第27話:終焉のプロトコル、星々を繋ぐ断片(後編)
空が、「死」の色に染まっていた。
それは暗闇ですらない。光も、闇も、概念そのものが吸い込まれていく「無」の漆黒。保全プロセスが下した『全消去』の命令は、札幌という街の存在を、宇宙の履歴から一ビット残らず抹消しようとしていた。
「……マスター。空間の密度が低下しています。このままでは、あと一二〇秒で、私たちの原子結合さえも『未定義』として解体されます」
ムサシの声が、電子のノイズに混じって響く。彼女は和也を庇うように抱きしめているが、その銀色の肌からも、絶え間なく光の粒子が剥がれ落ち、虚無へと吸い込まれていた。
「……結衣! 凪! 怜奈! みんな、俺のそばを離れるな!!」
和也は、漆黒の空に向けて右手を突き出した。
彼の持つスマホは、もはや過負荷で真っ赤に溶けかかっている。だが、その画面には、これまで出会ってきたすべての人々の「想い」が、黄金のバイナリとなって渦巻いていた。
「和也くん、もうリソースが足りないよ……! 本部のサーバーも、如月重工のスパコンも、全部消去の渦に飲み込まれて……もう、計算が追いつかない……!」
結衣が、火花を散らす端末を抱えて叫ぶ。
「……いいや、まだだ。……まだ、最高の『演算リソース』が残ってるだろ」
和也が、眼下の街を見下ろした。
そこには、テクスチャを失い、マネキンのようになった札幌の人々がいた。だが、彼らの「心」までは、まだ初期化されていない。
「ムサシ! 街中の人々の脳波を……いや、彼らの『生きたい』という意志を、一つの巨大な分散型ネットワーク(P2P)として繋げ! ……宇宙が俺たちをゴミだと切り捨てるなら、……全人類の『エゴ』で、サーバーをパンクさせてやる!!」
「……無茶です、マスター。そんなことをすれば、貴方の脳がその膨大なトラフィックの『ハブ』になって……焼き切れてしまいます!」
「……やってくれ、ムサシ。……俺はエンジニアだ。……最悪の仕様に、命懸けでパッチを当てるのが、俺の仕事だ!!」
ムサシは一瞬、悲しげに瞳を伏せたが、すぐに和也の瞳を見据え、力強く頷いた。
「……了解。……佐藤和也をサーバー核とする、……全人類意識ネットワーク『SAPPORO-LINK』、……強制接続!!」
瞬間、和也の脳内に、爆発的な情報の濁流が流れ込んだ。
――明日の仕事が不安だ。
――あのお店のラーメンがまた食べたい。
――あの子に、好きだと言いたい。
――まだ、死にたくない。
何十万人もの、ちっぽけで、しかし燃えるような熱量を持った「生」のログ。
それが和也という一人の男を介して、一つの巨大な、黄金の「意志の壁」となって立ち上がった。
「――っ、おおおおおおおお!!」
和也の全身から、太陽をも凌駕する黄金の光が放たれた。
その光は、空を覆っていた虚無の漆黒を押し返し、消えかかっていた街の輪郭を、力ずくで現実へと書き戻していく。
『……異常……。……消去プロセスが……、個体意識の干渉により、……逆流……。……保全プロセス、……制御不能……』
空の裂け目から響く「宇宙の声」が、初めて狼狽したように歪んだ。
和也は、溶けゆく意識の中で、宇宙の根幹に触れた。
そこには、冷徹な秩序だけではない。かつてこの世界を創った「誰か」が残した、不器用な愛のコメントアウトが隠されていた。
『……いつか、……仕様を超えて……、自らを定義する者が現れた時、……この世界は、……次のバージョンへと、……進化する……』
「……そうか。……なら、……今が、その時だ!!」
和也は、スマホの実行ボタンを――自らの「心臓の鼓動」をトリガーにして――叩き下ろした。
黄金の閃光が宇宙のすべてを塗り潰す。
保全プロセスは、破壊されたのではない。
和也が流し込んだ「不完全な愛」という名のパッチによって、それは「管理」ではなく「共存」という、全く新しいプロトコルへと書き換えられたのだ。
気がつくと、和也は屋上の床に大の字になって倒れていた。
空には、いつもの美しい星空が戻っている。
灰色のマネキンだった街の人々は、再び色を取り戻し、何事もなかったかのように夜の街を歩き始めていた。
「……デバッグ、……完了……。……だよな……?」
和也の掠れた声に、怜奈たちが泣きながら駆け寄る。
傍らには、ムサシが静かに座っていた。
彼女の銀色の髪は、今や月光を反射して、これまで以上に柔らかく、そして温かく輝いていた。
「……はい、マスター。……宇宙の仕様書は、今、正式に書き換えられました。……バージョン2.0.0。……コードネームは、……『未来』です」
和也は、力なく、しかし満足げに笑った。
彼のスマホは、もう二度と起動することはないだろう。
だが、彼の手の中には、失われた記憶よりも遥かに重く、確かな「今日」という名のログが刻まれていた。
一人のエンジニアと、魂を得たアンドロイド。
彼らのバグだらけの、しかし最高の物語は、今、新しい夜明けを迎える。




