80 第4章第9話 新しい魔球?
「もういいでしょ……そろそろお昼にするわよ。あなた方も早く手を洗って、食堂に来なさいね!」
母親がそう呼びかけると、珠子はマウンドの周りに散らばったバットの先端部分や折れて飛んできた木のクズを片付けはじめた。
母親が言う『食堂』とは、日中働いている人たちも一緒に食事ができるように、プレハブの大きな小屋があり、自動販売機やテーブルなどがそろった場所のことをいうのである。もちろん、お店のような食事のメニューはないが、毎日違ったメニューを母親が大量に作り、提供している。
ちなみに、今日はカレーライスである。
「姉ちゃん、最後にもう一球だけ投げてくれよ!」
「え? まだやるの? だって、バットは全部折れて、もう打てるものはないんでしょ?」
「ああ、だからさ……打たないから、ボールだけを見たいんだよ!」
「何言ってんの? 達也。ボールだけなら、ほらっ……」
珠子は、白い硬球を手に持って達也の目の前に差し出した。
「違うって、姉ちゃん。達也が言ってるのは、昨日投げたボールだよ。あのフォークボールが見たいって言ってるんだよ!」
「フォークボール?……あ、あたしが、間違って握って投げたやつね。でもさ、練習も何もしてないのよ。昨日は、たまたま、上手くいっただけだと思うのよね~」
「いいからさ、その……新しく覚えようとしてる握りで投げてみてよ! 俺はそのボールの軌跡がもう一度見て見たいんだよ!」
キャッチャーのプロテクターを着けている和也も、ミットをバシバシ叩きながら、ホームベースの後ろにしゃがんだ。
達也も、バットこそは持たないが、右バッターボックスに入り、打つ構えをした。
「もう……ぶつかっても知らないわよ! じゃあ、1回だけだからね!」
そう言うと珠子は、昨日と同じようにセットポジションで構えた。改めて、ボールの握りを確かめた。人差し指と中指を広げ、そこにボールを挟み、軽く親指で押さえる。
「姉ちゃんの手は、でかいから楽に握れるんじゃないか?」
「うるさいわよ達也。……(でも、確かに違和感はないわよね。それは、ずっと卒業式の間、ポケットに手を入れてボールを握ってるときにも思ったのよね)」
もう一度、珠子はボールの握りを目で確かめてから、グローブの中にボールを持った手を入れた。そして、ゆっくりと右手を後ろへ引いて、おもいっきり腕を振った。
ちょうど、ボールを持った右手が、キャッチャーの方へ向いたとき、ボールは珠子の指の間からスルッと抜け落ちるように真っすぐ前に進んでいった。
「よし、来た! ここだ!」
バッターボックスに立っていた達也がそう言ったとき、ボールは目の前で、わずかに落ちたように見えた。
「え? これっぽっち?」
達也は、ガッカリしたような声を上げた。どうも、思った以上にボールは落ちなかったようだ。
「へんだなあ~昨日は、ジャストミートだと思って思いっきりバットを振ったのに、かすりもしなかったんだぜ。絶対、ものすごい落差があったと思ったんだよなあ~」
「達也、そんなにガッカリしないでよ。投げる練習もしてない変化球よ。そんなに上手くいくはずないじゃない。……さあ、さあ、お昼にしましょ!」
納得がいかない顔の達也と和也だったが、珠子はもうすっかりお昼のカレーライスの匂いに釣られているように、笑顔で食堂に走って向かった。
(つづく)




