表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『村ノ掟』  作者: 雨徒然
14/27

2-5


「出て行きなさい。今すぐにでも」


 母のその一言で、春人は立ち上がろうとした。

 だが、肩にかかる手がそれを止める。


 父だった。

 無言のまま、ただその手に、揺るがぬ力があった。


 春人は驚いて父の顔を見上げた。

 母もまた、思わず口をつぐんだように沈黙する。


「……春人は、俺が連れて行く」


 父の声は低く、静かだった。

 けれどその一言が、部屋の空気を一変させた。


「な、何を言ってるの。あなたまで……っ」


 母は声を震わせながら叫ぶように言った。

 だが、父はそれに一切動じなかった。

 母を真正面から見据えて、はっきりと告げる。


「春人は、まだ子供だ。誰かがそばにいてやらなきゃならない。だったら、父親である俺が行くしかないだろう」


 その言葉に、春人の胸が熱くなるのを感じた。

 信じられなかった。

 父が、自分のためにこんなにもはっきり言葉を紡いでくれるなんて。


(……そんなの、初めてだった)


 春人の記憶の中にある父は、いつも無口だった。

 家では母が話し、父はそれを黙って聞いているだけ。

 夕食の席でも、母の小言に頷くだけ。

 春人が悪さをしても、大きな声で叱ることは一度もなかった。


 ――わかってるな。


 それだけ。

 短い言葉と、ほんの少しだけ長くなる視線。

 父は、春人に向かって怒鳴ったことも、抱きしめたこともなかった。

 けれど今、父の腕はしっかりと自分の肩に置かれ、言葉は自分の未来を背負って語られている。


「……あなた、この村で生まれ育ったのよ? 掟の意味を知らないわけじゃないでしょう。父親だから?そんな理由で一緒に出て行くって、本気なの?」


 母が怒りを滲ませて言う。


「春人は掟を破ったのよ。神に背いたのよ。村を出るのは当然なの。なのにあなたまで……!」


 その言葉に、父の視線がゆっくりと母へと向けられる。


「……春人は、生きてる。生きて帰ってきた。だったら、俺たちの子として迎え入れるだけじゃないのか?」


 短く、だが強い。

 その一言に、母は絶句する。


「村の掟は十分に理解している。俺もこの村で生まれ育ったからな。受け入れられないのなら、それでもいい。けどな……」


 父の目は、春人をちらりと見た。

 そのまなざしには、言葉以上の想いが込められていた。


「こいつを一人にはしない。村にいられないなら、俺が責任を持って育てる。それだけだ」


 その言葉に、春人は初めて「父親」の顔を見た気がした。

 これまで無口で、何を考えてるかわからないとさえ思っていた。

 けれど、今この瞬間の父は、誰よりも真っ直ぐだった。


「一緒に来てくれ、俺たちと」


 父は、母に向かって頭を下げてそう言った。

 けれど、母は首を横に振る。

 その瞳には、怒りと恐怖と、そして哀しみが交錯していた。


「……行かない。わたしは、ここを離れない。離れられない……」


 母はまるで自分自身に言い聞かせるようにそう呟いた。

 それは、住み慣れた土地に縛られているというよりも――

 この村の信仰に、魂ごと縛られているような響きだった。


(――俺よりも、掟を選んだんだ)


 春人はその事実を、理解したくなかった。

 けれど、耳に届いた母の震える声は、それを否応なく突きつけてきた。


 春人は理解した。

 母はもう、自分の母ではなかった。

 いや、違う。

 母にとって、自分は母の子ではなくなったのだ、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ