87 第5章第6話 珠子にとっては謎のボール
「えっと……タマ子? あのね、ツッパリっていうのは、お相撲の技じゃなくて……ああ~もう、どうでもいいわ! タマ子の投げるボールは、『ツッパリボール』よ! 覚えるのはそれだけでいいわ! 名前の由来なんかは、どうでもいいから! ね、分かった!」
「は、はい!……(なんか、テツ子さん、ご機嫌斜めね……あたしの魔球に嫉妬してるのかしら? ……まさかね、テツ子さんなんか、もっといっぱい魔球を投げられるのになあ~)」
珠子は、もう変化球をすべて魔球だと思っているようだった。
「あ、えっとだな……タマ子ちゃんのツッパリボールは、特殊なんだ。モーションも、ボールの軌跡も、まったくジャイロボールと同じだから、バッターにはその変化を見極める時間はないんだよ」
「投げられるボールが2種類に増えたタマ子には、武器が一つ増えたってことね」
「いや、1つどころじゃないぞ! タマ子ちゃんは、サインも交換できるようになったんだ。つまり、多様なコースの投げ分けができるんだ。バッターは、一か八かの勘だけじゃ、絶対にバットをボールに当ててヒットになんかできっこないさ!」
「……………」
多澤は、もうこれで珠子は万全だとでも言うように、嬉しそうに話しているが、なぜか徹子は、黙ってじっと何かを考えているようだった。
「あの~テツ子さん? ……お腹……空きました?」
「え? お腹?」
急に徹子はそんなことを言われて、驚いて顔を上げて、珠子を見た。
「えっと……もう、お昼……過ぎました。だから、テツ子さんはお腹減ったのかなあ~と思って……」
「あははははははは…………」
一瞬の沈黙はあったが、多澤は急に大きな声で笑った。
「そう言われれば、そうだな。……テツ子、大体練習の内容は決まったんだ。この辺で休憩にしようか? お前が黙りこくると、タマ子ちゃんも腹が減るんじゃないか?」
「もう、私はタマ子と違って、そんなにがっついたりはしないわよ! 朝ごはんだって、しっかり食べてきてるから平気なの! ……それより、タマ子には、もう一球……いえ、もう一種類の魔球を覚えてもらうわよ!」
徹子は、そう言うと自らピッチャーマウンドに上がり、ボールの握り方を珠子と多澤に示した。
「これが、フォーシームっていう握り方よ」
徹子は、人差し指と中指をボールの縫い目に直角に当てた。親指は、2本の指の延長上の真下に置いた。
「これが、一番ボールのスピードが出る握り方よ。いい? これから、私が投げるから、タマ子がキャッチャーとして受けなさい!」
「え? あたしが、キャッチャーをやるんですか? 無理ですよ~、今まで一度もやったことがないのに!」
「大丈夫よ、私のボールはそんなにスピードも出ないし、あなたみたいに重くもないわ。そんなに怖いなら、多澤さんにちょっとプロテクターを借りればいいわ!」
一応、珠子は、すべてのプロテクターを多澤に付けてもらい、キャッチャーとして準備万端になった。
「じゃあ、いくわよ……。最初は、私の普通のストレートよ!」
―― シュッ バシッ ――
珠子にとっては、速いと感じるボールだったが、なんとか目で追うことができた。真っすぐに自分に向かって迫ってくるボールに対して、ただ黙って自分のミットを構えていたら、ボールはそこに吸い込まれてくれた。
きちんとキャッチできたことで、珠子は嬉しくなり、思わず立ち上がって叫んだ!
「やったー! いいボールです! テツ子さん、もう一球、お願いします!」
「ふふ……言ったわね。じゃあ、今度はこれよ!」
―― ビュッ ビョン~ ――
「あ!」
ボールは、ミットをはじいて珠子の後ろの方へ飛んでしまった。
「ご、ごめんなさい! もう、一回お願いします!」
焦った珠子は、ボールを拾ってテツ子に返した。そして、再び、しゃがんでミットを前に構えた。
―― ビュッ ビョン~ ――
ボールは、また、珠子のミットをはじいた。
「(おっかしいなあ~。ボールは、魔球じゃないから、真っすぐに向かってきてるんだけど……)」
すると、横で見ていた多澤が、大声で叫んだ。
「分かったぞ! テツ子! お前、とんでもないことをタマ子ちゃんに教えようって言うんだな!」
「ふふふ……さすが、多澤さんね。そうよ、絶対にタマ子には、この投げ方を覚えてもらうわ! そうすれば、鬼に金棒よ! だれも、タマ子のボールは打てなくなるわ!」
「そうと決まれば、腹ごしらえに行くぞ! ロッカールームで着替えて来い!」
多澤は、先頭になって昼食をとるために、旭山ドーム球場の食堂に向かった。もちろん、徹子も珠子も、遅れないように追いかけていった。3人とも、ロッカールームでユニフォームを脱いで普段着に着替えた。そして、ショッピングモールのようになっている球場の中で食堂を探し始めたのだった。
(つづく)




