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夜明けの後に  作者: 木之本 晶
徒然なる小話集 2
36/37

君がこの手を望むなら 4

 考え直せ、と言われた彼女は、最近では珍しく素直に反応を返していた。即ち。

「はあ?」

 というふうに、何とも間の抜けた、返事とも呼べないような返事をしていたのである。

「どうしたの、従兄様。ボケた?」

「まさか」

「変なモノ食べた?」

「そんなわけないだろう」

「じゃあ……」

 問答の相手は微かな苛立ちを混ぜて彼女を呼んだ。

「シェラン」

 彼女は息を吐いて、椅子の背にもたれかかった。指を組んでは解き、という動作を三回行って、瞬時には消化できなかった言葉の意味をゆっくりと噛み砕く。

「あれから考えてみたが、あの子をわざわざ俺に嫁がせる利点は少ない。セイルロッドに嫁がせてヴィランド夫人にするか、シュトラールに嫁がせてヴィルフォール夫人にするか。どちらも外交の要だ。エルフェならうまくやるだろう」

「それは貴方も同じ条件よ、ヴィシュアール公爵。貴方にはまだ後継者がいないという致命的な欠点もあるわ」

「前にも話していた通りにする。ユーディリアを養女に寄越せ。婿はビーレフェルトのロークディーンでどうだ」

 ふーんとシェランティエーラは肘を突いた。悪くない組み合わせだ。そして妥当な選択。実のところ、ヴィシュアール家の家督相続に関しては同じ事を考えていた。公爵位の継承権は複雑に絡み合っているが、ことヴィシュアールに関してだけは上位五名までは容易に名を挙げることができる――先々代ヴィシュアール公爵を兼任していた亡きクリスティエラ皇太后、その直系子孫の一筋である現在の直系皇室構成員、つまりシェランティエーラとその子供達だ。皇王ファナルシーズは引退間近(本人談)なので、当てにしない方がいいだろう。いずれにせよこちらに回ってくることに変わりはない。

「……ここまで伸ばしたんだったら、午後の会議の時で良かったじゃない」

 提示した期限である皇族会議は本日午後――開始まで二刻を切っていた。

「どちらを選んだところでソールの奴がうるさいだろう」

「ユディを養女にする話なら、あれはむしろソールの方が言い出したことなのよ?」

 そっちじゃない、と言い掛けたアルトレイスだが寸前でやめた。娘を嫁に出す男親の悲哀など、この従妹には理解できまい。

「そりゃあ、貴方にとってエルフェは娘みたいなものかもしれないけど。でもだからこそ、振るなら直接振ってあげてよ。次に進めないでしょ」

「確かに娘とも思っているが、そこまで甘やかすつもりはない。第一、振る振らない以前に、あの子は俺に何も言っていないぞ」

「…………告白してほしかったの?」

「違う」

 斜め上な解釈を披露してくれた従妹に内心脱力しつつ、アルトレイスは体勢を立て直した。引き摺られてはいけない。

「ヴィーフィルド皇女だぞ。最善の選択をすべきあの子が、恋情とも呼べないようなお粗末な感情に任せて馬鹿な真似をしでかすのを、黙って見てなどいられないだろうが」

 シェランティエーラは自身の髪を一房取って、くるくると指に巻きつけた。

「……てことは、好かれていることは知ってたのね」

「まあな。俺だけじゃなく、あの子と同年代の若いのは皆知っていると思うが。セイルロッドからもシュトラールからもラウリードからも抗議文が来た」

 まだちょっと直接対決する度胸がなかったらしい。しかし自分の長女は感情を隠せていなかったのか。育ちが育ちな自分でもあるまいし、とシェランティエーラは内心落ち込んだ。

「何て?」

「……エルフェの願いを叶えてやるべきだと、ヒヨッコがピヨピヨうるさいだけだ」

 思わず髪をいじる手を止めたシェランティエーラだった。「ヒヨッコがピヨピヨ」。この従兄にしてはなんて可愛らしい喩えなのだろう。三十七歳にしてようやくトゲトゲだらけだった何かが丸くなってきているらしい。なぜか視界が潤む。

「シェラン?」

「何でもないわ。……にしてもセディにシトリにラウル……なかなかやるわね」

「何をだ。あのヒヨッコども、最近生意気が過ぎる」

「…………従兄様が言えたことじゃないと思うけどね」

 生意気どころか二十歳前にして人の皮を被った悪魔だの、鬼畜だのと呼ばれ、挙句の果てには「絶対に敵に回してはいけない歴代皇族番付け」に三位入賞するという文字通り歴史に残る快挙を成し遂げている。知らぬは本人ばかりなり。しかし怖いのは、コレの上に来る人が、亡くなっているとはいえまだ二人もいることである。

「でもそういう事情なら、セディもシトリもエルフェとは嫌かしら」

 うーんと考え込み始めた従妹に、またかとアルトレイスは嘆息した。いつまで経ってもこの従妹はわからないらしい。自分達の間ではそんな――人間と同じような(・・・・・・・・)好悪の感情は意味がないこと。壊れてしまった、おそらくは修復不可能な彼女の一部。

 無駄だと分かっていても言ってやらずにはおれなかった。

「関係ないな。あれらもそういうつもりで言ってるんじゃない」

 シェランティエーラが怪訝そうに眉を顰めたとき、正午を告げる鐘が鳴った。



「貴方にしては良い心がけですわね、ヴィシュアール公爵」

「貴公はいつでも一言余計だな、ヴィルフォール公爵」

「あぁら、貴方程ではありませんわ」

 なぜか勝ち誇ったように笑うオルトリーエ。そんな彼女も今では二児の母なのだが、現在は母性をどこかに置き忘れてきたかのように高笑いしている。

「オリエったら、まだ話は終わってないわ」

「もう決まったも同然ではありませんか。後は皇女殿下の御目を覚まして差し上げるだけですわ」

 よほど今回の噂を腹に据えかねていたらしい。

「しかしオリエ、肝心の皇女殿下が納得されるかどうか」

「そうですわ。このままでは皇女殿下のお気持ちも収まらないでしょうし」

 昼休憩が明けてから始まった皇族会議は、他にも重要な議題があったはずなのだが、なぜか最初から皇女エルフェリーゼの結婚話に終始していた。今回の話はなし、という方向でだが。

「聞けば、イリアティーヌ殿下やユーディリア殿下へのお話も減っているとか」

「有象無象がせめて記念にと寄越した縁談など気にする必要は無い。何と言っても聖女猊下の姫君ぞ」

「選りすぐり過ぎて相手が一人もいない、なんて事態にならなければいいけどね」

 当の母親が漏らしたこの言葉には、「何を仰います!」が一斉に返ってきた。

「当家に嫁いで頂ければこれ以上の喜びはございませんよ」

「まあユリスディート、抜け駆けはなしとあれほど言ったではありませんの!」

 現クライネルト公爵が現エルヴェス公爵に扇で思い切り頭を叩かれたところで(べしっと非常に良い音がした)、沈黙を続けていた皇王ファナルシーズが片手を挙げた。

「皆それぞれに意見はあるだろうが、王としては此度の話、悪いものではないと考えている。アルトレイス、どうだ。今一度考え直しては」

 ヴィシュアール公爵は座ったまま、軽く頭を下げた。

「伯父上の仰せとあらば何度でも。ですが結論に大差はないかと」

「それほど嫌か」

「嫌というわけでは……」

 珍しく言いよどむ様子に、まさか、と不機嫌な声を出したのは大公ソルディースである。

「まさかとは思うが、イリアティーヌやユーディリアの縁談への影響など考えているわけではないよな? そんな理由でエルフェリーゼを拒否するのか」

「……お前、長女を嫁がせたいのか嫁がせたくないのか、どっちなんだ」

「相手が誰だろうと嫁がせたくなどないに決まっている。だがどちらにしても娘をお前に取られるのは決定事項なんだ。どうせなら意に沿うようにしてやりたい」

「ちょっといいかい弟よ。皇女殿下がアルと結婚したら俺達は義伯父と義父になるわけだが、そこのところ……」

 敢えて考えないようにしていたところを。

「兄上はいらんところを抉らないで下さい。何度も言いますが僕も積極的に娘を嫁がせたいわけではない」

 父としてはイロイロと苦渋の選択なのである。

「ソール。アルだって考えてのことだもの、いいじゃないの、結論がそうならそうで。それにあの子には断られたら諦めなさいって最初に言ってあるし。ていうかそろそろ他の議題もやっつけないと、夕食食べ損ねちゃうわ」

 公の言いだしっぺである皇太子本人が了承の意を示したことで、ひとまず事態は収束を見た――ように見えた。

「アル、貴方の言葉、一字一句全部あの子に伝えるけど、いいかしら」

「ああ。頼む」

 最後の最後のこの遣り取りが、まさか、母による娘への最後の機会を与えるためのものだとは、誰も思わなかったのである。



********



 数ヶ月――というほどでもないが、皇城の下層部分の噂も収まり、そこそこ日数が経ったある日の夜。

 第一皇女エルフェリーゼ=ユリアの成人の儀に沸き立つ皇都は、夜遅くまで煌々と明かりが灯っていた。去年も同じ光景が広がっていたのを思い出し、アルトレイスは覚えず微かに口元を緩めていた。

 開けられたばかりの酒を手酌で楽しむ。馥郁たる香りが漂う。今年の出来も悪くないと含むと、なめらかな舌触りと共にじわりと広がって滑り落ちていく。

 いくら祝いの席とはいえ、もう日も変わる。祝宴が始まって早々に最初のダンスをせがんできた、今日の主役の姪も寝付いた頃だろうか。姿は見えない。残っていた同胞に退出の挨拶を済ませて、今日はもう休もうか――。

 侍従を呼び出して湯の用意を命じ、用意された城内の客室へ向かう。こういう日は遅くまで残る皇族や高位貴族のために、城内にはいくつも客室がある。慣れない者には延々同じ風景が続いているようにしか見えないだろう。

「案内ご苦労。下がって良い」

「はい。お休みなさいませ」

 正直寝るだけの部屋なので寝台が一つあればいいのだが、そこはそれ、威信の問題もあって最低でも二間続きとなっている。もちろん水周りは別だ。

 堅苦しい礼装を脱いで湯を使い、用意されていた夜着に着替えた、までは良かった。


「……なぜここにいらっしゃるのです、皇女殿下?」


 いるはずのない少女の姿に、虚を突かれて固まったのは仕方がないだろう。

 自宅で言えば応接間にあたる部屋の真ん中で、所在無さ気に立っていた少女はくるりと振り向いてはっと顔を強張らせた。

 部屋を間違えたわけではなかろう。客室棟と後宮では建物そのものが違うし、両者の間には外壁がある。

「エルフェリーゼ殿下、こんな夜更けに一体いかがされました。女官はどこに」

 皇女がたった一人で佇んでいるという異常事態に対しては、正常な反応である。

「……置いて参りました」

「置いて、とは」

「一人で参りました。どうしても、お話がしたくて」

 何か切羽詰まった様子にただごとではないと判断したアルトレイスは、聞いてやるだけでもいいかと椅子を勧めた。自身ももう一つの、長椅子に座る。

「皇女殿下?」

 立ち尽くしたままの皇女に声をかければ、びくっと細い肩が揺れた。……そこまで怯えられるようなことをしただろうか。はて、と首を傾げるが思い当たる節はない。甥の方ならまだ心当たりはないではないのだが(ちなみにこれが一族外の者なら、そもそも反応など見ていない)。

「殿下、立ったままでは落ち着いて話などできますまい。どうぞお座り下さい」

 再三促すが、皇女はじっと立ったまま――かと思いきや、なぜか勧めた椅子を素通りした。

 どさり、と音がしたのは、唐突に肩を押されて踏ん張りきれなかったためだ。可愛い姪っ子に抱きつかれて振り払うという選択肢は、彼の中には存在しない。しかし末っ子ならともかく、長女がやるとは思ってなかったために対応が遅れた。

「エルフェ?」

 何やらきつく抱きついてくる姪の背中をぽんぽんと軽く叩いてやると、不意に体が離れた。見下ろされる。

「子供扱いなさらないで……!」

 子供っぽい行動をしたのはそっちだろうと反論する前に、もう一度顔が近付いた。羽が掠めるような一瞬、確かに唇が重なった。

 離れていく翠の瞳が、潤んでいた。泣くか、と伸ばした手を振り払われる。そして。

「……何をやっているんだ、エルフェ?」

「ご覧になってわかりませんか。服を脱いでいます」

 見れば分かる。訊きたいのはそこではない。先ほどの口付けの合間に香った酒精を思い出して、アルトレイスは眉根を寄せた。

「酔っているだろう」

「酔ってなどいません!」

 酔っ払いの言うことは皆同じである。やれやれと身を起こすと、また肩を掴まれて倒されそうになった。が、アルトレイスは本来軍人である。来るとわかっていて小娘一人受け止められないわけがない。結果として腕の中に迎える形となったが、逆に動きを封じることができるので好都合である。

「まず、服をちゃんと着なさい。話をするんだろう」

「嫌です」

 先ほどとは言い分が違う。しかし夜遅くとはいえ他人の部屋を訪うのに、皇女が一人で着脱できるようなドレスでいることがそもそもおかしい。最初からこのつもりだったのか。日付も変わろうかという時刻に来るから何事かと思ったが。

「縁談の件なら駄目だとシェランに言われなかったか」

「いいえ」

「何?」

 伝えると言ったのに、あの従妹はまた忘れたのだろうか。

「公爵のお言葉は伺いました。その上で、参りました」

「……エルフェ、あのな。俺はやめておけと」

 と、ここでアルトレイスは自分の、数週間前の言動の失態に気付いた。言葉を詰まらせた隙に、だって、と弱々しく胸を打たれる。

「だって……だって!」

 至近距離で、翠と藍の視線が合う。

「お嫌じゃないって!」

「……」

「と、嫁ぐ利点が……他と比べて同じくらいなら、若い方がいいだろうって……! わ、私がちゃんと、公爵をお慕いしていること、分かって頂ければ良いのでしょう!?」

 ――どんな伝え方をしたのか、何となく見えてきた。

 数年ぶりに従妹をすぐさま呼び出して半日ほど説教したい気分に見舞われたアルトレイスだが、今は取り合えず姪を落ち着かせることが優先だ。従妹には確実に謀られたが、姪の方は単純に乗せられただけだろう。

「だからといって、未婚の娘が親族とはいえ男の部屋に一人で来る奴があるか。帰りなさい」

「嫌です! わた、わたくし――『夜這い』とやらに来たのですもの! 朝まで帰りません!」

 確実に「夜這い」の意味を分かっていない。そして皇女たる彼女にこんな言葉を吹き込める輩など数えるほどなので、後日、彼女に余計なことを教えただろうヒヨッコ共は吊るされることが確定した。

「……エルフェリーゼ」

 姪が持つ自身と同じ色の、自身とは違う長い髪を撫でて、アルトレイスは溜め息をついた。

 一方のエルフェリーゼは、こんなはずではなかったのにと唇を噛んだ。もっと格好良く、大人の女性のように振舞って押し切るつもりだったのに。頭を撫でられ、背中を撫でられ、これでは幼い日とまるきり同じではないか。でも仕方がない。

 焦がれて止まない声に、あんなふうに名を呼ばれてしまったら、全部吹き飛んでしまった。

「こ、公爵は、私が誰に嫁いでも良いのでしょう!? それなら、貴方に嫁いだっていいではありませんか! 確かにお母様には、断られたら諦めなさいと言われましたけれど、でも、はっきりと嫌とか駄目とか、仰ったわけではなくて、やめた方がいいだなんてずるい言葉でお逃げになったんだわ! 私のことなど、真剣に考えるまでもないような些事と思っておられるんでしょう……!」

 とうとう肩を震わせ始めたエルフェリーゼは、もう涙が零れないようにするのに必死だった。

 この人を伯父様、と呼ばなくなったのはいつだっただろう。少しでも「従妹の娘」から抜け出したくて呼び方を変えても、この人は変わらなくて。

 わかっている。自分もずるかった。面と向かって想いを打ち明けて、否定され拒絶されるのが怖かった。だから母を盾にした。拒絶の言葉を直接聞きたくなかった。でも、せめてこれだけは。


「すき……好き、なんです……! 殿方としての貴方が!」


 愛してなんてくれなくていい。応えて欲しいとも思わない。

 利点がないなんて、狡い人だ。正面から言わなかったからこそ、そんな理由でかわされた。ならば今度こそ正面突破するまでだ。

 もう一度強引に触れた唇は、冷たくはなかったが熱くもなかった。見上げる彫像のような顔は、困ったような表情のまま。

「……お前は、父親に似たな」

 唇が離れた時に、言われた言葉がこれである。

「…………お父様に似た私では、駄目ですか」

「ああ」

 つ、と涙が流れるのがわかった。慌てて見られないようにと俯いたエルフェリーゼは、深呼吸した。次の言葉を毅然と発するために。

「わかり――」

「普段は冷静だが、いざとなると父親と母親の悪い部分が出る。危なっかしくて見ていられない。ヒヨッコに任せるのは早計だな。……まあ正直癪だが、乗せられる思惑がシェランとお前のものならいいだろう」

 さらりと髪を梳かれ、エルフェリーゼは信じられない思いで顔を上げた。

「……ほ……ほんとう、に?」

「別に本当ではなくてもいいなら冗談にするが」

 たとえ目の中に入れても痛くない可愛い姪っ子相手でも、こういうことを真顔で心の底から真剣に言うところが彼の彼たる所以である。

「それは嫌です!」

 今度は歓喜と共に抱きつかれ、アルトレイスは苦笑した。心情的には駄々をこねる子供を引き取る境地だ。よしよしと背中を叩く。

 ……これで終われば、話はまだ穏便に済んだだろう。彼はこのとき、徹底的に運というものに見放されていた。いや、ある意味では非常な幸運ではあったのだが。

「あ…………」

 長椅子の上で抱き合っている(正確にはエルフェリーゼが一方的に抱きついている)そのとき、二人のどちらのものでもない、第三者らしき者の声がした。エルフェリーゼの方は歓喜のあまり耳に入っていなかったようだが、アルトレイスはしっかりと聞こえていた。しかも、聞き覚えのある声だった。それも、非常にまずい人の。

「ま、まあ……ヴィシュアール公爵閣下。これは失礼致しましたわ。ほほほ。お邪魔して申し訳ございませんでした。あの噂は本当でしたのね。皇太子殿下もお人が悪いこと……」

 部屋を間違えたのか、壮年の夫人が扉を細く開けた向こうで一礼した。

「皇太子殿下からご伝言を預かっております。『責任は取ってね』だそうで。なるほど、そういうことでしたのね。おほほ……」

 小さく囁き、最後におほほ笑いをやはり小さく響かせながら去っていくその夫人は、社交界でも事情通かつ噂大好きな貴族夫人だった。ちなみにアルトレイスの母の信奉者。

「あ、こら、シレンシア夫人!? 何か誤解をしていないか! こらエルフェ、降りなさい!」



 翌日、新しい噂が皇城を――否、社交界中を席巻した。曰く。

 『第一皇女エルフェリーゼ殿下と、ヴィシュアール公爵アルトレイス閣下は、夜中に忍び合うほどの世代を超えた熱い恋仲である』――と。

 新たに流れたこの噂は、それから二日と経たないうちに激怒した大公がヴィシュアール公爵に決闘状を叩きつけたことで、更に信憑性を増した。

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