3-7
村長宅を辞してから、春人は一人、夕暮れの道を歩いていた。日が傾きかけた空は、春の名残と夏の気配が入り混じった淡い朱に染まり、薄く伸びた影が足元に揺れる。懐かしいはずの村の風景も、今の春人にはどこか遠いものに思えた。
ふと、路地の先に人影が現れる。
髪を一つにまとめ、薄手のカーディガンを羽織った少女。
春人の足が止まる。
「……真希?」
声に出すよりも先に、目がそれを認めていた。
真希は、少し驚いたような顔をして立ち止まり、そして何かを飲み込むように目を伏せた。
「噂になってたけど、本当に帰ってきたんだ」
最初に口を開いたのは真希だった。
春人はうなずこうとして、喉の奥に詰まった何かを感じた。
「……ただいま」
それは、小さく震えるような声になった。
沈黙が、二人の間に生まれる。数歩の距離。けれど、その距離以上に、言葉にできない時間が二人の心を隔てていた。
「……あたし、会うの、ずっとやだと思ってた」
ぽつりと真希が言った。
春人は眉をひそめる。
「ごめん」
謝罪の言葉が自然に口をついて出る。しかし、それは何に対する謝罪なのか、春人自身もはっきりとはわからなかった。
「覚えてる? あの日、あたし、止めたんだよ。神社に行くなって。楓と二人で、何度も言ったのに」
真希の声がかすかに震えていた。
春人は黙ったまま、頭の奥であの日の夜を辿ろうとする。
けれど、やはり浮かぶのは、あの美しい花の残像だけ。真希の言葉も、涙も、必死に止めようとした叫びも、霞がかかったように曖昧で掴めない。
「記憶がないわけじゃないんだ。でも、あの日のことはよくわからないことばかりで……突然村を出ることになったのは俺が悪いけど、思い出せないことがあるんだ」
絞り出すように春人が言うと、真希は唇を噛んだ。
「……そっか」
彼女は笑ってそう言った。けれどその表情はどこかぎこちなく、悲しみとも怒りとも言えない、複雑な色を浮かべていた。
「でもさ、今度はちゃんと、儀式……受けるんでしょ?」
その言葉には確認とも、試すような響きとも取れるニュアンスが含まれていた。
春人は一瞬返答に詰まる。真希の瞳が、まっすぐに自分を射抜いてくる。
「……たぶん」
絞り出した答えに、真希はまた少しだけ笑って、視線を逸らした。
「そっか。……なら、いいや」
風が吹き抜ける。真希の髪が、春人の記憶の中の少女と同じように揺れた。
あの頃と変わらない部分と、変わってしまった部分が、痛いほど胸を締めつける。
「じゃ、またね。……バカ春人」
背を向けて歩き出した真希が、ぽつりとつぶやくようにそう言った。
春人はただその背中を見送ることしかできなかった。
彼女の肩越しに沈みゆく夕陽が、どこか寂しげに村の輪郭を照らしていた。




