3-1
春の陽は、やわらかな光を地面に注いでいた。
山道を走る軽トラックの車体が、時折ゆっくりと揺れる。助手席に座る和泉春人は、窓の外に広がる景色を静かに見つめていた。遠くに続く木々の稜線、霞のようにたなびく朝靄、肌寒さの残る空気に春の匂いが混じっていた。
あの日と同じ風景。
けれども、どこか違って見えた。
止まっていた時間に、ようやく追いついたような。もしくは、取り残されたまま歩き出す場所に戻ってきてしまったような。
ハンドルを握る父は、いつものように無言だった。だが、春人はその静けさが、妙に居心地よく感じていた。
やがて、エンジンの唸りにまぎれて、ぽつりと父が口を開いた。
「……無理に戻らなくてもよかったんだぞ」
その声には、責めるような響きはなかった。ただ、淡々と、けれどもどこか心の奥にひっかかる何かを抱えたままの言葉だった。
春人は、少しだけ目を伏せて、窓に目を戻す。
木々の間から差し込む光が、ちらちらと車内を照らしては流れていく。まるで、過去の断片が浮かんでは消えるようだった。
「でも、戻るって言ったから」
春人は、そう答えた。
父がどう思ったかはわからない。だが、それ以上は何も言わなかった。口数の少ない人だったから、きっとその言葉にすべてを含んでいるのだろう。
やがて、村の入り口が近づくと、春人はふと視線を前方へ向けた。
そこにあったのは、6年前と変わらぬままの光景。古びた石段、苔むした鳥居、そして――低く張られたしめ縄。
まるで人を拒むように張られたその縄は、依然として不気味だった。
春人の中で、何かがきしむような音を立てる。
思い出そうとした瞬間、胸の奥に何かがざわりと走る。
頭の中に、花が浮かぶ。
淡い白、桃色、血のような紅。
柔らかく、美しく、それでいて、どこか禍々しい。
ーーああ、まただ。
それ以上は、何も思い出せない。けれども、花の記憶だけが、脳裏に焼きついたままだった。
春人が視線を落とすと、父がブレーキを少し踏み、速度を落とした。
「……まずは村長の家に挨拶していこうか」
春人は父の言葉に小さく頷いた。
すぐに実家へ戻るつもりだったが、きっと父は、あの家に対する春人のわだかまりに気づいていたのだろう。
母の、あの時の顔と言葉。
それを思い出しただけで、喉がきゅっと詰まる。
父のトラックが、緩やかな坂を下り、村長宅の前へと差しかかる。
変わらない門構え、そして風に揺れる小さな庭木。
春人の記憶にあるままの姿だった。
トラックが停車すると、父はサイドブレーキを引き、春人を見た。
「……さぁ、行くぞ」
それは、春人が自分の足で、6年前に止まっていた時間へと踏み出すように促す言葉だった。
春人は無言で頷き、ドアを開けて地面に足をつける。
その瞬間、風が吹き抜けた。春の、まだ冷たい風。
かすかに、花の匂いが混じっていた。
ーー俺は、ここに戻ってきた。
そう心の中で呟きながら、春人は村長の家の門をくぐった。




