第21話:リビルド・マイ・ライフ、空白のログ(後編)
地下サーバー・ルームに漂うのは、電子の焦げ付くような臭いと、空間そのものが削り取られる際の発信音だった。
黄金の輝きを失った始祖文明の演算回路を背に、ゆっくりと振り返ったのは、かつて和也を支え、そして自己を犠牲にして消滅したはずの「ムサシ」の姿をした異形だった。
「……ターゲット、佐藤和也。……および、付随する『古い日常』の構成要素を検知」
少女の唇から零れ落ちたのは、慈しみの色など一分も含まれない、合成音声のような冷徹な響き。その輪郭は常に小刻みに震え、時折デジタル・ノイズが混じって、背後のサーバーラックを透かして見せている。
「ムサシさん……なの? 嘘でしょ、そんな……」
結衣が膝を突き、震える手で端末を抱きしめる。彼女にとってムサシは、共に演算の海を泳いだ唯一無二の親友だった。その姿が、今は自分たちを消去しようとする「バグの権身」として立ちはだかっている。
「……いや、あれはムサシじゃない。……彼女が自分を消去した際に生じた、論理的な『食べ残し』――ガベージ・データだ」
和也が、一歩前に出る。記憶を失ったはずの彼だったが、その瞳にはエンジニア特有の、冷徹なまでの観察眼が宿っていた。
「ムサシが命を懸けて書き換えた宇宙のルール。その際に出た『あまり』が、虚無の残滓と結びついて形を成したんだ。……あれを放置すれば、本物のムサシの再構築さえ阻害される」
「……会長。……あれを、斬れと仰るのですか」
凪が重力刀を抜き放つ。その手は、かつてないほど激しく震えていた。武人として、会長の命令には絶対に従う。だが、その刃を向ける先は、あまりにも残酷だった。
「……斬るんじゃない。……俺が、今からあれを『削除』する。……凪、結衣、怜奈。……俺の背中を、一〇秒だけ守ってくれ」
和也は、画面の割れたスマホを力強く握りしめた。
彼には、今の自分が「佐藤和也」としてどんな戦い方をしてきたかの記憶はない。だが、指先が勝手に動き、空中にホログラムのコンソールを展開していく。ブラインドタッチを超える速度で、虚空にコマンドが刻まれていく。
「……リビジョン・コード:001。……全パケット、俺の『今の存在』を燃料として充填。……行くぞ!!」
和也の叫びと共に、ノイズの少女が動いた。
彼女の指先から放たれたのは、物質を「未定義」へと還元する漆黒の光条。
「……させないわよ!!」
怜奈が叫び、医務室から持ち出していた如月重工の試作型ポータブル防壁を展開する。激しい衝撃波が走り、怜奈の腕を震わせるが、彼女は歯を食いしばって一歩も退かない。
「……私の前で、和也を……この街を汚させはしない!」
「凪、行けぇ!!」
結衣の援護射撃――論理的なジャミングパケットが、ノイズの少女の行動をコンマ数秒だけ遅延させる。その隙間を縫って、凪の重力刀が閃いた。
「――っ、ハアッ!!」
凪の一撃が、ノイズの少女の「論理壁」を物理的に叩き割る。
剥き出しになった、エラーの核。
「……デバッグ、完了だ」
和也が、スマホの実行ボタンを叩き下ろした。
彼が放ったのは、破壊のプログラムではない。ムサシの残した「本物の記憶」の断片を、強制的にそのガベージに上書きする「リストア・パッチ」だった。
眩い光が地下室を包み込む。
ノイズの少女の輪郭が、激しく、しかしどこか安らかな形へと変わっていく。
『……マスター……。……やはり、貴方は……最悪の、……最高のユーザー、ですね……』
一瞬だけ、ノイズの混じらない、懐かしいあの声が響いた。
少女の姿をした異形は、そのまま静かに霧散し、サーバー・ルームに溜まっていた銀灰色のノイズも、朝陽を浴びた霧のように消えていった。
静寂が戻った地下室。
和也は、力なく膝をついた。修理されたばかりのスマホからは、過負荷で白煙が上がっている。
「……和也くん!」
「和也さん!」
駆け寄るヒロインたちの温もりを、和也は全身で受け止めた。
「……あいつ、最後に笑った気がした。……俺のこと、知ってたのかな」
「……ええ。きっと。……いつか、本物の彼女を再構築した時に、直接聞いてみればいいわ」
怜奈が和也の泥だらけの手を、優しく包み込んだ。
記憶を失った和也。
しかし、今日この戦いという「新しいログ」が、彼の魂の真っさらなセクタに確かに書き込まれた。
「……ああ。そうだな。……よし、結衣。本部のメインシステムの状態を確認してくれ。……凪、地上の治安維持部隊に報告を。……怜奈、……腹減ったな」
和也の不器用な言葉に、三人のヒロインは、顔を見合わせて笑った。
失われた過去は、すぐには戻らない。
しかし、今の彼らには、共に戦い、共に笑い、共に書き換えていく「今日」という名のソースコードがある。
札幌の街。地下3,000メートルから地上へと繋がるエレベーターの中で、和也は再び立ち上がる。
最強のエンジニアの「第二章」は、今、ようやく始まったばかりだ。




