#02.
パメラの親愛なる朝の挨拶により、ソファで転がっていた穀潰しのおっさん――ベインが「ぐふっ」と声を漏らしながらソファから転げ落ちた。
(あぁ、気に入っていたソファだったのに)
あんなクソおっさんの体臭が染みついてしまうなんて。私の可哀想なソファ。
(でも、そんなに心配しなくていいわよ。見捨てたりはしないから)
ただ、ちょっと配置が変わるだけ。ちょうど店にも休憩用のソファが必要だったところだから。
いたわしげな目でソファを見つめていたパメラが、箒を持ってきて呻いている穀潰しに突きつけた。するとベインは、さっきまで痛がっていたのが嘘のようにすっくと立ち上がり、口を開いた。
「最近のパメラ、ちょっと冷たすぎない?」
「私が冷たいのではなく、アンタが怠惰なだけでしょう。働かざる者食うべからず、という言葉をご存じないのですか? クソおっさん」
「前はあんなに優しかったのに。今じゃ名前でも呼んでくれないし」
「名前で呼ばれたいなら人間らしい働きをしなさい! そもそも傷がとっくに完治しているというのに、いつまで居座っているつもりですか? いつになったら……」
冷たいどころか殺気すら孕んだパメラの視線を受け、ベインはにやりと笑いながらパメラに近づいてきた。長く伸びたアッシュグレーの髪の隙間から、赤みの混じった琥珀色の瞳がパメラを捉える。
いつも通りのクソおっさんのはずなのに、猛禽類のように鋭く光るその眼光を見ると、どうしても気圧されてしまう。
「な、何よ、どうして近づいてくるのですか?」
しまった。言葉を詰まらせるべきではなかったのに。パメラの動揺を察したのか、ベインの目が細く弧を描いた。
「そりゃあ……」
吊り上がった口端の奥から、彼は低く、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「パメラが働けって言ったからさ」
パメラが握っていた箒を滑らかに奪い取ったベインは、店へと繋がる扉を開けて出ていった。なんだかからかわれたような気がして、無性に腹が立つ。
「クソおっさん」
ベインが去った扉を睨みつけていたパメラは、苛立ちをぐっと堪え、朝食の用意と開店準備を再開した。
「一体どうしてこんなことになっちゃったのかしら……」
確かに、最初に出会った時は、あんなに奇妙で怠惰なおっさんではなかった。むしろ呆れるほどに刺々しく繊細で、必要以上に距離を詰めようとしない姿は……そう、まるで傷ついた獣のようだったのだ。
だからこそ、パメラも極力彼の心を開くために尽力し、再び立ち上がれるよう手助けをした。それなのに……。
「私の看病の何が間違っていたのかしら? 確かに師匠に教わった通りにしたはずなのに……」
深いため息をつきながら、パメラはベインを拾ったあの日のことを思い返した。
***
時は半年前。
勇者が魔王を討伐し、世界に平和が訪れてから三年が過ぎた、ある冬の日のことだった。
その日は本当に寒く、屋根がきしむほど多くの雪が降っていた。
およそ商人たるもの、雪が降ろうが雨が降ろうが、毅然と商売を続けなければならないものだ。
パメラの雑貨店は、辺境の田舎町とは思えないほど多様な品揃えを誇っている。
疲れた身体を癒やす低級ポーションから、人体に無害でありながら雪を素早く溶かす融雪粉、さらには王都と同等クラスの性能を持つ保温石まで。
当然、このような天候の日ほど、彼女の営む雑貨店は多忙を極める。
「よく聞きなさい、パメラ。雪が降ろうが雨が降ろうが、たとえ世界が滅びようとも、そこに客がいる限り、商人は必ず物を売らねばならんのだ」
(よく分かっていますよ〜、師匠)
パメラは師匠の教えを胸に、まだ日が昇りきらない早朝から、せっせと雪かきに励んでいた。融雪粉は町の人々に売る分しか残っていなかったため、パメラはシャベルを手に、実直に雪を掘り起こしては放り投げていた。
降りしきる雪に終わりはなく、掘っても掘っても瞬く間に雪が積もっていく。パメラが黙々と作業を続けていた、その時。
――サクッ!
「あら?」
雪とは異なる、何かしらの質量にシャベルが突き刺さる手応えがあった。
最初は気のせいだと思った。気のせいではないと確信したのは、透き通るほどに白い雪が、じわじわと赤く染まっていくのを目撃した時だ。
呆然と赤く染まっていく雪を見つめていたパメラの顔から、みるみる血の気が引いていった。シャベルを放り出し、狂ったように雪を掻き分けると、そこには雪よりも青ざめた男が、赤い血を流しながら倒れていたのだ。
「きゃあああああ!!」
パメラは金切声を上げて悲鳴を上げるしかなかった。
正直、そのあとのことはよく覚えていない。
ゆえにパメラは、自分がどうやって自分より頭一つ半は大きく、体重は二倍近くありそうな巨漢の男を家まで運び込んだのか、未だに知る由もない。
ただ、雑貨店にある回復薬や軟膏を片っ端から持ってきて、男に浴びせるように注ぎ込んだことだけが、断片的に記憶に残っている。
幸か不幸か、男の身体は氷のように硬く強張っており、パメラのシャベルも刃が鈍っていたため、傷は生命に別状をきたすほどではなかった。
とはいえ、それを差し引いても深い傷であり、最低でも数ヶ月は絶対安静を要する状態だった。
男は死んだように眠り、目を覚ます気配はなかった。
そんな男が目を覚ましたのは、パメラが彼を救出して二日目の夕方のこと。
この二日間、万が一にも彼が死んでしまったらどうしようと、気が気でなかったパメラが、寝食を忘れて献身的に看病していた時のことだった。
「う……」
「……!!! ご、気がつかれましたか?! 良かった……」
こんな理不尽な形で人殺しにならずに済んで、本当に、本当に良かった。
涙さえ零れそうになりながら、パメラが彼の傷口を確認しようと手を伸ばした、その瞬間だった。
――バチィィン!!
けたたましい音とともに、痺れるような痛みが手に走った。そして、ぞっとするほど低い声が響いた。
「お前は何者だ? 俺に何をするつもりだ!!」
「は?」
「看病したという免罪符で、何を毟り取るつもりだ? 軽々しく触るな。お前のような下賤な女に……」
「ちょっと、聞いていれば」
命を救ってくれた恩人に向かって、何が何ですって?
パメラの額に青筋が浮かび上がった。そして。
――ボガッ!!!
たった今昏睡状態から目覚めたばかりの病人の顔面に、渾身の拳を叩き込んだのは……ええ。若気の至りというか、不可抗力だったと思いたい。そのせいで彼は丸一日起き上がれなくなり、その時点から少々頭のネジが飛んでしまったようなのだから。
けれど、先に喧嘩を売られて、笑顔で見過ごせるほど私はお人好しではない。
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