表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『村ノ掟』  作者: 雨徒然
21/27

3-4


 村長宅の二階。廊下の奥、一番突き当たりの部屋の襖を椿がすっと開けた。


「ここ、使ってね。ちゃんと掃除はしてあるから」


 部屋に足を踏み入れた瞬間、春人は思わず足を止めた。そこには、どこか時間が止まったような静寂があった。


 整えられた布団、無駄のない配置の棚、簡素ながら使い込まれた机。どれも埃ひとつなく清潔だが、どこか生活感がない。


「……ここって」


「楓のお兄ちゃんが使ってた部屋よ」


 椿は淡々と言ったが、その言葉の裏に何か触れてはならないものがあるように思えた。


「もう使われてないのに、ずっと残してあるんですね」


「ええ。お父さんが……いまだに片づけようとしないの。まるで、いつか帰ってくるみたいに」


 春人は言葉を失った。

 部屋には、誰もいないはずの「気配」がまだ息づいているような、そんな不思議な重みがあった。


「疲れたでしょう? ゆっくり休んでね」


 椿はそう微笑んで襖を閉めた。



 春人は布団に腰を下ろし、しばらくぼんやりと部屋の天井を見上げていた。

 家具の一つ一つが、主の帰りを待っているように静まり返っている。


 楓の兄。椿の歳の近い弟だったか。

 春人の記憶の中にも、ほとんどその姿は残っていない。

 ただ、ある年の祭りの後、忽然と姿を消したという噂だけが、村の中で密やかに囁かれていた。


 春人は仰向けに寝転がり、まぶたを閉じた。

 だが、眠りはすぐには訪れなかった。


 部屋が異様に静かだった。耳鳴りがするほどに。

そして、どこか遠くで、微かに花が咲くような、かすかな音がした気がした。


 春人がようやく浅い眠りに落ちかけた頃。

 コン、コン、と静かなノック音が部屋に響いた。


「……春人くん、起きてる?」


 椿の声だった。


「……はい。起きてます」


 戸がゆっくりと開き、椿がひとり分だけの灯りを持って入ってくる。

 夜着に着替えた彼女は、昼間の印象とは違っていた。

 肩を落とした柔らかい浴衣。濡れた髪が背中に流れ、頬にわずかにかかった前髪の隙間から覗く瞳が、どこか影を宿している。


「ごめんね。夜遅くに」


「いえ、大丈夫です……」


 椿は遠慮なく布団の縁に腰を下ろした。

 春人のすぐそば。かすかに布団が沈む感覚が伝わってくる。


「……さっき、ちょっと顔色が悪かったから。心配になって」


「少し、昔のことを思い出して……それだけです」


「そう。無理に話さなくていいわ。春人くんには……いっぱい、辛いことあったものね」


 椿の言葉には、どこか慈しむような柔らかさがあった。

 だが同時に、そのまなざしの奥に、もうひとつの何かが潜んでいる気がして、春人は目を逸らした。


「私ね、春人くんが戻ってきてくれて、本当に嬉しいの」


 そう言って、椿はそっと春人の手を握った。

 指先が熱を帯びている。

 春人の心臓が、どくん、と音を立てた。


「……椿さん」


「覚えてる? 昔、私が春人くんの頭なでてたこと。小さな手で、ずっと私の後ろをついてきたの」


「ええ、なんとなく」


「ねえ、今はもう、私よりずっと背が高くなっちゃったね」


 椿はふっと笑い、春人の頬に触れる。

 その指先の動きは、姉が弟を撫でるものとは、どこか違っていた。


「……春人くん、大人になったんだね」


 その囁きと同時に、椿の身体が寄り添ってくる。

 春人は戸惑いながらも、その体温に抗うことができなかった。


 あたたかく、そしてどこか危うい。けれどもその夜、春人はそのまま椿を受け入れてしまった。

 母親に拒まれたことにより生まれた孤独感を埋め合わせるように。


 暗い天井を見上げながら、背中に椿の腕のぬくもりを感じたまま、春人はただ目を閉じるしかなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ