56 第3章第16話 感謝の三振?
「(じゃあ、2球目は、この辺でどうだ……)」
多澤は、サインを出した。珠子は、多澤のサインを覗き込み、頷いてから、また、ピッチャープレートを外して、ロジンバッグに手を伸ばした。
「(ん? なんだ? 昨日はあんなことはしてなかったよな。今日になって、いきなり手に汗をかくようになったのかな? ……それにしても)」
バッターボックスの角丸は、黙って珠子の様子を伺っていた。
「(えっと……今度は、一番左へと……)」
珠子は、再びセットポジションに入ったが、ピッチャープレートの一番左側、つまり角丸バッターにとって一番外角寄りに立ったのだった。
「あ!」
その時、思わず、角丸選手は、声を上げてしまった。
「(ふ、ようやく、気がついたか。……じゃあ、今度は、ここでどうだ?)」
多澤は、一度体を内角に寄せてから、思いっきりミットをはめた右手を横に伸ばした。
“ほら! 見てみい! 田中はん。北白山が、プレートを踏む位置を変えたで! 今度は、外角や!”
“なるほど、きっと、多澤キャッチャーからプレートを踏む位置もサインが出ていたんでしょうね。だから、一回ロジンバックを触るフリをしてプレートを外して踏む位置を変えてきたんですね”
“ひょっとして北白山は、変化球を投げられないんやないか? だから、プレートを踏む位置を変えて、バッターまでの角度を変えてきたんや!”
“えっと……そんなことして、何か意味はあるんですか? 岩木さん”
“たぶんやけど……今まで、ストレートの直球しか投げてない北白山が、少しでも左右の角度のあるボールを投げてみいや? バッターにしたら、変化球と勘違いしてしまうんや。つまり、コースの先読みをしてしまって、バットにボールが当たらなくなるちゅうことやな!”
“そんなこともあるんですね。…………そんな北白山、今、第2球目を投げました!”
「ストライーーク!」
珠子の投げたボールは、そのまま外角を少し外したところを通過し、多澤のミットに収まった。ところが、角丸は、思いっきり空振りをしたのだ。
「(くっそー! 絶対、内角に曲がってくると思ったんだけどなあ~……あんなゆっくりなボールは、変化すると思ったんだ……)」
「(ふふふ……こいつ、タマ子ちゃんのボールが変化するって勘違いしてやがる。さっきは、内角から外角へのボールだったから、今度は外角から内角へと曲がると思ったんだろ。そうは問屋は下ろさないぜ)」
多澤は、にやりと笑って、次のサインを出した。
「(へえ……今度は、真ん中か? いいのかな? 今までと同じで……?)」
“さあ、ピッチャー北白山、今度はどんなボールをなげるのでしょうか? 0ボール、2ストライクです。今、セットポジションから……投げました!”
「ストラーーイク! バッターアウト!」
「くっそ! 今度は、浮いて来やがったぜ!」
悔しそうに、シャイアンツの角丸選手は、一度バットをホームベースの上に叩きつけてからベンチに下がっていった。
ピッチャー珠子は、それをマウンド上から見て、帽子をとったと思ったら、深々と頭を下げた。そして、起き上がって両手をまっすぐ上に上げて、大きな声で叫んだ。
「サンキューーー!!」
多澤は、一度タイムをとってピッチャーマウンドの珠子のところに行った。
「多澤さん、やりましたよ! サンキュー・サンシンです!」
笑顔の珠子とは違い、多澤はちょっと不思議な顔をして問いかけた。
「なあ、タマ子ちゃん? あの、最後のパフォーマンスはなんだい? まさか、三振を取る度にあれをやるつもりじゃないだろうな?」
「え? サンシンをとったら、お礼を言わなきゃダメなんじゃないんですか?」
「うん、まあ……バッターが空振りしてくれたのは、ありがたいことなんだけど……そんな約束も規約もないぜ」
「え? だって、お父ちゃんが、サンキューサンシンをしなさいって!」
多澤は、頭を抱えて考え込んでしまった。
(つづく)




