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頭痛が静かに引いていく中、春人は父の腕の中で目を閉じていた。
けれど、意識ははっきりと残っていた。
まぶたの裏にはまだ白い花が焼きついていたが、耳に届く声は、次第に現実へと引き戻してくる。
「掟を破ったんだ。あの子は神域に足を踏み入れた……これは村の規律を揺るがすことだぞ」
険しい声が一つ、空気を割った。
「まだ子供だ。好奇心に勝てなかっただけじゃないか。だが、無事だった。むしろ、それが意味するものは……」
「意味? 意味って何だ? 掟は掟だ。子供だろうと掟を破れば罰は免れない」
「罰を与えるべきは、むしろ私たちではないのか? 神域の封じが甘かった……扉が開いていた。あれでは、子供でなくとも簡単に中へ入ってしまう……」
「誰かが開けておいたとでも言うのか? 何のために?」
沈黙と怒声が交互に押し寄せる。
焚き火の前で輪になった村人たちの顔が、炎に照らされて浮かび上がる。
誰もが険しく、固い顔をしていた。
その輪の中央からやや後方、木の幹にもたれかかるようにして、一人の男が腕を組んでいた。
――杜宮誠。村長であり、楓の父でもある。
村の中でも有力とされる家系の長であり、成人の儀を執り行う存在。
だが、彼はまだ一言も発していなかった。
鋭い視線を焚き火の奥に投げかけたまま、無言を貫いている。
その沈黙が、逆に議論の熱をさらに煽っていた。
「だがよ……もしあの子が、“選ばれた”存在だとしたら? あれだけの時間、神域にいて、無事に戻ってきた。花に魅入られ、なお、帰ってきた……」
「それは、神の加護を受けているということではないのか」
「神に触れた者が、ただ生きて帰るなど……昔から、そんな例はなかったはずだ」
「……いや。ひとつ、例外があった」
誰かがぽつりと呟いた。
瞬間、場の空気が微かにざわめく。
だが、すぐに誰かが打ち消すように言った。
「だからといって掟を曲げるわけにはいかん。次に、他の子供が同じ真似をしたらどうする?」
「ならば、このまま春人を村にとどめておくことの方が危うい――!」
口論はどんどん熱を帯びていく。
それは、春人自身のことを語っているはずなのに、まるで誰か他人の未来について論じ合っているかのようだった。
その中心にいるはずの春人は、父の腕に包まれたまま、ただ耳を澄ませていた。
父の腕は、強かった。
力任せではない、何かを守ろうとする意志のこもった力強さだった。
震えることも、揺れることもなく、両腕は春人の身体をしっかりと支えている。
その腕の中で春人は、小さく息を吸った。
(……どうして、こんなことになったんだろう)
心の中で呟いた瞬間、父の胸から微かに声が漏れた。
「大丈夫だ。春人……父さんが、そばにいる」
その一言が、焚き火のざわめきの中でも、はっきりと春人の耳に届いた。
父は、誰にも届かないような小さな声でそう言った。
けれど、それは確かな言葉だった。
優しさとも、覚悟とも違う。
春人を抱く腕には、自分の息子を守るという一点だけに全てを傾ける静かな熱が込められていた。
その時――
「……もういい」
沈黙を続けていた声が、焚き火の外から静かに割って入った。
杜宮誠、村長が、ついに口を開いた。




