第19話:帰還のプロトコル、綻びゆく青き星(中編)
――ゴォォォォォォォ!!
ヤマト・ムサシの巨体が、大気圏の分厚い壁を食い破り、紅蓮の摩擦熱に包まれる。
通常ならば、艦を包むシールドが熱を遮断し、滑らかな降下を実現するはずだった。しかし、今の和也たちの耳に届くのは、船体そのものが「存在すること」を拒まれているかのような、金属が軋む悲鳴と、論理回路が火花を散らす電子の断末魔だった。
「……空間抵抗が、異常すぎる! エリス、これは空気抵抗じゃないな!?」
和也は、激しく振動する艦橋のコンソールに必死でしがみついていた。
視界の端で、スマホの画面が明滅を繰り返している。表示されている外部環境データは、既に高度や気圧といった物理的な数値を放棄し、意味をなさない「NULL」や「エラーコード」の羅列で埋め尽くされていた。
『マスター……! 札幌上空の空界が、未知の「論理防壁」によって硬質化されています! 物理的な大気ではなく……地球の『描画ルール』が書き換えられています! 突入角度を誤れば、艦は大気との摩擦ではなく、論理の矛盾で砕け散ります!』
エリスが、自身の透過率を下げてまで演算能力を実体化へと回し、和也の前に巨大なホログラムの航路図を展開した。そこには、和也たちの「家」であるはずの札幌を覆う、巨大な漆黒の「傘」のようなドーム状の領域が映し出されていた。
「……札幌が、見えない。……私の如月重工ビルも、テレビ塔も、全部ノイズに飲み込まれている……」
怜奈が、震える手でモニターの映像を拡大した。
かつて彼女が愛した、秩序ある札幌の街並みはそこにはなかった。あるのは、街のシルエットをなぞるように立ち昇る、黒い陽炎。それは物理的な煙ではなく、空間そのものが「定義」を失い、情報が垂れ流しになっている残滓だった。
「……会長。……何かが来ます。……虚無の門から漏れ出たゴミではなく、もっと『明確な敵意』を持ったコードです」
凪が重力刀を引き抜き、艦橋の窓の外を鋭い眼光で見据えた。
雲海を突き破り、炎に包まれるヤマト・ムサシを迎え撃つように、下層から数千もの「銀色の棘」が放たれた。それはミサイルではない。始祖文明の防衛システムが「ロスト・バイナリ」によって汚染され、侵入者――すなわち、和也たちを『ウィルス』として認識し、排除しようとする「抗体プログラム」の物理実体だった。
「……俺たちがウィルスだって? 冗談じゃねえ。……ムサシ、ヤマト! 全砲門、ロック解除! 物理弾は使わなくていい、すべて『デバッグ・パッチ』を充填した粒子砲を叩き込め!」
『了解。……収束論理砲、チャージ一二〇%。……排除プログラムの矛盾を突き、その存在を『正常化』します』
ムサシの瞳が青く燃え上がり、巨艦の側面から放たれた虹色の閃光が、銀色の棘を次々と「霧散」させていく。
爆発は起きない。ただ、そこに存在した「攻撃」という定義が、和也の放つパッチによって「無害なノイズ」へと書き換えられ、雪のように空へと散っていく。
「結衣! 本部のメインサーバーへのバックドア、まだ生きてるか!?」
『……やってる、やってるけど……パスワードが書き換えられてる! しかもこれ、人間が考えたものじゃない……。宇宙の基底定数を使った、三二七六八ビットの動的暗号だよ……!』
結衣の指がキーボードの上で踊り、彼女の耳からは過負荷による微かな出血が見られた。
彼女は今、自分たちが作り上げた「最強の要塞」と、論理の深淵でチェスをしているのだ。
「……和也くん、ごめん……あと一分……一分だけ時間を頂戴! この『偽りの管理者』を引きずり出してみせるから!」
「一分だな、わかった! 凪、ムサシ! 結衣に指一本触れさせるな! 俺は……この『空の蓋』をぶち抜く!」
和也は、割れたスマホの画面に血まみれの指を這わせた。
彼が今から行うのは、ヤマト・ムサシという巨艦そのものを、一つの巨大な「侵入検知ツール」に変えることだった。
「……エリス、俺の脳の残りのセクタ、全部貸す。……ヤマトの艦首に、俺の『怒り』を全パケット乗せて叩きつけろ!!」
『……マスター! それは、貴方の記憶の断片を燃料にするということです! 下手をすれば、札幌に戻っても、貴方は怜奈様や結衣様を……』
「構わねえ! 忘れたら、またあいつらが『再インストール』してくれるさ。……行けぇぇぇ!!」
ヤマト・ムサシの艦首が、眩いばかりの黄金色に輝き、札幌を覆う漆黒のドームへと激突した。
空間が割れる音が、ブリッジの防音壁を突き抜けて和也の鼓膜を打つ。
黄金の光が、偽りの空を切り裂き、和也たちはついに「地獄」へと変貌した自分たちの故郷を見下ろした。




