君がこの手を望むなら 3
その日の晩餐会は一族の定期報告を兼ねた食事会だったが、いつものように和やかに始まった。
五、六人ほどが座れる食卓がいくつも並び、料理は各自が大卓に用意された大皿から取り分けるという珍しい形態だったが、いつもとは違う趣向ということで皆目当ての相手と話したり、食事に集中したりと思い思いに過ごせているようだった。
大人達が小難しい話をしている横で、子供達が自分の周囲の近況を報告し合う。収獲が去年より少なめになりそうだ、飼っている犬に仔が生まれた、例の絹織物の件で交渉相手がようやく折れた……聞いているだけでも色々な情報が入ってきて飽きることがない。
「皆元気そうで何よりだ」
「本当に。子供達も大きくなって」
上座で微笑むのは皇王ファナルシーズと皇妃イリアーナだ。この二人も大概仲の良い夫婦だが、子供達としては皇太子夫妻ほどあからさまではないので文句はない。
「それでシェラン、お前の即位の件だが」
「お父様、もうちょっとお仕事続けません? 隠居してぼけーっと一日過ごすようになると、あっという間に痴呆になるそうですから」
「話を聞きなさい」
これもいつも通りの会話である。嫌だ嫌だを繰り返すシェランティエーラを宥めるのはソルディースで、これがまた身も蓋もない。
「シェラン、そうは言っても避けられないことだから」
「だってお父様ったらまだこんなに元気なのよ!? 大体お父様が即位されたのだって、結局私がエルフェを産んだ後だったじゃない! リオンはまだ結婚してすらいないのに」
「リオンの結婚はこの際関係ないだろう」
食卓を挟んで反対側に座っていたヴィシュアール公爵が酒杯を片手にくすりと笑った。
「皇子殿下のご婚礼に関しても決めねばなりませんね。相手について、とんと私の耳には入ってきませんが」
結婚させたくても相手がいないだろうという嫌味である。
「とはいえ伯父上とて、ジェレストール様が隠居なさってから寂しく思っておいでなのでしょう。セライネもオルソールも代替わりしてしまいましたし」
時代は着々と進んでいる。シェランティエーラはもう、と頬を膨らませた。三十四歳になった彼女だが、外見が恐ろしく若いので、まだこんなことをしても許容される。……基本的に実年齢より若く見えるのは皇族全体の特徴だが、二十歳以前で時を止めてしまったかのような彼女の外観はどこまで保たれるのかという意見もなくはない。ちなみに城内で密かに行われている賭けでは、参加者の六割が「これから老ける」、二割が「十年後も現状維持」、一割が「二十年後も現状維持」、残り一割が「実現したらコワいけど、秘密の力で若返る」に賭けている。
「何よ、皆私より年上じゃないの」
「この歳になってそれを持ち出すのもどうかと思うがな」
「この歳、ねぇ……そうよね、アルがお父様の前で余所行きの喋り方するくらいですものね」
「……含みのある言い方だな」
ふふふと笑ったシェランティエーラである。否定せず笑う彼女から、また何か用事があるのかとアルトレイスは酒杯を置いた。
「今度は何だ?」
「結婚してくれない?」
隣でソルディースとファナルシーズが酒に噎せた。さすがのアルトレイスもこれには予想外だったようで、青金石の双眸がこれ以上ないほど見開かれている。
「シェラン、何を言い出すのです」
叱責するように言ったのはイリアーナだ。当のシェランティエーラは、噎せる夫の背をさすりながらけろりと続けた。
「エルフェと」
「――却下だっ!」
答えたのは訊かれたアルトレイスではなく、ソルディースである。
「いきなり何を言い出すかと思えば……っ、げほっ、エルフェはセディかシトリかと、つい昨日話したばかりじゃないか!」
「だって、当の本人がアルがいいって言うんだもの」
「何!?」
血相を変えて目で娘を探し始めたソルディースである。父と娘の話し合いは置いといて、とシェランティエーラは従兄に向き直った。
「で、返事は? ヴィシュアール公爵」
「……本気か?」
「あの子? 私とソールと従兄様とで愛憎入り乱れた三角関係を妄想して、一人で泣き出すくらいには。小さい頃の初恋で終わると思ってたんだけど、まさか引き摺った挙句にこじらせちゃってるとは」
「待て、初恋だと!?」
「ソール、話が進まないからちょっと黙ってて」
「進めさせてたまるか。親より年上の男になんて――」
「あなたより一つ上なだけでしょ」
「年上には変わりない。父として看過できる話じゃないぞ」
「よくある話よ。親どころか祖父と孫みたいな年齢差で結婚しましたーなんて。ついこの間もどこかの公女がそれで嫁いだじゃない。うちだって家系図を紐解けばいくらでも例があるわ。むしろ気心の知れた相手なだけましじゃない」
それは……と反論を探す夫に、シェランティエーラは追い討ちをかける。
「エルフェに『お父様嫌い』って言われたって知らないから」
想像したのか、ソルディースはむっつりと黙り込んだ。
「……何と言われようとも、僕は反対だ」
「はいはい。それでアル、エルフェ相手に子供作れる? そこが一番重要なんだけど」
これにはファナルシーズが苦言を呈した。
「シェラン……もう少し言い方というものがあるだろう」
「どんな言い回しをしたって訊くことは変わらないでしょう」
問われたアルトレイスはというと、目を閉じて天を仰いでいる。どうも眩暈がするようだ。
喧騒が遠く聞こえた。
「……愛せるか、とは訊かないのか」
ぽつりと落とした言葉は、珍しく戸惑いが含まれていた。
「そこまで期待してない。期待しないようにあの子にも言ってある」
ばっさりと感傷を切り捨てるかのような返事に、苦笑する。
「信用がないな」
「女として見ることと、女として愛することは全く別の問題でしょう? アルがあの子をちゃんと愛してるのは知ってるわ」
それは親戚の娘へのものではあるが、確かに愛だった。誰も愛せないわけではないのだ。ただ、その種類と範囲が著しく狭いだけで。
「…………少し、考えさせてくれないか」
この返事はシェランティエーラにとっては意外だった。即答で諾か否かだと思っていた。
「……ええ、もちろん。でも次の定例の皇族会議には議題の一つとして上げるから、それまでに結論は出しておいてね」
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かくして、来月開催される定例皇族会議までは当人達を入れても極少数の者しか知らないはずのこの縁談は、なぜか瞬く間に皇城に噂として広がっていた。よくある話だが、晩餐会の給仕をしていた者が小耳に挟んで仲間内で話して盛り上がったのだろう。別に緘口令を敷かなければならないような話でもなかったので、皇王も皇太子も放置を決め込んだ。どうせ何も進んでない。
まさかそのせいで余計に城内の混乱を招くとは、誰も予測できなかっただろう。
噂とは尾鰭がつくものである。そして尾鰭がついた噂は、泳ぎ回るのが早くなる。そして噂を耳にした者の反応は、概ね以下の通りであった。
呆然とする者、五割。
「エッ……こ、皇女殿下がヴィシュアール公爵閣下と結婚!? あの二人、親子以上の年の差……」
「しぃっ。馬鹿、そんなの今まで歴史上いくらでもあっただろ! そこじゃない!」
号泣しながら机に突っ伏す者、二割。
「まじで!? いやだー、俺の心の癒し姫ー!」
「お前、不敬罪で捕まっても知らねぇぞ」
狼狽しつつも現状把握に努めようとする者、三割。
「リ、リディオス皇太子殿下はどう仰ってるんだ!?」
「『別に支障はないでしょ。どっちも独身初婚だし』って」
「……そこだけ声真似で言われても。てか皇太子殿下……」
「むしろ大公殿下が大反対らしい」
「……だよな」
「……親としては当然の反応だろ。相手はあの、なんで人の姿してんのか謎過ぎる冷血公爵閣下だぜ」
「いや、リディオス殿下と皇子殿下と皇女殿下方だけは可愛がってるよ……公爵閣下ご本人はどうなわけ?」
「あの人は勅命かリディオス殿下の命令なら聞くよ」
「まぁ…………そうだろうけどさ」
「皇女殿下、なんか不憫……いや大切にはされるだろうけど……」
――という会話が老若男女問わず宮廷内の様々なところで交わされた。
ヴィシュアール公爵のこれまでの行状からして『半ば娘のような皇女との結婚を強いられる公爵』とはもちろん見られない。『可憐で優しく、母親に似て美しい皇女殿下が鬼畜と名高い公爵に嫁がされる』とも少々違い、結局人々が何に驚いたかというと、『あの変人公爵が姪っ子(正確には従姪)と結婚!!』――とどのつまり、公爵の性癖が疑われ始めていた(とはいえ見た目だけならヴィシュアール公爵とて二十代後半に見られる程度の若さは保っている)。
更に二十年ほど前、少しだけ流行した『従妹姫を愛しているが血の近さから泣く泣く身を引いた従兄王子』説も復活し、今回の縁談は『従妹姫を思い切れていない公爵がその娘で手を打った』とまで囁かれる始末である。全くの事実無根な上、言い出したのは皇女の方だとは誰も思わないのだった。
近衛騎士団では上記の部類に加え、次のような会話もなされていた。
「ご当人達はそれでいいとして、他の貴族のお歴々はどうお考えなんだ?」
「少なくとも前ブライトナー伯爵……前の士官学校の校長は反対してないって話だぜ」
「なぜそこで前の士官学校の校長?」
「え、お前知らないの? ヴィシュアール公爵閣下が士官学校在籍中に、公衆の面前――それも先々代のガイウス陛下の頃に、皇族がほぼ勢揃いしてた超厳粛な式典で、前ブライトナー伯爵の鬘かっ飛ばしてツルッパゲ暴露した話。今でも語り継がれてる『士官学校在籍時代の皇族烈伝』の一つだぜ」
ひーッ! と悲鳴が上がる。
「ナニソレ、ちょーこえー! ある意味生き恥な次元の赤っ恥じゃんよ!」
「列伝じゃなくて苛烈の方なとこが更に恐怖を……うう、俺の時に皇族いらっしゃらなくて良かった……」
「反対してないって言うか、怖すぎて何も言えないだけじゃね?」
「ラウルス閣下に個人的に弱味を握られてる貴族は、閣下の意向に超敏感になってるらしい。それとヴィシュアール傘下の貴族、要するに南部の連中だな。あっちは諸手を挙げて大賛成。エルフェリーゼ=ユリア皇女殿下っていったら、リディオス殿下似の優しい美少女で有名だし」
「いくら綺麗な顔とはいえ、それを吹き飛ばして余りある鬼公爵と『歩く実験狂』に脅かされてきたんだし、一筋の光が差した感じだろうな……」
何を脅かされてきたかと聞かれれば、人によってその答えは違う。主には『人としての尊厳』とか『他人には言えない最後の砦』とかだが、本人達がことごとく黙秘を貫いている以上、真相が明らかになる日は来ないだろう。
一人ががっくりと膝をつく。
「俺、実は今でもあのヴィシュアール公爵家が今の皇室に次ぐ皇位継承順位だなんて信じらんないんだ……」
「安心しろ、俺もだ。あの鬼公爵がリディオス殿下と血の繋がった従兄……」
「考えてもみろよ、皇室の皆様に万が一、いや十万……千億が一くらいに何かあったら、次の皇位継承者は『歩く実験狂』で、皇太子は『氷の貴公子』……」
「それ言い出すと哀しくなるからヤメロ! そうならないように皇室の皆様をお守りするのが我等近衛騎士の役目だ!」
おー! と無意味に鬨の声が起こる。拳を突き上げ、「命大事に!」「皇国の明るい未来のために!」と叫ぶ彼らの心は、今、半年前の他騎士団との合同演習以来で一つになった。
「ちなみに、反対にヴィルフォール公爵閣下が、大公殿下と並んで大反対」
これは確かな情報で、実際に皇王執務室や皇太子執務室に殴り込……緊急の謁見を申し込むヴィルフォール公爵オルトリーエの姿が目撃されている。
「ヴィランド公爵閣下とヴィライオルド公爵閣下は面白がってる感じだが、両方の公爵夫人がちょい難色を示してるらしい。それぞれの傘下の貴族達は右に倣えって態度かな」
「基本的に国中反対じゃないか、それ」
「いや、そうでもない。皇族の中でも引退された方や年嵩の方は、逆にヴィシュアールの後継問題がこれで解決するってことで、むしろ皇族内では賛成多数っぽい」
皇族内での地位は爵位や血統に拠らない。年齢や功績に応じた相応の敬意が払われる。ヴィーフィルド皇族が「同族相手ならまともに見える」と言われる所以である。
「そうだ、アルス・セライネは!?」
「アホかお前。セライネ伯爵家は確かに皇太子殿下の外戚だが、それ以上でも以下でもないだろ。大体あの賢明なライゼルト=エアルク閣下が、こんな泥沼必至の問題に首を突っ込むわけがない」
セライネ伯爵家は、今も昔も身分の高低を問わず幅広く同情票を獲得している。その上代々の当主の人望と突出した武芸の名門という事情も相まって、皇族とはまた違った支持層が多いのだった。当主の経歴から主に軍関係者である。
同じく武芸面で名を轟かせ(不幸にも)皇室の側近となっているサリアネス侯爵家とオルソール子爵家は端から無関係の立場を貫き、守秘義務を徹底している。下手に情報を流して巻き込まれるような愚は犯さない。沈黙は金を実践している三家である。
葬儀の如き悲壮感に包まれていた彼等だが、一人がぽつりと呟いた。
「でもまあ、釣り合いは取れるよな。聖女猊下の嫡出のご長女と、ヴィーフィルド王子なら、色々」
すかさず反論が返る。
「いくら釣り合いが取れるっつっても、あのヴィシュアール公爵だぞ! お前は正気か!?」
「お前には皇女殿下のお幸せを願う心がないのか! 近衛騎士の風上にも置けん奴だ!」
「ガイウス陛下も何をお考えになってあの人に王子称号なんか宣下したんだ……! 身分的には何の障害もない、完璧な縁談じゃないか!」
そして長女が嫁いだ相手が相手ということで、次女、三女の相手もこれまで以上に選り好みできることになる。しかし、それ以前の問題として。
「イリアティーヌ皇女殿下やユーディリア皇女殿下のお相手はどーする気だよ、皇太子殿下は! あのヴィシュアール公爵を義兄と呼べる男がいるのか!?」
とある近衛騎士が叫んだこの懸念は、それほど日を置かず現実のものとなる。
このとき一時的にではあるが、既に十四歳の第二皇女にも連日山のように寄せられていた縁談が波が引くように減っていき、また十歳の第三皇女に擦り寄っていた有象無象も蜘蛛の子を散らすようにパパッと消え失せたことによって、この騒動は新たな局面を迎えることとなる。




