18 第2章第5話 親分
「おう! 遅いぞ! 何やってんだ、早くこっちへ来いよ!」
2軍のドームグラウンドで待っていたのは、体格のがっしりした厳つい顔のおじさんだった。
「あ! 多澤親分!」
「おいおい、いきなりその呼び名は止めてくれよ。今じゃ、2軍のブルペンキャッチャーだ。誰も覚えている奴はいないんだからよ~」
「何言ってんですか。私が、試合で受けて欲しかったのは、多澤親分なんですよ! 安心して任せられるのは、あの安定感のあるキャッチングなんですから!」
「ふん……昔の話さ。……ところで、新城監督から、練習に付き合ってくれって頼まれたんだけど、テツ子、まさかお前、もう一度マウンドに登るつもりか?」
キャッチャーの防具を身に着けていた多澤は、徹子の顔を覗き込んで、頭を掻きながら不思議そうに尋ねた。
「まさか~……親分に受けて欲しいのは、この子、タマ子の球なんです」
「………………」
多澤は、一通り珠子を頭から足の先までを見回してから、また不思議な顔をした。
「あ、……えっと、あたしは、北白山珠子です。今度、ファイアースに入団することになりました。どうぞよろしくお願いいたします!」
体を直角に折り曲げ、頭を下げて挨拶をした珠子は、しばらくそのままの姿勢を保ったまま固まった。
「へえ~新人かい? でも、今年のドラフトで指名した奴は、確か今は旭山球場でしごかれているはずじゃなかったけ?」
「タマ子は、特別なんです。ドラフト外で、監督特別枠っていうやつですね。だから、他の選手にもまだ紹介されていないんです」
「おや? そんな新人がいるんだ。……俺に、球を受けろってことは、ものすごい速い球を投げるか、とんでもないノーコンかのどっちかだろ? え、違うかい? まあ、たいていのへなちゃこ球だったら、テツ子が受ければいいんだもんな。……そういうテツ子も、背番号をもらったんだろ?」
「ええ、まあ……それよりも、まずはタマ子さんの球を受けてもらえますか?」
珠子は、簡単な準備運動と軽めのキャッチボールを済ませると、いそいそとマウンドに上がった。
「いいですよ! 多澤さん、よろしくお願いしま~す!」
「いいけどよ~……お前、そんな準備運動だけで大丈夫なのか? 仮にも、プロ野球でピッチャーをやろうっていうんだ。小学校の草野球とは違うんだぞ」
「親分、大丈夫ですよ。タマ子は、平気です。それに、今朝はもうロードワークも済ませてきましたから」
信じられないという顔をしながら、多澤はホームベースの後ろにしゃがんだ。
「いいぞ! 思い切り投げてみろ! 外れてもいいから、手加減するな!」
「え? いいんですか? 大丈夫ですか?」
珠子は、ちょっとテツ子の方を向いて首を傾げた。すると、徹子は黙って頷きを返した。そして、手を挙げて多澤に告げた。
「私、審判やります」
「よし! 来い! タマ子!」
―― バシッ、バシッ、バシッ ――
キャッチャーミットを叩いて真ん中に構えた多澤は、体を小さくまとめたが、微動だにしないその態勢は本格的なキャッチャーの匂いをプンプンと漂わせていた。
珠子は、ピッチャープレートの上に両足で立ち、ボールを持った右手をグローブに入れたまま頭の上まで振りかぶった。
「(お、ワインドアップか……珍しいな)」
左足をゆっくりと上げると同時に、ボールを隠したグローブを腰の辺りまで降ろし、肩を回転させた。
「(こりゃ、スピードボールなのかな?)」
珠子の視線は、キャッチャーミットから外れることはなく、素早く回した右手からは、真っすぐにボールが飛び出した。
「(こりゃ、素直なボールだ! …………ん?)」
―― バッシーーーーン!! ――
ミットに収まったボールは、音だけはそこら中に響き渡った。
「ストラーーーイク!」
「おいおい、なんだ? 今の球!」
「どうでした? 多澤おやぶん?」
徹子は、ちょっと多澤を揶揄うような言い方で、珠子の投げたボールの感触を確かめた。
「う~ん…………遅い!」
多澤は、大きな声で珠子に聞こえるように言った。
「え? 遅い?」
珠子は、思いっきり投げたのに遅いと言われて、少しショックだった。ところが多澤は、立ち上がるとキャッチャーミットから手を抜いて、何度か手を振っていた。そして、笑いながら続きを叫んだ。
「だけど、すっげーー痛いじゃないか! あははははは」
(つづく)




