16 第2章第3話 朝の慣らし運動
「タマ子! タマ子! 起きて! 練習に行くわよ!」
「……ふぇ? れん……しゅう……? ??」
「そうよ、今日から、プロ野球選手としての一日が始まるのよ! さっさと起きて、このジャージに着替えて! 私は、玄関のところにいるから、早くね!」
「ふぁあーい……ええ~、まだ、5時じゃない! 外はまだ、薄暗いよ~……」
珠子は、昨日からもう自主トレということでプロ野球の生活が始まっていた。学校へはもう行かなくてもいいのだが、まだ卒業した訳ではない。次に学校へ行って友だちと会えるのは、卒業式の日だけだ。
「……そうか、あたし、もう、プロ野球の選手なんだ……」
珠子は、渡されたジャージに着替えて、急いで玄関に向かった。そこには、自転車にまたがった徹子がいた。
「タマ子、いい? ちょっと体慣らしで、この辺を一周してくるわよ。遅れないで着いてきてね」
そう言ったと思ったら、徹子は自転車をこぎ出した。
「は、はい……」
珠子は、自転車を目標に走り出した。今日は、ジャージを着ているし、運動靴も履いている。昨日とは違い運動するのにはちょうどいい服装だ。
自転車は、思っていたよりもゆっくりだった。
「(テツ子さん、気を使ってくれているのかしら?)」
珠子は、そんな気楽なことを考えながら徹子の自転車を追いかけた。3月とはいえ、もう市内の歩道に雪は残っていなかった。ファイアース2軍の宿舎から国道に出て、まっすぐ護国神社の境内横を通って旭橋を目指していることは、珠子にも分かった。
「(懐かしいな……って、最近まであたしが高校に通っていた通学路だね。バス通だったんだけど、護国神社前の交差点でバスを下車してからはここを通って高校まで歩いていたんだ……)」
うっそうと茂る神社の境内を横目に見ながら、珠子は息を弾ませて交差点の横断歩道を渡った。交差点を過ぎるともうそこは市街地だ。大型スーパーや小さな商店などもある。歯科医院や整形外科の病院もある。日の出前ということもあり、誰も歩いている人はいなかった。どのお店もシャッターを閉めていたので、ほとんど賑やかさは感じられなかった。
珠子は、学校帰りによく、この辺りへ買い物に寄ったものであるが、その時の様子を思い浮かべるとまるで違う世界のような気がした。
「(へえ~同じ場所でも、昼と朝じゃ、まったく様子が違うんだな~)」
そんなことを考えながら走っている珠子であったが、前を自転車で走る徹子から声をかけられた。
「大丈夫? タマ子? ハア……ハア……息は、切れていない?」
「ええ、大丈夫ですよ。……えっと……テツ子さんの方が苦しそうですけど?」
「だ、大丈夫よ! まだまだ……ハア、ハア……スピード上げるわよ!」
「はい!」
なんだか徹子の方が、息が上がってきているみたいだった。
「ハア、ハア……えっと、ここを曲がると旭橋に……旭橋を渡って、ロータリーを一周してから……ハア、ハア……帰るわよ!」
「分かりました! ロータリーなら、任せてください! あたし、ここを通って、よく買い物公園に行ってましたから!」
それに比べ、珠子の方は楽に走っているように見えるが、全力で漕ぐ徹子の自転車からはまったく離れる気配はなかった。
「そ、そう……ハア、ハア……」
「あの~テツ子さん、大丈夫ですか?」
「何言ってるの。私は自転車なのよ! それも10段変速で、電動アシスト車よ! ハア、ハア……あなたこそ、このスピードで走って疲れないの?」
「はあ……このくらいの速さなら平気ですよ……あたし、マラソンは得意なんです。中学の時も高校の時も、全校で2位は必ず取ってました!」
「え? ハア、ハア……1位じゃなかったの? この速さなら、絶対1位取れたでしょ?」
「えっと……1位だと、いろいろ面倒くさいんですよ。小学校の時は、加減が分からなくて全力で走ったら後ろから走る人が誰もいなくて、道に迷ったりして大変だったんです。それで、それ以来ちゃんと2位で走るようにしてたんです」
「ハア、ハア……なるほど……方向音痴だから……ハア、ハア……まあ、いいわ。下手をしたら、私の方が朝からこんなに疲れてしまうわ……ちょっと体慣らしと思ったんだけど……ハア、ハア……明日からは、バイクにしようっと!」
(つづく)




