#17.
数多くの歴史書に記録されている、ありふれた物語だった。
「必ず成功して、お前を迎えに来るから」という約束を交わして旅立つ恋人。
故郷に一人残された者は、いつまでも変わることなく恋人を待ち続ける。魔王復活の知らせに震えながらも、どうか無事でいてほしいと祈りを捧げる日々の中、勝戦の報せとともに、恋人が英雄になったという噂を耳にする。
もうすぐ帰ってくるだろうか。帰ってきてくれるだろうか。帰ってこなくてもいいから、どうか無事でいてほしい。
1年。また1年。何年が経っても恋人は戻らず、女はただ一人で彼を待ち続ける。
「帰りたがっていたんだ。もう少し頑張れば、今年こそは帰れるだろうって」
帰れないのなら、今度こそ絶対に彼女を連れて王都へ行こう。危険だとしても、守り抜く自信はあるから。
故郷を離れて5年。魔王を討伐してからは3年。勇者パーティーの魔導士であり『賢者』と称えられていたエリドが故郷へ戻ることになったのは、8年という歳月が流れた後だった。
ずいぶん長く待たせてしまったな。だけど、彼女ならきっと俺を待ってくれているはずだ。
仮に待ってくれていなかったとしても、元気な姿を見せてくれればそれでいい。
そう願いに願いを重ね、勇者パーティーは成功して帰ってくるという約束を果たすため、自分たちが暮らしていた村へと向かった。
しかし、彼らを待っていたのは、廃墟と化した村と、腐り果てた死体の山だった。
葬儀を執り行う者すらおらず、惨たらしく破壊された村。
「いっそ魔物の仕業だったなら、理性を保てただろう。だが、魔物の仕業ではなかった」
体が戻れないのなら、せめて心だけでも、最低限の支援だけでも届けたいと、村に物資を送ったことが仇となった。
魔王の復活によって、住処を失った農民が溢れていた。勇者の治世に安座した国王は、民を顧みることなく自分たちの安泰だけを貪り、年を追うごとに、世界は荒んでいく一方だった。
しかし、勇者パーティーの誰も、その事実を知らなかった。
「目の前にいる、名も知らぬ者たちを救おうと躍起になった末路さ」
何もない村に送り届けられた潤沢な食糧と、高価な織物は、盗賊たちにとって格好の餌食だった。
腐敗した死体は、どれ一つとして五体満足なものはなかった。男たちの衣服は血に染まり、女たちの衣服は引き裂かれ、暴行された生々しい痕跡が残されていた。
老人や子供さえ生き残れなかった地獄の中で、エリドは狂ったように自分の恋人を探し回った。
そして……。
見るに堪えないほど、見る影もなく無残な姿で息絶えている恋人が、エリドの視界を埋め尽くした。
エリドが闇に墜ちるのは、当然の帰結だった。彼を止めるため、残されたパーティーメンバーは命を懸けて戦った。英雄である彼に、他人の命を奪わせるわけにはいかなかったから。文字通り、命を懸けて。
「ミリアも、ゲイルも、エリドに殺されたよ」
仲間の犠牲によって、かろうじてエリドを食い止めた。だが、それに何の意味があるのだろうか。すべてを失ったベインは、ボロ雑巾のような有様で王城へと帰還した。
もう二度と剣を握ることはできないと思い、すべてを投げ出すために、最後に王城へ向かった。
しかし、国王はベインの引退を認めなかった。
「勇者が健在なら、パーティーメンバーなど誰でも構わぬではないか、と言われたよ」
ベインの顔に、虚ろな笑みが浮かんだ。パメラは何も言わず、紡がれる言葉に耳を傾けていた。
むしろ好都合だ、この機会に『平民』ではない者をパーティーに入れろ、と王は命じたという。
自分をパーティーに加えてくれと群がる無能な貴族の令息、恋人にしてほしいとベッドに忍び込んでくる不気味な貴族の令嬢。
このままここにいては、自分もエリドのように狂ってしまう。最後に残った理性をかき集めて王城を脱出したベインは、死に場所を求めて彷徨い、彷徨い続けた。
彼と仲間たちが命を懸けて救った世界は、美しく輝く場所なのだとばかり思っていた。他人を助けるのが当たり前で、痛みに共感し合える世界だと信じて疑わなかった。
勇者となって初めて歩く王国は、絶望の淵にいたベインをさらに深い絶望へと叩き落とすに十分な場所だった。峠を一つ越えるたびに出没する盗賊たち、宿屋の部屋でさえ安心できないほどに荒廃した治安。
捨てられた子供たちはゴミ箱を漁り、女たちは娼館で身を売る。
勇者が現れたところで、世界は何一つ変わりはしない。むしろ、魔物が消え去った穴に這い出してきた人間の利己心が、世界をさらに濁った色へと染め上げていた。そうして死に場所を求めて足掻き、彷徨っていたベインは、パメラに出会った。
「みんなが死んでから、生きている心地がしなかった。死ぬ日だけを願っていた時に、お前に出会ったんだ。お前と一緒にいると、俺は生きている実感が湧いたし、生きていてもいいような気がしたんだ」
「……」
「このまま平穏に暮らせるなんて思っていなかった。だけど……」
ベインが苦しげに息を吐き出した。彼は震える手で、パメラの両手を握りしめた。祈りを捧げるかのように、彼女の手を自分の額へと押し当て、ベインは問いかけた。
「パメラ。苦しいんだ。俺はどうすればいい? 英雄になんて戻りたくない。だけど、俺が戻らなければ、罪のない人たちが死ぬ」
ベインの問いに、パメラは何も言わず、ただ彼を見下ろすだけだった。短い沈黙が二人の間に降りたのも束の間、やがてパメラはベインの手から、するりと自分の手を引き抜いた。
彼女の小さな手が離れていくと、心の片隅を抉り取られたかのような痛みが走った。いっそ言葉で拒絶してくれればいいものを、行動で拒絶される方が、より深く胸に突き刺さる。
力なく手を下ろしたベインが、その場から立ち上がった。いや、立ち上がろうとした、その時だった。パメラが両腕を大きく広げたかと思うと、ベインの頭をわらっと抱きしめた。
均衡を失った彼の顔が、彼女の胸元に埋もれる。耳元で聞こえる心臓の音が、まるで生きていることを証明するかのように、規則正しく打たれていた。
一定に刻まれる心音の向こうから、彼女の静かな声が続いた。
「あんたの答えは、しかと受け取ったわ。戻りたくないのなら、戻らなくていいわよ」
「だけど、俺が戻らなければ……」
「構わないわ。その部分は、私が解決してあげるから」
「解決って、一体どうやって……」
ベインの問いに、抱擁を解いたパメラが彼を見つめ、口元を綺麗に歪ませた。紛れもなく美しい微笑みであるはずなのに、どこか冷徹で不気味に感じられた。立ち上がったパメラが、ベインに向かって手を差し伸べながら言葉を紡いだ。
「言ったでしょう? 代金を請求する相手は、他にいるって。どうせこうなったのなら、あんたと仲間たちが受け取るべきだった取り分まで、きっちりたっぷりと毟り取ってあげましょ」




