29 第2章第16話 セットポジション
「まずね、1塁にランナーがいる時に、タマ子のいつもの投球動作だとランナーはすぐに盗塁しちゃうの」
「え? でも、投球の途中で1塁か2塁にあたしがボールを投げれば、アウトに出来ますよね」
「それができないのよ。タマ子が、ワインドアップモーションに入れば、もうそれは投球動作だと見なされて、キャッチャーに投げる以外は『ボーク』とされるの」
「え? あのワインドアップの投球動作って、けっこうゆっくりですから、盗塁されたら余裕で間に合っちゃいますね……」
「そうよ。だから、ランナーがいる時は、セットポジションで投げないとダメなの」
「セットポジション?」
珠子は、また新しい言葉に目を丸くした。
「えっとね……セットポジションは、ランナーがいる時には必須なの。軸足をプレートに付け、もう片方の足はプレートの前に置くの。そして、両手でボールを体の前の方に保持し、完全に停止するの。必要な静止をせずに投球すると、ボークになることがあるの」
「え? じゃあ、まるっきり投げ方を変えなきゃいけないんですね」
「そうね。……だから、よくランナーが出たとたん投げるフォームを崩してしまってストライクが入らなくなるピッチャーがいるのよ」
「やだな~……あたし、普段からセットポジションで投げようかな? そうすれば、投げ方を変えなくてもいいんでしょ?」
「まあね。でも、タマ子のワインドアップモーションは、大きくて迫力もあるから、バッターに向かうのにはいいような気もするんだけどな~……。ま、それは後で考えるとして、セットポジションで投げる練習をしましょ!」
「はい、分かりました。……えっと、足は……、うん、こうね!」
珠子は、教わった通り、ピッチャープレートの真中に右足を付けて構えた。右手はボールを握り、グローブに納め、ちょうどズボンのベルト付近に固定する。ゆっくり息を吸ってから軽く吐いて止めると同時に左足をキャッチャーの方に踏み出して、右手を振った。
今はキャッチャーがいないので、ボールは投げないが、そんなに違和感のない動作に見えた。
「いいわよ! その投げ方ね!」
徹子が笑顔で褒めると、珠子も笑顔で返してきた。気を良くした徹子は、すぐに次の説明を始めた。
「セットポジションをした後は、ただキャッチャーに向かって投げるだけじゃなく、牽制することも選べるの」
「え? まだ、考えなきゃならないことがあるんですか?」
「当たり前よ。そのためのセットポジションなの。ランナーが盗塁のためにベースから離れてリードを大きくすることがあるわ。そのまま、ピッチャーが投球をしちゃうと楽々盗塁が成功になるの。だから、そんな時、ピッチャーは1塁に牽制球を投げるの」
「え、でも、さっき、投球モーションに入ったら、キャッチャー以外へ投げちゃダメって言いましたよね!」
珠子は、頭の中がこんがらがっているようで、少し涙目になっていた。
「セットポジションで止まっているうちは、まだ投球動作じゃないの。1塁へだって投げられるわ。ただし、そのまま投げてもいいんだけど、いろいろ制約があってボークになることが多いの。だから、軸足の位置をプレートから外してしまえば、どこへボールを投げても平気なの。ほとんどピッチャーは、プレートを外してから、1塁に牽制球を投げてるわ。さ、珠子、やってみるわよ!」
「えええ~……グスン、できるかなぁ~…………」
珠子は、セットポジションを作り…………
「あ! ボークよ!」
「ええ~、どうしてですか? ちゃんとセットポジションにしましたよ~」
「ダメよ、セットポジションの時に、あんなにキョロキョロしたら」
「だって、ああでもしないと1塁ランナーを見られないじゃないですか? 見ないと、1塁に牽制していいかどうかなんて分からないですよ!」
珠子は、ちょっとむきになって徹子に言い返していた。珠子は、1塁ランナーの様子を伺おうとして首を思いっきり1塁方向へ向けてしまったのだ。
「あのね、タマ子、気持ちは分かるけど、セットポジションになったら、首を何度も振ったり、不自然に動かすとボークを取られることがあるの。だからランナーの様子を知りたかったら、なるべく目だけでランナーを見るようにするの」
「そんな~……人のことを横目で見ちゃダメって、お母ちゃんに言われてるんですよ~」
「もう、いいの! これは、野球なの! いいから、もう一度やって見なさい!」
徹子の頭からも少し湯気が昇ってきたようだ。
(つづく)




