#03.
「あぁ、やっぱりあの時、怒りを堪えるべきだったわ。せめて、殴るなら鳩尾にしておくべきだった。よりによって顔面を張り倒しちゃうなんて……」
どう考えても、寒さの中で既に生きる気力を失いかけていた彼に、決定的な一撃を見舞ったのは自分だった。
後悔のため息を吐いてみても、過ぎ去った時間は巻き戻せない。
それでも、最初の一ヶ月ほどは、彼もそれなりに礼儀を弁えていたはずなのだ。なぜあんな風に頭がハッピーセットになってしまったのか、本当に理解に苦しむ。
やれやれと首を横に振りながら、出来上がった料理をテーブルに並べていると、箒がけを終えたベインが厨房に入ってくるのが見えた。
「今日は一段といい匂いがするね。パメラ、今日は何か特別な日かい?」
「昨日の夕方、肉屋からかなり質のいい肉を分けてもらったでしょう。それですよ」
「朝から肉を食べられるなんて、ありがたいな」
「シチューですからね。そもそもシチューというものは、じっくり煮込むほど美味しくなるものなのです」
実際、今日一番美味しい状態にするために、昨日の夜からとろ火でコトコトと煮込んでおいたシチューだった。間違いなく絶品のはずだ。
シチューを大きめの器になみなみと注いでベインに手渡すと、彼はモップと見分けがつかないほどむさ苦しい顔いっぱいに笑みを浮かべ、器を受け取った。
「いただきます。ありがとう、パメラ」
「はいはい。美味しく召し上がってください。食べ終えたら、残りの仕事も手伝ってくださいね」
「あー、うん」
「お返事は?」
「……はい」
パメラが眉をキッと吊り上げて彼を見上げると、ベインの口から力ない返事が漏れた。身体ばかり無駄に大きい男のくせに、これ見よがしに被害者のような顔をしおって。
首を振る振るしたパメラがスプーンを持ち上げると、様子を窺っていたベインもようやくスプーンいっぱいにシチューを掬い、口へと放り込んだ。
(あんなに顔中が毛むくじゃらなのに、食事の時だけは綺麗に食べるのよね)
目を覆う前髪と、口元を隠す髭のせいで、パメラは実のところベインの素顔をよく知らなかった。
一度、衛生上の理由から整えてあげようとしたこともあった。しかし、ベインが引きつけを起こさんばかりに拒絶したため、未遂に終わらざるを得なかった。
別に彼の顔に興味があるわけでもなかったので、剃らないのならせめて手入れくらいはまともにしなさいと提案した。その日以来、ベインは衛生面においては一切文句のつけようがないほどの清潔さを保っていた。
もちろん、それでも小汚いおっさんであることには変わりないのだが。
改めて、このような素性の知れない不審な浮浪者もどきの穀潰しを、よくぞここまで面倒見てやっているものだと、我ながら感心してしまうほどだった。
(まあ、実際にはそこまで歳は離れていないのでしょうけれど)
クソおっさんと呼んではいるが、声のトーンから察するに、年齢差はせいぜい十歳前後だろうか?
とはいえ、行動も外見もクソおっさんそのものなので、パメラにとってベインはどこまでもクソおっさんでしかなかった。
彼女の内心など知る由もないベインは、瞬く間にシチューとミートパイをすべて平らげ、物欲しげな目でパメラを見つめてきた。
(はぁ、この大食漢め)
一体なぜ、体格はパメラの二倍程度だというのに、食べる量は彼女の四、五倍にもなるのだろうか。そのうえ、大して働きもしないくせに、なぜ時間通りに腹を空かせるのか。
(あんなに食べているのに、どうして太らないのかしら?)
本当に不可解な食事量と新陳代謝だ。深いため息をつきながらも、席を立ってシチューをおかわりしてやると、ベインは再び晴れやかに笑った。
「ありがとう、パメラ」
「いつも思うのですが、一体朝からどうしてそんなに食べられるのですか?」
「パメラが働けって言ったんだろ。働いてきたら、お腹が空くのは当然じゃない?」
……店と前庭を箒で掃いた、あの僅か二十分足らずの作業が『仕事』ですか?
(はぁ。本当に、よく回る口ね)
その開いた口からは、言葉ではなく食べ物だけを流し込んでいればいいものを。
パメラがあからさまに舌打ちをすると、ベインは笑いながら尋ねてきた。
「他に何か手伝うことはある? 掃除しながら見てみたんだけど、低級の回復薬と、不眠症緩和用のポプリが少なくなっていたよ。採集にでも行ってこようか?」
「結構です。品切れにする破目になったとしても、アンタには絶対に採集なんてさせません」
少しは役に立ちなさいと採集に行かせた結果、森の一角を文字通り焦土に変えてしまった悪夢が脳裏をよぎった。
町の人々に散々迷惑をかけ、パメラが方々に頭を下げて回っている間に、当の本人は町の人々と酒盛りを開いていたのだ。
あぁ、思い出すだけでも腹が立つ。
「アンタはただ、お客さんに商品の説明をして、会計だけしていればいいのです。それ以外は何もしないで」
「それだけでいいのかい?」
「アンタにはそれしかできないでしょう」
「ええー、俺がカウンターに立つと売り上げが上がるじゃない。この町の人たちはみんな、俺のことが好きだからね」
一体あの時の酒に、どんな媚薬を混ぜたのやら。
あの日の酒盛り以降、ベインは警戒心の強い田舎者たちの心を完全に融かしてしまっていた。
それ以来、パメラの雑貨店にはベインに会うために訪れる町民が増え、ちょうど彼の食費を相殺できる程度の黒字が出るようになった。
しかし、宿泊費やその他の諸経費までは到底補填できていなかったため、パメラにとって彼が「一刻も早くこの家から出て行ってほしい」クソ穀潰しのおっさんでしかないことは、言うまでもない事実だった。
「売り上げを伸ばしてくれるほど好かれているなら、いっそのこと誰かが引き取ってくれればいいのに」
「それは俺が嫌だ。俺の主人はパメラだけだからね」
「気味の悪いことを言わないでください。誰が主人ですか」
心底嫌そうな表情を浮かべてパメラが告げると、ベインはにこにこと楽しそうに微笑んで答えた。
「ひどいな。死に損ないの動物を拾ってきて、情をかけて育てたんだから、最後まで責任を取ってくれないと」
「いよいよ人間であることを放棄する発言が出ましたね。いいでしょう、それなら今すぐ騎士団に行って、迷子動物の保護申請を……」
「パメラ、開店が遅れちゃうよ。俺、先に行くね!」
「まったく、逃げる時だけは早いんだから」
逃げ出す間際にも、使った器は綺麗にシンクへ置いていったので、僅かばかりの加点をしてあげることにしよう。
騒がしいおっさんが消えたおかげで、パメラは静かにシチューを口へと運んだ。少し冷めてはいたが、味だけは文句なしのシチューが、身体に染み渡っていった。




