3-5
鳥のさえずりが、うっすらと開いた障子の隙間から差し込む朝の光に溶け込むように響いていた。
春人は、布団の中でゆっくりと目を開けた。昨日、自分がこの部屋に通されたときのこと。眠れないまま布団に潜り込んだはずだったのに、いつしか……。
横を向くと、そこに人の気配はなかった。布団は少し乱れており、彼の隣で誰かが眠っていたことを示していた。
微かに甘く湿った香りが残っている。椿のものだと、すぐにわかった。
昨夜のことは夢ではなかった。
椿が部屋を訪れ、言葉少なに春人を慰め、そのまま肌を重ねた――。
春人は軽く頭を振って起き上がる。胸の奥に、言い知れぬ後ろめたさのようなものが残っていた。
だが同時に、あのときの椿の温もりは、ひどく心を救ってくれたのも確かだった。
「……昨日の俺、どうかしてたのかもしれないな……」
呟きは誰に届くこともなく、古びた柱に吸い込まれる。
春人は布団を整え、襖を開けた。古い家屋特有のひんやりとした空気が肌を撫でる。もう誰も起きていない時間ではないようだ。
床を踏む音が静かに響く中、彼は朝の支度が整えられた居間へと向かった。
居間にはすでに朝食の支度が整っていた。漬物、焼き魚、味噌汁、炊きたてのご飯。いずれも素朴な田舎料理だが、湯気とともに漂う香りが食欲をそそる。
「おはよう、春人君」
先に席に着いていた椿が声をかけてくる。彼女はいつものように柔らかい笑みを浮かべていたが、昨夜のことには一切触れなかった。まるで何事もなかったかのように振る舞うその姿に、春人は少しだけ肩の力が抜けたような気がした。
「……おはようございます」
口元を緩める余裕はまだなかったが、自然と頭を下げる。
その直後、戸が開き、楓が現れた。
春人の視線と、楓の目がわずかに交差する。彼女は少しだけ立ち止まり、それから小さく微笑んで見せたが、その笑みにいつものような無邪気さはなかった。
「おはよう、春人君。……ちゃんと眠れた?」
「うん。……まあ、それなりに」
会話はそれだけだった。
気まずい沈黙が一瞬流れる。だが椿が茶碗を並べ直すようにして声をかけた。
「さ、食べましょ。冷めると美味しくないからね」
ほどなくして村長も姿を現す。いつものように穏やかな態度で、「おう、おはよう」と春人に声をかける。
昨夜から村長の態度だけが、まるで時間を飛び越えたように全く変わっていないことに、春人は不思議な感覚を抱いていた。
四人で囲む朝食の卓。和やかで、どこか懐かしい雰囲気……のはずだった。
しかし、楓の視線はどこか泳ぎ、椿の言葉の節々には熱のような執着のような色が混じる。
「今日は村を案内してもらおうかと思ってるんです」
春人の言葉に、村長は嬉しそうに頷いた。
「そうかそうか。それがいい。あれから村も少しずつ変わってる。……けど、変わらないものも、あるんだよ」
春人は、村長の言葉に含まれた「何か」を感じ取った。だが、問いただすことはできなかった。
箸を口に運ぶふりをしながら、ちらりと楓と椿の顔を交互に見た。
楓は少しだけ俯き、椿は……どこかうっとりとした目で、彼をじっと見ていた。
昨夜のあの温もりが、まだ椿の中に残っているのかもしれない。
だが、春人はその目に、ただの情だけではない、何か強い想いを感じていた。




