#10.
遅い夜から降り始めた雨は、夜明けになっても絶え間なく降り注いでいた。まだ目を覚ますには早い時間、窓枠に打ちつける雨音を聞きながら、パメラはゆっくりと目を開けた。
(あぁ、身体がだるいわ……)
早く起きて、昨日作りきれなかった商品を追加製造しなければならないのに、降り続く雨のせいか、あるいはズキズキと疼く足の痛みのせいか。いつもより起き上がるのが容易ではなかった。
眉をひそめたまま、雲に覆い尽くされた空を見上げていたパメラは、起きたくないという雑念を振り払い、身体を起こした。
彼女がちょうど洗顔を終え、寝間着を着替えようとした、その時だった。
「パメラ、起きた……」
「きゃっ?!」
ノックもなしに扉をバッと開け放ったモップ……いや、ベインの姿に、パメラは思わず悲鳴を上げた。
ベインもまさかパメラが着替えている最中だとは思わなかったのか、一秒ほど硬直したのち、慌てて扉を閉めた。
「す、す、すまない!!! 本意じゃなかったんだ!」
当然、本意ではないでしょうね! これが本意だったら粛清ものなのだから!
「朝から何事ですか?」
驚いたパメラが上着を胸元に抱え、扉を睨みつけながら問い詰めると、閉まった扉の向こうからベインの焦った言い訳が続いた。
「在庫が切れた商品を作るなら、早く起きなきゃいけないと思ってさ。静かだったから、起こしに来ただけなんだ」
「ベイン。『ノック』という言葉をご存知ですか? そのうえ、起こすためとはいえ、外の男が淑女の部屋に躊躇なく入ろうなどと考えるのが、筋が通っているとお思いですか?」
「……本当にすまない」
どうやら彼の辞書には、ノックという言葉も、最低限の常識も存在しないらしい。
(はぁ、あんな奴だと分かっていながら、家に置いておいた私が悪いのよね)
首を横に振ったパメラが素早く着替えを済ませて扉を開けると、肩をがっくりと落とした巨漢の男が正座しているのが目に入った。
「何をしているのですか?」
「……謝罪」
(このおっさんは、正座さえすればすべてのことが解決すると思っているのかしら?)
もちろん、今回の件は悪意があってしたことではないので許してあげるつもりだが。どうやら許しの基準を、もう少し厳格に設けた方が良いかもしれない。
腕組みをしたままベインを見下ろしていたパメラが、当てつけのように深くため息をつくと、彼の肩がビクッと跳ねた。
「善意からの行動ですし、素肌を見たわけでもありませんから、一度だけは目をつむってあげます。二度目はありませんよ」
「うん。本当にすまない。二度とノックなしに部屋の扉を開けたりしないよ」
「できることなら、入ってくること自体を控えていただきたいのですが」
「う、うん……できるだけ入らないようにするよ」
「結構です。では、移動の邪魔になるので少し退いてくれませんか? 体格が無駄に大きいのですから」
「すまない……」
巨漢のベインを足で押し退けようとしたパメラは、自分の足に巻かれた包帯を自覚して動きを止めた。ベインの瞳がパメラの傷口へと向かう。
(あっ)
彼の視線に込められた意図を察したパメラが一歩後ろへと下がったが、ベインの行動の方が一枚上手だった。立ち上がると同時に、パメラを軽々と抱き上げたのだ。
「抱き上げてくれなんて頼んでいませんが」
「足が痛いだろ。こういう時は動きを最小限に抑えないと、早く治らないよ」
「それは筋肉を痛めたり、骨折したりした時の話でしょう?」
「下手に歩き回って傷口が開いたりしたらどうするんだよ」
確かに、中途半端に深い傷ほど、より注意を払うのが正しい。けれど、心配なら肩を貸して支えてくれればいいじゃない。彼の辞書には『肩を貸す』という言葉もないのかしら?
(はぁ、面倒くさいわね)
この状況で降ろしてくれと言ったところで、降ろしてくれるはずがなかった。だからといって不機嫌になればパメラの損になるだけなので、単に楽な移動手段を手に入れたと考えて、身を委ねることにした。
パメラが大人しく従ったため、ベインは嬉しそうに目を細めた。
「パメラ、ありがとう」
「急に何ですか?」
「俺の我儘を聞いてくれているだろ」
「あら? 我儘だと自覚はあったのですね」
「うん。それに、お前なら聞いてくれるって分かってたから」
ベインの言葉に対し、パメラは返事をする代わりに彼の頬をぐーっと引っ張った。おっさんの割には、かなりよく伸びる頬だった。
「ふぁへら? ふぉるを……(パメラ? 何を……)」
「ろくなことを言わないこの口を、少し黙らせたくなりまして」
「あふぁ……(痛い……)」
「痛がらせるためにやっているのですから」
痛がっている割には、痛いフリすらまともにしてくれないところを見るに、ただの厳しぶっているだけのようだ。反省もしていなければ痛がりもしないので、体罰の意味がない。パメラが彼の頬から手を離すと、ベインが尋ねた。
「終わった?」
「ええ」
「早く終わったね?」
「引っ張っていたところで、私の手が痛むだけだと思いまして」
パメラの淡々とした返答に、ベインは肩をすくめたまま階段をすべて下りきった。階段のすぐ下にある調剤室の前に立つと、ベインは慎重に彼女を降ろした。
「ありがとうございます。おかげで楽に移動できました」
「うん。でも……パメラ」
「何ですか?」
パメラがまさに調剤室の扉を開けて入ろうとしたその時、彼が彼女の名前を呼んだ。パメラが何事かという表情で振り返ると、ベインはもじもじしながら言葉を続けた。
「商品を作り終えたら、食事をする時間がないだろ……朝食はどうするんだ?」
「朝食ですか? うーん、どうしましょうね」
ベインの言う通り、必要な商品を調剤していれば開店時間になってしまうため、食事を作る時間はない。
だからといって、昨日の夕食も抜いたのに、今日の朝食まで抜くのは……パメラはともかく、あの穀潰しが耐えられるはずがなかった。
(うーん。今、何か作っておくべきかしら?)
腕組みをしたパメラが考えに耽っていると、ベインが恐る恐る尋ねてきた。
「俺が作ろうか?」
「はい? ちょっと、貴方、料理ができるのですか?!」
「食べられる程度にはね。上手くはないけど」
「まあ……」
料理ができるなんて! これは加点がかなり高い。実はパメラは料理をそれほど好まないため、料理をしてくれる人がいればいいのに、と考えていたからだ。
「それなら、お任せします」
「うん。できたら迎えに来るよ」
調剤室と厨房との距離は、歩いて十歩にも満たない。それなのに、髭に覆われた顔いっぱいに嬉しそうな表情を浮かべるベインを見ていると、「自分で戻る」という言葉をどうしても口にすることができなかった。パメラは軽く手を振りながら答えた。
「分かりました。ありがとうございます」




