#01.
長い冬が終わり、瑞々しい新芽が芽吹く季節。カマリード王国では、春の訪れを告げる王国最大の宴が催されていた。春風に乗って運ばれてくる花の香りが濃い。
カマリードは平和な王国であり、平和な王国らしく貴族たちには大したゴシップもなかった。いつもと変わらぬ平和で退屈な宴がたけなわを迎えた頃。
その言葉が響き渡った。
「パメラ・アレルグ。無能なばかりの悪女であるお前との婚約は、これ限りで破棄とする」
正常な人間とは思えないほど愚かで脈絡のない言葉に、先ほどまで興にのって踊っていた人々は、信じられないという視線で夜会会場の中央を見つめた。
会場の中央には、三人の男女が立っていた。
一人は、王家の象徴である銀髪を一つに結わえて垂らした王太子、ルシアン・ベルウェン・カマリード。
もう一人は、ルシアンに抱きしめられたまま、か弱く身体を震わせている平民出身の聖女、オフィリア。
そして最後の一人は、王太子の婚約者であり、衝撃的な宣告の当事者であるアレルグ侯爵令嬢、パメラだった。
最初にその言葉が響いた時、パメラは自分の耳を疑わざるを得なかった。
婚約破棄だの、身分差を乗り越える愛の物語だのという馬鹿げた小説の類いなら、パメラも耳にして知っていた。
最近では貴族たちの間でも流行っており、分不相応な婚約破棄騒動が起きているということも。
しかし、まさか他の誰でもない王太子が、このような身の程知らずな話を切り出すとは夢にも思わなかった。
(それにしても……この馬鹿王太子、今なんて言ったかしら?)
『無能なばかりの悪女』ですって? 私が?
呆れ果てて笑いしか出てこなかった。確かにパメラには魔法の適性がなかったため、魔法に関することなら無能と呼ぶこともできた。
しかし本来、貴族に必要なのは魔法の才能などではなく、政治や経済といった帝王学の才能であるはずだ。
王族のくせに魔法の才能しか持たない無能な王太子のために、魔法以外のすべてに長けていたパメラが、望みもしない王太子の婚約者に据えられたのではなかったか。
十年。十年の間、王太子の代わりとして、無理やり帝王学を叩き込まれなければならなかった。
罪がなくても毒を煽って耐性をつけねばならず、少女としての人生など存在しないほど過酷な教育を経てきた。
そんな私に向かって、何? 無能?
「誰が誰を見て無能などと言っているのやら……」
「何だと?」
思わず口から漏れ出た冷笑に、ルシアンの眉が跳ね上がった。
(はあ、お話にならないわ)
不敬罪にあたることは分かっている。だが、怒りが頭のてっぺんまで達したパメラにとって、そんな法などどうでもよかった。このような公開の席で婚約を破棄された時点で、パメラに未来などないのだから。
歪んだ笑みを浮かべたパメラの視線が、馬鹿王太子を通り過ぎ、頭の中がお花畑の聖女へと向けられた。
「お利口な王太子殿下におかれましては、無能な私の代わりに、猿と比較しても遜色ない聖女をお選びになる、ということですね?」
「パメラ・アレルグ!!! 正気を失ったのか!? よくも王太子と聖女に向かってそんな……」
「正気を失ったかですって? ええ、失ったわよ! あんたみたいな奴のために十年間も泥をすすってきたの。このクソ忌々しい国をまともな形に保つために、ありとあらゆる努力を尽くしてきたのよ!!」
ルシアンの言葉がかき消されるほどの怒声で、パメラが叫んだ。
「それなのに、何が無能よ? 来る日も来る日も、何の意味もない魔法の勉強(笑)にうつつを抜かし、女漁りばかりしていたあんたのような男が、よくも私を無能呼ばわりしてくれたわね?!」
国民に向けた演説のために、喉から血が出るほど練習したあの発声法を、まさかこんな場所で使うことになるとは。
パメラは自分の髪に飾られていた、王太子の色をあしらった装飾品を荒々しく投げ捨てた。
目に血走ったパメラの姿に、その場にいた貴族の誰も口を挟むことができなかった。
いや、退屈極まりなかった夜会をぶち壊す刺激的なゴシップに、誰も口を挟もうとすら思わなかった、と言うべきだろう。
いっそ好都合だ。どうせこうなったのなら、胸の内に溜まった言葉をすべて吐き出し、華々しく散ってやろう。
「あんたが足りない頭をしているのは知っていたけれど、ここまで救いようのない大馬鹿者だとは思わなかったわ。おめでとう。知性のレベルがよく似た間抜け同士、せいぜい仲良くお幸せに暮らしなさいな。ほら、拍手でもしてあげましょうか?」
言い放ったパメラは、嘲笑しながらパチパチと手を叩いた。遅れて駆けつけた騎士たちが彼女を拘束し、独房へと連行していくまで、パメラの拍手が止むことはなかった。
あの忌々しい王城での夜会以降、パメラの没落は瞬く間に進んだ。
カマリードでは、不敬罪を犯したからといって処刑にまで至ることはない。しかし、他でもない王太子を公衆の面前で侮辱した彼女は、身分を剥奪されたうえで追放令が下され、彼女の実家もまた侯爵家から伯爵家へと爵位を降格された。
だが、パメラにとっては心底どうでもいいことだった。とっくの昔にパメラを王宮へ売り飛ばした家族とは、会話一つ、食事の一度すら共にしたことがなかったのだから。
まともな服の一着すら与えられないまま、辺境へと追い出される道中。パメラは一歩一歩を踏みしめるたびに、王国を憎悪し、家族を怨み、世界の破滅を祈った。
「こんな世界、みんな死に絶えて、手の施しようもないほど滅びてしまえばいいわ。ああ、クソ。神とやらは何をしているのかしら。こんな世界、さっさと滅ぼしちゃいなさいよ」
パメラは、この世に神など存在しないと信じていた。
しかし、このクソッタレな世界には、どうやら神という存在が実在していたらしい。
その年の冬。カマリード王国の北東部に位置する魔物の国で魔王が復活し、王国は壊滅に近い被害を被った。
どこへ行っても死体の山が築かれ、暴走した魔物が氾濫し、世界は文字通りの阿鼻叫喚に包まれた。
(滅びろと祈ったからって、本当に滅びる奴があるの?!)
ようやく平民としての生活に馴染み始めたというのに、舞い戻った災厄は、再びパメラに試練を与えた。
(ああ、クソ神様。復讐だの何だのはもう一切要りません。二度と生意気なことも考えませんから。だからお願い、お願いですから世界を元に戻してください)
やはり、神は本当に存在していたのだろうか。
永遠に終わらないと思われた凄惨な災厄は、春の新芽の訪れとともに、突如として終止符を打たれた。
名もなき勇者パーティが、魔王を討伐したのだ。
瞬く間に、世界は平和を取り戻した。
(本当に……神様がいるのかしら?)
おそらくすべては偶然だったのだろう。この世界を怨む人間など、足元に転がる石ころと同じくらい無数にいるし、魔王の復活もまた、ある程度予見されていたことだったのだから。
それでも、神に祈りを捧げたあの日以来、パメラはできるだけ殊勝な心持ちで生きようと努めてきた。二度と神に縋って祈るような真似はしない。
二度と、煩わしい出来事に巻き込まれて世界を怨むようなこともしない。
(……なんて考えていた時期が、私にもありました)
やっぱり、この世界は滅びた方がいい。いや、世界ではない。目の前でへらへらしている、このクソおっさんが滅びればいい。
(ああ、忌々しい神様。嫌なら言葉でそう言うか、いっそ私を殺しなさいよ。一体なぜ、こんな悪質な試練を私にくださるのですか?)
いつか私が死んであんたに拝謁することがあれば、間違いなくその喉仏を肘打ちで粉砕して差し上げます。
呪詛に満ちた言葉を頭の中で吐ききり、大きなため息をついていると、彼女の家に寄生している泥棒の塊のようなおっさんが、ソファにだらしなく寝そべったまま言った。
「パメラ。俺、お腹空いた。ご飯まだぁ?」
寝そべっているクソおっさんの脇腹にエルボーを叩き込んだパメラは、満面の笑みを浮かべて彼に告げた。
「ご飯を食べたいのなら働きなさい。この穀潰し」
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