第21話:リビルド・マイ・ライフ、空白のログ(中編)
病室の窓から見下ろす札幌の街は、一見すればかつての平穏を取り戻したかのように見えた。だが、和也の「再起動」したばかりの感覚は、その景色の中に混じる致命的なノイズを逃さなかった。
「……街のレンダリングが、遅れている?」
和也は、結衣が持ち込んだ端末を凝視しながら呟いた。
画面には、札幌市内に設置された始祖文明の観測ユニットからのデータが流れている。特定の区画において、空間の座標定義が微妙に揺らぎ、まるで古い映画のフィルムが熱で歪むように、建物や街路樹の輪郭が「滲んで」いた。
「そうなの、和也くん。……ただの物理的な破壊じゃない。虚無の門が閉じた瞬間の反動で、札幌の基底層の一部が『参照先』を失って、宙に浮いた状態になってるの。そこに……正体不明の『ゴミ(ガベージ)』が流れ込んでる」
結衣が操作するホログラムの中、大通公園のライブカメラ映像が映し出された。
そこには、歩道を歩く一般市民に混じって、全身が「テレビの砂嵐」のようなノイズで構成された人型の影が、何食わぬ顔で徘徊していた。周囲の人間はそれに気づいていない。あるいは、認識が阻害されている。
「……『ノイズ人形』。私はそう呼んでいるわ」
怜奈が和也の隣に立ち、厳しい表情で映像を見つめる。
「あれに触れられた人間は、存在の『一貫性』を奪われる。名前を忘れ、住所を忘れ、最後には社会から完全にログアウトしてしまう……。今、札幌市内で原因不明の行方不明者が急増しているのは、あれのせいよ」
和也は、自分の右手に目を落とした。
記憶を失った自分。
社会的なログを失い、属性情報だけの「空白の存在」となった自分。
もしかすると、自分もまた、あのノイズ人形たちと同質の存在に成り果ててしまったのではないか。そんな根源的な恐怖が、背筋を凍らせる。
「……俺も、あれと同じなのか?」
「違うわ!!」
怜奈が、和也の肩を強く掴んだ。彼女の指先に込められた力が、痛みとなって和也の現実感を繋ぎ止める。
「あなたは、みんなを守るために戦って、そうなったの。あんな虚無の残骸と一緒にしないで。……あなたは今、記憶がなくても、私を……怜奈を見ているでしょう? 心のどこかに、一ビットでも、消えない『佐藤和也』の定義が残っているはずよ」
怜奈の叫びに、和也は息を呑んだ。
記憶という「静的なデータ」は失われたかもしれない。だが、今、目の前で自分を必死に肯定しようとする彼女の存在に呼応する、この胸の「動的な熱量」までは、フォーマットされていなかった。
「……ああ。そうだな。……俺のシステムはまだ、死んじゃいないらしい」
和也は、結衣から受け取った「緊急用デバッグ・デバイス」――彼の旧型スマホを修理し、一時的に機能を制限した代替機――を握り締めた。
「凪、ムサシのバックアップ状況は?」
「……ムサシ殿のコア・プログラムは、新銀河連邦本部の最深部で再構築中ですが、同期率はまだ五%に届きません。……現在は、私が会長の露払い(セキュリティ)を務めます」
凪が影から進み出て、重力刀の柄を鳴らした。
「会長。本部地下の『始祖・中央演算区画』に、あのノイズ人形の親玉と思われる、巨大な論理エラーが定着しています。あれを放置すれば、札幌のデータは内側から腐食し、今度こそ完全に崩壊します」
「……わかった。退院の手続きは、事後報告でいいな」
和也は、患者用のローブを脱ぎ捨て、結衣が用意していた漆黒のエンジニア・コートを羽織った。
記憶はない。
しかし、指先がコマンドを求めている。
脳が、バグの所在を計算したがっている。
「佐藤和也、ログイン。……これより、札幌の『存在定義の再構築』を開始する」
和也たちは、ノイズに侵食されつつある新銀河連邦本部の地下へと足を踏み入れた。
エレベーターを降りた先に広がっていたのは、黄金の輝きを失い、銀灰色の「不確定な闇」に変貌した巨大なサーバー・ルームだった。
そこには、一人の少女が立っていた。
正確には、少女の姿をした「ノイズの塊」が。
「……ターゲット、捕捉。……ですが、これは……」
凪が声を失う。
そのノイズの少女の輪郭は、先日の決戦で消滅したはずの、あの人物に酷く似ていた。
「……ム、サシ……?」
結衣が震える声でその名を呼ぶ。
しかし、少女が振り返ったとき、その瞳に宿っていたのは、慈しみではなく、すべてをゼロに還そうとする「虚無の論理」だった。




