
「さて、今日の訓練はここまでとしよう。ヨウフェイはレオンに指摘されたところをしっかりと改善できたようだね。」
「バカだと思ってたのにこんなに的確に教えてくれるとは思わなかったネ。」
「言ってろ言ってろ。」
レオンも最近はヨウフェイの軽口に慣れてきたようです。
「吾れらはもう少しこの森に残り、食料の調達をしてから戻る。先に皆を連れて戻っているのだ。」
アリスがビアンカに言いました。
「そんなこと言って、狩りを楽しみたいだけでしょ?」
ビアンカは笑いました。アリスもつられて笑いました。
「うむ、まあ否定はできぬな。…そうだ、ビアンカ。ロジェは今日は特にへばっている。しっかりと付き添ってやってほしい。」
「え?あ、うん。」
(一応心配はしてるんだね…)
ビアンカとレオンを先頭に、仲間たちは宿へと歩き始めました。残ったのはパトリック、アリス、エミリー、そしてヘルガです。
「さあ、狩りに行こうではないか。」
アリスが言うと、途端にヘルガは顔を明るくしました。
「まあ、楽しみだわ!早く行きましょう!」
「まあまあ、落ち着くんだ、ヘルガ。…狩りの場所だが、目星は付けているのかい?」
パトリックがたずねると、エミリーが答えました。
「この先に小川が流れています。その辺りで大物のシカを何度も仕留めています。今もそこへ行ってみようかと思います。」
「わかったよ。正直、私も楽しみで仕方がない。さあ、行こう!」
四人はそれぞれの愛馬にまたがると、森の中へと馬を走らせました。
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四人はやがて、そこそこの大きさのシカを見つけ、追いかけ始めました。パトリックもヘルガも狩りに慣れているわけではないので、アリスとエミリーがシカの逃げる方向をうまくコントロールし、二人が狙いやすいようにしています。やがてシカに疲れの色が見え、動きも鈍くなってきました。
「今だ!射るのだ!」
アリスの大声に、パトリックとヘルガが矢を放ちました。パトリックが放った矢は大きくそれて木に当たりましたが、ヘルガが放った矢は的確にシカの急所をとらえました。シカは苦しそうにうめきましたが、やがてパッタリと動かなくなりました。アリスとエミリーは大喜びです。
「すごい!ヘルガさん!お上手ですよ!」
「うむ、大したものだ。」
一方、パトリックは苦笑いしています。
「昔から弓矢の扱いは苦手だったのだけれど…、ここまでひどいとはね。」
「大丈夫ですよ、パトリックさん。矢を射る時の姿勢は基本通りでとてもきれいでした。何度かやれば必ず上達しますよ。」
「ありがとう、エミリー。でも気分がスカッとしたよ。また誘ってほしいね。」
「ええ、私もまたぜひ誘ってほしいわ。」
パトリックとヘルガの言葉に、アリスとエミリーは大喜びです。
「では次の狩りの時も一緒に行こうではないか。シャロンの襲撃までに、もう二、三度は狩りに行く機会があろう。」
アリスはそう言ってふと顔をあげました。すると、木々の間から白い壁が見え隠れしていることに気づきました。
「む…?あれは何だ?」
「どうしたのですか、お姉さま。」
「あそこに壁のようなものが見えぬか?」
「壁…?ええ、確かに見えます。」
「こんな森の中に…、ちょっと行ってみようか。」
パトリックが言うと、他の三人も頷き、シカをしっかりとカトリーヌにくくりつけ、歩みを進めました。
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三人が歩いて行くと突然視界が開け、広場に出ました。その広場の中心に大きな白い壁のお屋敷が建っています。すると、ヘルガが思い出したように言いました。
「思い出したわ…。私、小さな頃にここに来たことがあるわ。ここはミニエー家のお屋敷、ローズの家よ。」
「ああ、なるほど。オリバーたちが魔術の訓練をしているところだね。」
パトリックが納得したように頷きました。中からはバタバタと物音が聞こえてきます。
「訓練はまだ続いているようだ。終わるまで待って、オリバーたちと一緒に戻ろうではないか。」
アリスが言った瞬間、異変が起こりました。建物の二階の窓の一つが開いたかと思うと、何か青白い光のようなものがそこから出てきたのです。パトリックたちは驚いてそれをながめていました。
やがてその青白いものは建物の屋根の上に広がりました。その時、建物の中からモニカの声が聞こえてきました。
「アイスドゥーム!」
すると、屋根の上にあった青白いものが一瞬で凍りつきました。立て続けにモニカの声が聞こえてきました。
「スノーハーム!」
何事かとパトリックたちが顔を見合わせた瞬間でした。屋根の上凍りついたものから無数の雪の粒がパトリックたちめがけて襲って来たのです。
「うわっ!」
馬たちは危険を感じ、いち早く森の中へと駆け込みました。パトリックたちもそれを追いかけようとしましたが、それよりも先に足もとが凍りついて動けなくなってしまいました。
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建物の中では思わずモニカがイザベルに抱きついていました。
「やったぁーっ!やりました、イザベルさん!」
「おめでとうございます、モニカさん。本当に、本当によくやりました。」
イザベルも嬉しそうです。オリバーとローズはそれを少し離れたところで見ていました。
「すごい…。ついにできた…。」
ローズも感心しているようです。すると、オリバーの心にアンドレアスが語りかけてきました。
「どうやら成功したようだな。」
オリバーはモニカたちに聞こえないような小さな声で言いました。
「ありがとう、アンドレアス。君の助言のおかげだよ。」
アンドレアスはオリバーにこっそりモニカのための助言をしていたのでした。
「あの者は気を張りすぎていた。それでは成功する術も成功はしまい。まずは気持ちを落ち着かせ、心を安定させることが重要なのだ。
…おっと、あの者がこちらへ来るようだ。私は一度退散することにしよう。」
アンドレアスの声が聞こえなくなると同時に、モニカがパタパタとこちらへ駆け寄ってきました。
「ありがとうございます、オリバーさん!オリバーさんに言われた通り、パトリックさんのことを思い浮かべながらやったら成功しました!」
「ははは、そりゃあよかったな…。」
(俺は単に、気持ちが落ち着くような光景を想像しながらやってみろと言っただけなんだけどなぁ…)
「ともかく、今日はもう休んだ方がいいですね。時間も遅いですし、戻ってゆっくり休み、明日に備えましょう。」
「そうだな、イザベル。今日はローズも一段階上の呪いの魔術を完璧にこなせるようになったんだ。明日からも楽しみだな。」
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四人はお屋敷の外に出てきました。お屋敷の周りは一面雪に覆われています。と、その時、お屋敷の裏の方から弱々しいうめき声が聞こえてきました。
「助けてくれーっ…。」
モニカはその声を聞いた瞬間、顔が真っ青になりました。
「あれはパトリックさんの声!」
四人は大慌てで建物の裏へと歩いて行きました。
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建物の裏ではパトリック、アリス、エミリー、ヘルガが膝から下を氷漬けにされてたたずんでいました。彼らの愛馬が悲しそうにうろうろと歩きまわっています。その様子を見て、オリバーは思わず笑ってしまいました。
イザベルが四人の足元の氷を融かしている間、オリバーは建物の中であったことを四人に話しました。
「ほう、それはすごいね。きっとシャロンの度肝を抜くことだろう。」
パトリックが寒そうに震えながら、しかし嬉しそうに言いました。
「すまなかったな。さあ、みんなで宿に戻ろう。そして暖かいスープでも飲みたいもんだな。」
オリバーは仲間たちの先頭に立って宿への道を歩き始めました。
一番苦労していたモニカも、ついに自分で編み出した氷の魔術を身につけたようです。あとはシャロンの襲撃に備えるだけです。
次話では決戦の前日のオリバーたちの様子を描きます。戦いを前にしたオリバーたちを見て、オットー様もある決意をするようですが…?どうぞお楽しみに!
ちなみにアリスたちはこの後二回狩りに出かけます。弓矢の扱いが苦手という、思わぬ欠点を見せたパトリックですが、基本には忠実だったので、最後の狩りでは彼が獲物にとどめをさすことができました。
では次話をお楽しみに!




