42 第3章第2話 ザ・ファースト・ターゲット
珠子は少し驚き、徹子の方を見た。
ユーロミル・エイエスは、ドミニカ共和国から来た外国人枠の選手である。アメリカのメジャーリーグで、複数の球団での経験を持つ。
ファイアースに来て今年で4年目になる。母国語はスペイン語なのだが、器用に英語交じりの日本語を話す。がっしりした体に似合わず、陽気で気さくな笑顔はチームのみんなから好かれていた。
「エイエス?……タマ子のボールを打ちたいの?」
徹子が、エイエスに尋ねた。すると、なぜかエイエスは、嬉しそうに珠子の両肩に手を置いて話し出した。
「ボク……びっくりしたね! ボール、打った後、手がとっても……デンジャラスだったよ! バットがブレイク? ノーノー! マイハンドもブレイクね!」
「えっと……タマ子のボールが強かったってこと?」
「おーイエス! バットがブレイクしたから、ボールがノーフライね! 悔しかったね! だから、今度はもっと全力で、スイングするよ! 今度は、絶対に負けないね! お願いだから、ワンチャンスくださいな!」
エイエスは、とびっきりの笑顔と大袈裟な身振り手振りで訴えた。それを見ていた多澤が、半分呆れたように声をかけてきた。
「いいじゃねえか?……だってよ、タマ子ちゃんのボールを打った奴は、エイエスが初めてなんだからよ。ここで、もう一回、あの痛みを味わわないとスッキリと練習に打ち込めないんじゃないか? あはははは……」
そして、笑いながら、少し離れたところにいた横先バッティングコーチに声をかけた。
横先は、エイエスの話を聞きながら、これまた笑顔で、その申し入れを了承し、準備にかかった。
「あのね、多澤さん。タマ子ちゃんのボールを打ったのは、僕が最初なんですよ! だから、分かるんだ、エイエスの気持ちがね。あの球は、……いや、あの感触は、未だに忘れられないんですよ。僕だって、コーチじゃなきゃ、もう1回打ちたいところです!」
横先バッティングコーチも笑顔で、ピッチャーマウンドに打球避けの網を用意させた。
「テツ子さん、あの網はなんですか?」
「ああ、あれは、ピッチャーのボールを避けるのよ。よくバッティングピッチャーが続けてボールを投げる時は、バッターの打球にぶつからないように使うのよ」
「へえ~……でも、あたしのボールを打っても、ボールは飛ばないんじゃないですか?」
「たぶん、ボールは飛ばないかもね。……でも、バットが折れて飛ぶじゃない! あなたの場合は、バット避けよ」
「そっか……えへへへ。今度は、バットも避けられるように練習した方がいいですね!」
笑顔の珠子は、本気でそう思っているようだった。徹子は、『バットを避ける練習をするから、折れたバットを投げてくれ』と言われそうな、嫌な予感がしたのだった。
キャッチャーの多澤がホームベースの後ろで構え、横先コーチが審判役になった。徹子は、二言三言珠子にアドバイスすると、ベンチまで下がった。
すると……
「俺、ファースト守りますよ!」
「じゃあ、俺、セカンド」
「ぼくは、サード入ります!」
と、その辺で練習していた選手たちが、内野と外野の守備についた。それ以外の選手は、みんなベンチまで戻り珠子とエイエスの対決を見守った。
全体練習はまだまだ先なので、今は各自の課題に沿った取り組みの最中だった。だから、時間的には余裕があったこともあるが、実は他の選手も珠子の投げるボールがとても気になっていたのだった。
「おい、エイエス。少し厚いバッティンググローブ履いた方がいいぞ!」
多澤のアドバイスを素直に受けたエイエスは、自分の持っているバッティンググローブの中で、生地が最も厚いものを選んで準備を始めた。
「タマ子ちゃん? 準備運動はいいか?」
「大丈夫です、多澤さん。今朝は、ここまでランニングで来ましたから!」
「え? お前、花﨑からここまで、10キロ以上あるだろ? そんなに走って、大丈夫か? それにしちゃ、お前、汗一つかいてないな。……テツ子も一緒だったんだろ? 朝からご苦労様だな……」
「何言ってんの多澤さん。私は、そんなに走れる訳ないじゃない。私は、バイクでついてきただけよ! それでも、なかなかタマ子には追いつけなかったのよね……」
「そ、そうか…………ま、じゃ、ちょっと2、3回投げてみるか」
―― バシッ! ………… バシッ! ………… ――
多澤のミットからは、今まで聞いたことがない大きな音が響いてきた。
「なあ、タマ子ちゃんのボール、そんなにスピードがあるようには思えないんだけど、えらいキャッチの音がするな~」
「ああ。なんか、多澤親分の手が痛そうな気がするんだけど……」
珠子を見守っていた選手たちからは、そんな声が漏れていた。
(つづく)




