84 第5章第3話 この握り方は?
「じゃあ、ここで最初に変化球の練習をするわよ! タマ子、卒業式前に言ったあのボールの持ち方は、ちゃんと練習してきたかしら?」
「あ、はい、テツ子さん。式の途中もずっと暇だったから、ポケットの中でボールを握る練習をしてたんですけど……」
「……けど? 何かあったの?」
「えっと、それが、急に弟たちが、卒業式の中で、『対決だ!』って言って、あたしがピッチャーをやることになったんです……」
いきなり珠子の話を聞かされた徹子と多澤は、まったく状況がつかめず、珠子が何を言っているのかさっぱり分からなかった。
「ん?……タマ子ちゃん? すまんが、もう少し最初から、順番を追って話してくれないかなあ~。俺……歳をとったのかな~最近の若い奴の話にはついていけないときがあってな……」
「多澤さん……たぶん、それ、タマ子の話だからだと思うわ。私も、全然分からないもの……。とにかく、最初から、落ち着いて話して!」
珠子は、どうして自分の話が分からないのかまったく分からず、仕方なく最初から話し始めた。
自分には、双子の弟がいること。今は高校1年で、野球部に入っていること。中学までは、サッカー部とバレー部で活動していたこと。自分がプロ野球選手になったことは、学校中に知れ渡っていること。自分を応援してくれる人も多く、サインをねだられたこと。卒業式の中で校長先生がお祝いと称して、自分のピッチングを見せることになったこと。
そして、その相手が弟たちだったこと。
珠子は、2人を前にして一気に話した。
「へえ~それじゃ、卒業式の最後に、タマ子は舞台からピッチングをしたんだ」
「おいおい、バッターの弟って、体育館の中央にいて、そばには卒業式の参列者がたくさんいたんだろ? タマ子ちゃんのボールを打ったら……あ、でも高校生だから金属バットかな? でも、金属バットなら、衝撃はすさまじいから、弟君が怪我するんじゃないか?」
ことの重大さに多澤は気づき、今更ながら心配そうに言った。
「ええっと……普通の木のバットだったわ。なんでも、弟たちは木製の方がよく打てるんですって」
「じゃあ、なおさら危ないよな。折れたバットがそばにいる人に当たらなかったのかい?」
「それが……実は、バッターの弟が空振りをしてしまって、バットは折れなかったし、ボールも飛ばなかったんです」
「な~んだ、弟君ってば、出来る人なんじゃない! 危ないから、ワザと空振りしたのね。あ、そっか、……それより、お姉ちゃんに花を持たせたかったんだ!」
徹子さんは、嬉しそうに珠子の背中を叩いて感心していた。ところが、珠子は、首を振って、慌てて続きを話した。
「あ、いえ……後で、弟に聞いたら、本気でバットは振ってたそうです。本人曰く、舞台の緞帳に当てれば大丈夫だろうって、思ってたって言ってました」
「え? じゃあ、どうしてバットに当たらなかったの……。タマ子のボールなら、絶対に打ちやすいはずよね?」
「それが……その~……卒業式の間、ずうーっとテツ子さんに言われた通りにボールを握っていたもので、投げるときについその握り方で投げてしまったんです。……こうやって……」
珠子は、ボールを握る手をそのまま目の前に突き出した。そこには、人差し指と中指で挟まれたボールがしっかりと握られていたのだ。
「あ、これって……私が教えたやつじゃない……」
「それでですね~……弟たちが言うには、ボールが落ちたって言うんですよ~……これって、変化球の投げ方なんですか?」
珠子は、自分の握っている野球ボールをしみじみと見ながら、そんなことを呟いたのだった。
(つづく)




