116 第6章第16話 バッターの役割
―― プレイボール! ――
今、試合が始まった。守備についているのは、四国みかんオンライズ。ピッチャーは、左投げの武川で、速いストレートと大きく曲がるカーブが持ち味だ。対する北海道みるくファイアースの1番は、センターを守る六十畑。今、左バッターボックスに入った。
“ファイアースは、打順も守備も同じですね。途中で代打を出すことはあっても、今年はもうこのメンバーで固定するようですね”
“去年は、試合ごとに打順を変えたり、守備を変えたりと落ち着かない感じがしましたが、今年は方針を変えたんでしょうね”
“そては、どうしてですか?”
“たぶんですが、去年はエラーが多かったですよね。新城監督は、打つことを優先していました。打てる選手を起用するために、慣れない守備位置につくことも多かったんです。確かに、それでホームラン数は増えましたが、肝心のところでエラーが多かったんです。ホームラン数はパ・リーグダントツで1位でしたが、エラー数もリーグで一番多かったんです”
“それで、今年は守備に慣れてもらおうということなんですね”
“たぶん、それだけじゃないと思います。打順も固定したということは、打順ごとの役割のようなものにも慣れてもらおうということだと思います”
“なるほど……ことしのファイアースは楽しみですね。……さあ、武川が第1球、投げました……”
―― ボール! ――
六十畑は、ボールをよく見ていた。2ストライクまでは甘いボールだけにバットを出し、その後は、ストライクコースギリギリの球をファールで粘った。3ボール2ストライクだが、ファールも含め次のボールが10球目になる。
“いや~よく粘りますね。フルカウントになってから、3連続ファールです”
“六十畑の狙いは、ヒットじゃありませんね。彼は、自分の役割をしっかり理解してバッターボックスに立っています”
“え? 彼の役割ですか?”
“はい、1番バッターの役割です。しかも、今は、試合の始まり、先頭打者です。ヒットを打つことより大事なことがあります”
“それは、なんでしょうか?”
“塁に出ることです。彼が塁に出れば、味方にチャンスが回ってきます。ヒットを打うことができればそれに越したことはないのですが、なによりも1塁に行くことが大事になります。フォアボールでもいいのです!”
“なるほど~…………さあ、これが、武川10球目になります! 投げた……”
―― ボール! フォア! ――
六十畑は、今、プロテクターを外してゆっくりと1塁へと走っていった。
「やったわー! 六十畑さん、先頭打者出塁よ!」
「よし! 次、頼むぜ!」
珠子と多澤は、ベンチ横で軽いキャッチボールをしながら、1塁の六十畑に向かって声援を送った。
“2番は、ヒットの多い氷田ですが、送ってくるでしょうか?”
“そうですね……投げられるボールによるんじゃないでしょうか?”
“え? ノーアウトでランナー1塁ですよね。ここは、ベンチからのサインじゃないんですか?”
“それがですね、私が今までの試合の様子を分析した結果、ベンチからのサインは出ていないようなんです”
“まさか、そんなことはないんじゃないですか? ……ほらっ、サードコーチャーが何かサイン送ってますよ”
“でも、よく見てください。あのサイン、短くないですか? すぐに終わるんです。それに、さっき、1番の六十畑のときのサインと同じなんですよ!”
“え? え? 亀岡さん、サードコーチャーのサインも見てたんですか? いや~参ったな、さすが元キャッチャーですね。細かいところをよく見ていらっしゃる。恐れ入りました。……じゃあ、あのサインはなんでしょうか?”
“たぶん、あれは、『任せる』というサインじゃないでしょうか?”
“え? そんなサイン、他のチームにもあるんですか?”
“まあ、ないことはないですね。なにかトリックを仕組むときだけサインを出すと、バレバレになりますから、普段からサインは出してますよということを示しておくんです”
“なるほど~……ここで、ピッチャー武川がセットポジションに入った。第1球投げた……あ! 1塁六十畑、走った! 盗塁です!”
―― ストライーク! ――
―― セーフ! ――
“おーっと、バッター氷田、バットを振りましたが、空振りです。そして、六十畑は盗塁を成功させました! いやあ、上手くいきましたね”
“はい、上手くやりましたね。氷田は、空振りをしてキャッチャーの2塁への送球を邪魔したんですよ。これは、サインがなかったからできた技ですね”
“サインがなかったから? え? 亀岡さん、どういうことですか? もう、私にはさっぱり分かりません、どうか教えてください”
“もし、ベンチから『送れ』のサインが出ていたら、氷田はバントをしたでしょう。そうすれば、ランナー六十畑は2塁に進めましたが、バッターの氷田は1塁でアウトになる場合もあったはずです。今は、六十畑が盗塁をしかけ、それを見た氷田が『盗塁は成功する』と判断してバットを空振りして助けました。ストライクですが、もし盗塁が厳しいものならバットに当てたかもしれません。少なくとも、バットに当てさえすれば盗塁は成功したでしょう。ただ、その場合1塁はアウトになったかもしれませんし、最悪、ダブルプレーの可能性もあったんです。そんな状況の中で、氷田は、最善策を選択したんですね。……自分で考えて”
―― カン! ――
氷田は、上手くショート横を抜けたヒットを打った。これは、セカンドのランナーを気にしていたショートがセカンドよりなり、ヒットゾーンを広くしていたからだと、解説の亀岡は言った。
―― カン! ――
次の打者である喜代宮は、1球目を打った。ボールは、1、2塁間を抜け、ライト前に転がった。そして、3塁まで進んでいた六十畑がホームに還り1、点が入った。先制点である。
“これも、自ら考えた打ち方なんですか?”
“そうですね。1塁にランナーがいるときは、どうしても1塁手はベースに付かなきゃならないので、2塁手との間が開くんですよ。そこを狙うのが、まあ、定石ですね”
ベンチでは、大喜びをしていた。珠子も喜んで、戻ってきた選手とハイタッチを交わしていたのである。
(つづく)




