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朝食を終えると、春人は一人で村を歩いてみることにした。椿は「付き添おうか?」と提案してくれたが、春人は丁重に断った。どこかで、独りになってこの村を見つめ直したかったのかもしれない。
春の日差しが、舗装されていない小道の砂利にやわらかく降り注ぐ。つい昨日までいた街の喧騒とはかけ離れた、静かで穏やかな空気が広がっていた。畑では数人の老人が作業をしていて、彼らは春人の顔を見ると手を止めて目を細めた。
「……あれぇ、春人坊じゃねぇか……」
「まさか、本当に戻ってくるとはねぇ……」
言葉の端々に、懐かしさと好意が混ざっていた。だが、もう一つ――期待、とも言えるような奇妙な熱も滲んでいた。
春人は苦笑を浮かべて、何人かには頭を下げた。
反発や敵意はなかった。むしろ、再会を喜ぶかのように受け入れられている。しかし、その柔らかさの裏に、妙な「待ち望んでいた感情」が漂っているのを春人は敏感に察していた。
「みんな俺が戻ってくるのを、期待してた……?」
囁くように口にした言葉は、誰にも届かない。
川沿いの道を抜け、昔よく遊んだ林道へと足を伸ばす。木々の背はあの頃よりも伸び、獣避けの柵がいくつか新しくなっていた。だが、土の匂いも、木漏れ日の揺れも、変わらない。
目を閉じると、真希の喧嘩腰な声や、楓の控えめな笑い声が耳の奥で蘇る。
あの春の日、子供は立ち入っては行けない神社へ行こうと話を持ち出したこと。止められながらも、意地になって家を抜け出したこと。
「……俺は、あの日から……」
あの日、自分が何を見たのかは思い出せない。それでも、あの場所に足を踏み入れたことで、すべてが変わってしまったことはわかる。
そして今――自分は、またここに戻ってきた。
ふと、林道の奥に目を向ける。まだ立ち入りが制限されているはずの神社への道へと続く、獣道のような細い山道が、今も変わらず口を開けていた。
鳥居の姿は、木々に隠れて見えない。けれど、そこにあるのだ。あの忌まわしくも美しい場所が。
「……行かないよ。まだ、あそこへは」
春人は自身にそう言い聞かせるようにして呟き、踵を返した。
帰り道、ふと立ち寄った集会所の前で、背筋を伸ばした老人たちがひそひそと話している姿を見かけた。春人が通りかかると、ピタリと会話が止まる。
「……あの子か」
「……やっぱり、生きて戻ってきたんだな」
やはりまた物珍しそうに向けられる村人からの視線と興味、関心。
春人は聞こえなかったふりをした。そうすることでしか、心のざわつきを抑えられなかった。
この村の空気は、変わっていない。
あの時と同じ。けれど、どこかが決定的にずれているようにも思える。
そしてそのずれてしまっている何かの中心に、自分自身がいる――そんな直感が、胸に引っかかっていた。




