紙芝居の時代
王都の社交シーズンの秩序は、静かに乱されていた。
王妃や王太子妃のお茶会よりも、地方のお祭りを選ぶ夫人や令嬢がいる。
年に数回ある王宮の夜会よりも、辺境伯領でのピクニックに招待されたいと考えている気配がある。
国王は、十年ほど前に辺境伯令嬢との婚約破棄が慰謝料だけで話を納められたことで、王家に逆らわないと安心していた。
ところが、ここ二年ほどで「辺境伯派」などという派閥ができた。彼らは国政に関与するのではなく、距離を置いている。
しかも、自分たちだけで取引するような経済圏まで作り上げてしまった。
そのきっかけを調べさせたところ、王太子が王都への納入品検査で嫌がらせのようなことをしたせいだとわかった。
なんと頭が痛いことだ。
辺境伯が隣国との盾であることを放棄するとは思わないが、忠誠心が揺らいだら困るだろう。
国王はひとしきり宰相に愚痴をこぼし、「良きに計らえ」と執務室を後にした。
剥製が飾ってある部屋にこもり、国王はその美しい姿をうっとりと眺めた。
これらは自分の戦利品だ。与えられた地位ではなく、勝ち取った証。
「ジョヴァンニは、このような満足を知らずに生きておるのだろう」
王太子は狩りではなく、婚約破棄を辱めることで、自分の力を誇示しようとしてしまった。
得られたものは、王太子に並び立つ能力もない娘だけ。
側妃腹の第二王子は、学園での評判も上々だ。
「ふむ……選択肢があるということは、ありがたいな」
国王は鹿の角をなでた。
辺境伯領に、隣国にいる次兄から木箱が届いた。布や酒が入った箱があり、一つの箱には厚紙が詰められている。
「ちい兄様、探してくださったのね」
持ち上げると、少ししなる。だが、普通の羊皮紙のように垂れ下がらない。
「これで、紙芝居ができるわ!」
私は紙の束を持って、くるくると回ってしまった。
「説明されてもわからなかったけど、こういうのが欲しかったのか」
ニコラも厚紙を触っている。
「あのね、板だと十枚でこの厚さになるでしょ」
「うん、板芝居は十枚で一つの作品だよね」
「ところがこの厚紙だと、三十枚重ねてもまだ薄いくらいよ」
「そうだね。つまり?」
「物語を膨らませられるのよ! 子ども向けの五分から十分くらいの作品じゃなくて、大人も満足できる長編が作れるわ。三十分以上の超大作だって夢じゃないの」
「そういうことか!」
ニコラは、私が文章を削る苦労を横で見ていたから、ピンと来たようだ。
母は大人向けと聞いて、こちらを向いた。
「それは、恋愛小説のような感じになるということかしら?」
目がキラキラして、圧を感じる。
「そういう作品も可能になりますね」
私がそういう作品を書けるかどうかは、また別の話だけれど。
「でも紙芝居に一本化するのではなく、板芝居も増産しましょう。
語り部たちが芸術の域に高める紙芝居と、子どもたちが遊びながら演じられる板芝居の両方を作るのです。
板芝居を盗んでも意味がなくなるほど、たくさん作って売りましょう」
「もちろん、王都以外で……か?」
辺境伯がニヤリと笑った。
「はい。納入品検査でこちらを痛めつけようとしたことを、反省してもらいたいですね」
「お前の方が次期辺境伯に向いているかもしれないな」
兄が苦笑いする。
「いえ、ルチアは無関心か、根に持って嫌がらせをし続けるかどちらかなので、お勧めしません」
「ニコ! あなた、そんなふうに思っていたの?」
「そんな君が大好きだ」
「もう。褒められているのか、悪口なのかわからないわ」
「そんな俺が好きだろ?」
「……ばか」
「お前たち、いちゃつくなら、厚紙を持って出て行ってくれ」
苦笑いする長兄に、追い出されてしまった。
本格的に紙芝居作りに取りかかったのだが、すぐに壁にぶち当たった。
板芝居の十枚分に短くするのも苦労したけれど、紙芝居の三十枚分の文章が書けないのだ。
夕食の時にそんな愚痴をこぼしたら、兄から提案があった。
「確か、文章が得意な人で、仕事をしていない人がいたはずだ。声をかけてみようか」
「でも文章を書くのが得意でも、こちらの望むものを書いてくれるとは限らないでしょう? 作品に自信を持っていて、こちらの要望を撥ねのけるような人だと困るわ」
「それなら書く前に条件を提示して、何人かに書いてもらって、一番理想に近い人を採用したら?」
兄嫁である義姉がさらりと言う。
魅力的な案ではあるが、気になる点もある。
「それぞれに原稿料を払わなきゃいけないわよね」
「いいえ。コンテストにして、優勝者一人にだけ出せばいいの」
「お義姉さま、天才ですね!」
「わたくしヴァイオリンが好きで、コンテストに応募していましたから」
「もしかして、それで落選したから嫁に来てくれたのかい?」
そう尋ねる兄に、義姉は微笑んだ。
「今は、あなたもこの辺境も大好きですよ」
――という話し合いののち、辺境伯派の人々に声をかけた。
紙芝居の原稿を三十枚に分けられる構成で。内容は、十年前の婚約破棄を題材にしつつも、王太子かどうかを曖昧に書くこと。
締切りは二ヶ月後。
学生から隠居した前当主まで、十名の応募があった。選ぶのは楽しく、そして苦しかった。
時間をかけて書いてくれたものを採用できない苦しみもある。
だが、あまりによく書けているものは胸をえぐり、当時の苦しさが蘇ってしまうのだ。
選定は、自分の次に板芝居に詳しいニコラに任せることにした。
次の作業として、不敬罪に詳しい人を辺境伯領に招いた。
面白さを持たせつつ、不敬と言われそうな表現を変える。
「ここの比喩は危ないですね」
「ここは一般論に寄せて」
「これは……ギリギリどうかなぁ?」
そんなふうに長編の監修をしてもらった。
ついでに、第一作目の板芝居の表現も見てもらった。
「随分棘を含んだ表現ですね」
「それを作った当時は、腹が立っていましたから」
そう言えばこの板芝居は、自分に起きた出来事と切り離して考えられるようになっている。
いつの間にか……こうして傷が癒えていくのかもしれない。
板芝居の改訂版は、文章を一新して、色数を減らして増産することにした。
高級な紙芝居とお手頃な板芝居、両方が発展していくのが理想だ。
板芝居が充分に行き渡ったら、辺境伯派以外の人に販売してもいい。改訂版なら安心だ。
ゆくゆくは旅の一座にも卸して、外国にも板芝居を広めるのもいいかもしれない。旅芸人の識字率はどれくらいだろうか。それも調べておかなければ。
ああ、やりたいことが広がっていく。
王太子妃の文化育成事業には興味を持てなかったけれど、今、とても充実しているわ。
その頃、王太子妃は苛立っていた。
「どうして、私たちの劇を観ないのよ!」
支配人からの報告書を机に叩きつけた。
一昨年までは、ほぼ満席だった。それなのに、今年は空席が目立つという。
「辺境伯の孫娘のせいね。学園でトラブルを引き起こしたと聞いているわ」
報告書を持って来た文官は一瞬呆れた顔をしたが、すぐにそれを消した。
「辺境伯に観客を減らすような力はありません。
十年も同じ演目で、目新しさがなくなったせいかと存じます。そろそろ新作をご検討いただければ……」
「あれ以上の傑作などありえません!」
自分たちの純愛を凌ぐ題材などありえない。初演の幕が下り、万雷の拍手に打ち震えた瞬間は、未だにこの胸を熱くする。
実は、マルティナの虐めにつながったことを知っている学生が、弟や妹に勧めなくなったというのも一因だった。毎年、新入生の伝統のような扱いだったものが、崩れていく。
それを文官は王太子妃に報告しなかった。
新作をという話は、もう五年以上前からしているのだ。
文化振興が王太子妃の仕事であるため、「自作自演だ」という評価が囁かれ始めたのも痛かった。
主人公のモデルとされる王太子と王太子妃の評判がどんどん悪くなっているため、「もう見たくない」という意見も耳に入る。
王妃は人気役者を起用しろというが、役を選べる者たちは他の演目に流れていく。独自の解釈を入れようとすると、お忍びで観劇する王太子妃から苦情が入るのだ。演じていて面白くないと敬遠されて久しい。
劇場の支配人は「国から助成金が入るうちは、諦めて上演しますよ」とこぼしていた。
文官は「予算の無駄遣いだ」という言葉を飲み込んだ。
王都の学園にいるマルティナの元に、板芝居が届いた。
「不敬罪に問われないよう、改良しました。学園で、上演してあげるといいわ」
という手紙が添えられていた。
マルティナは辺境伯派の学生たちを集めた。
「語り部をやりたい人、募集します!」
学園の中では派閥に関係なく、教職員も板芝居を観ることができた。学園祭や夜会の練習など、発表する場がたくさんあるのだ。
語り部の希望者が増えたため、マルティナは辺境に手紙を書いた。
「板芝居はとても好評です。語り部の希望者が多く、練習するにも発表するにも一つでは間に合いません。
学生たちで複製を作る許可をいただけると嬉しいです」
可愛い姪からのお願いは、私を一週間ほど真剣に悩ませた。
内容を改変される恐れ、板芝居の販売事業への影響、学生を応援したい気持ち……。複製を許可するか、断るかの二択。
見かねたニコラに「板芝居を三つくらい送ってあげれば?」と言われた。
「……あ」
「ん?」
「そうよね。やだ。自分たちで作りたいのかと思い込んでた」
視野が狭い自分に、顔が赤くなる。
ニコラに頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。
「夫婦なんだから、俺にも相談すべし」
「きゃ~、ごめんなさい。髪の毛はやめてよぉ」
そんなやり取りの後、すぐに板芝居をマルティナへ送った。




