119 第6章第19話 会心の投球
珠子は、サインを覗き込んでから4球目を投げる準備を始めた。右手で握ったボールを、左手のグローブの中に入れたまま両手を合わせるようにして、ベルトの上の辺りに持ってくる。
「(えっと……力加減が『栗』だから、こう指先に思いっきり力を入れて……)」
珠子の視線は、まっすぐ多澤のキャッチャーミットを見つめている。ミットは、ストライクコースぎりぎりの一番低い場所だ。しかも、内角なので、膝の辺りにある。
「(ボールは、ジャイロボールだから、問題なし! いつものように投げるだけ!)」
一歩左足を引いてから、反動を付けてその左足を思い切り前方に踏み出す。同時に右手は体の背面にまでひねり、ボールを持った右手を前方へ振り出す。空のグローブは、右手と真逆の動きで、前から後ろへ移動、最後は左の脇腹に抱え込むような体勢になる。
この一連の動きは、珠子にとっては十分に慣れ親しんだもので、流れるような動きは、まったくの淀みも歪みもない。
「いっけ~!」
珠子の投げたボールは、球速130キロとプロ野球界ではやや遅めではある。しかし、進行方向に向かって垂直回転するジャイロボールは、途轍もなくボールの威力を増してくる。しかも、珠子が込める力を表現した『栗』というのは、指先で生の栗を捻り潰すぐらいの力を入れるということなので、回転数がより増していくのである。
「イエス! OK! ジャイロボールね! イエッサー……ゴー!」
カナリアは、すぐにボールの正体を見極め、ファールを打つために瞬時に軌道の計算をした。
珠子の投げたボールは、ストライクコースギリギリだが、迷わずカナリアはバットを出した。膝を折り、腰を低くし、バットをボールの軌道に合わせながら、バットコントロールを始めた。
軽くバットを前に出し、ボールを待つ。まるで、バントのスタイルのようだが、ボールに合わせて、今度はそのバットを引くのである。今回は内角低めのボールなので、バットを寝かせてレフト側へのファールコースを狙った。
―― カッシュシュシュシュ バン! ――
ボールは、バットに当たった。しかし、その回転のために、ボールはバットの圧力を無視した。ボールは軌道を変えることなく、ワンバウンドでサード正面に跳ね返った。ライン寄りではあったが、決してファールになるような軌道ではなかった。
―― バシュッ! ――
サードの野町がしっかり受け止め、すぐにファーストに投げた。
―― バシッ! ―― 『―― アウト! ――』
ファーストの喜代宮が、しっかりそのボールを受け止め、1アウトをとったのである。いくら、足の速いカナリアとて、1塁には間に合わなかった。
「やったー! 野町さん! かっこいい~! ありがとう!」
大喜びの珠子は、マウンド上で飛び跳ねながら、サードの野町に両手を振っていた。野町は、それを見て、目尻がぐっと下がり、今にもとろけそうになってしまったのだ。
「ふうっ、なんとか跳ね返せたか……それにしても、このボールだけじゃ1試合はもたんな……」
キャッチャーの多澤は、ほっと一息をついてからマスクを外した。そして、そこに放り投げられたバットを拾って、1塁から戻ってきたカナリアに渡した。
「サンキュー……バット。うん~バット? アレ、ナゼ? ファールにできない?」
カナリアは、たどたどしい日本語で、キャッチャーの多澤に尋ねた。すると、多澤は、一言だけ、渡したバットを指さしながら言った。
「……ルック!」
するとカナリアは、渡されたバットをもう一度見直して、「オー! マイゴット!」と言いながら、ベンチに戻っていった。
ボールが当たったカナリアのバットの打点には、少し焦げたような茶色い跡がついていたのだ。
(つづく)




