ノネナールはショックだわ
ダイニングテーブルに着席する雫は珍しく縮こまっていた。
「申し訳ございません」
そして珍しい事に、しおらしく謝罪の言葉を発した。
「いや、別に。それよりも雫がこんな時間まで寝てる何て逆に心配になるわ」
「そ、それは……」
雫は歯切り悪く視線を逸らす。
「風邪とかじゃないよな?」
「い、いえ! そんな事はありません! 元気ですよ」
「なら良いんだけど」
安堵の声を出しながら時計を確認する。
現在は11時を少し過ぎたあたり。学校は3限の真っ最中だろう。
「学校はどうする?」
俺の問いかけに「学校……」と雫が呟き溜息を吐いた。
「――はぁ……。無遅刻無欠席記録が……」
「あー。そういや雫ってメイドになった頃から体調崩さないよな。小学生の……低学年の頃は何回か学校休んだ記憶あるけど」
「――体調管理もメイドの務め。毎日3食バランス良く食べ、程よく運動をし、十分な睡眠を取れば体調を崩す事はまずありません」
「それを継続出来る人間はごく僅かだけどな」
俺なんかはちょこちょこと風邪をひいてしまう時がある。
そんな時雫は嫌な顔せずに看病してくれるっけな。
「――で? そんな無遅刻無欠席記録を更新し続けていた優良健康体の雫さんがどうして、こんな何の変哲もない平日に寝坊を?」
「そ、それは……」
雫は再び歯切り悪く視線を逸らす。
その様子から、どうやら自分でも理由が分かっている様である。
「もしかして、俺の学ランの匂いが心地良過ぎてめちゃくちゃ良い夢見てたとか?」
笑いながら最後に「なーんちゃって」と茶目っ気たっぷりで付け加えると雫がプルプルと震えていた。
「あれ?」
「――ない……」
「ん?」
「――そんな訳あるはずないでしょ! ばっかじゃないの!? 妄想も良い加減にしてよね!」
台詞と顔が一致していない感じである。
その台詞は一見ツンデレ女子が放ちそうな言葉の羅列。
だが、彼女の表情はツンデレ女子とは程遠い明らかに同様している顔である。
挙動不振でワタワタと雫には珍しく焦っている。
「もしかして図星?」
「はっはー! 笑わせてくれますね! 時人様の学ランから良い匂い何てするはずないでしょ! ノネナールの匂いがプンプンして不快です!」
「ノネナールて……。言い回しが独特だな」
ノネナール――所謂加齢臭の主成分。
「俺まだ10代――」
「そんな臭気に包まれて悪夢を見ましたよ」
「あれだけ幸せそうに寝てたのに?」
「それは幸せではないです!」
「じゃあ何で学ラン抱き枕にしてたんだ?」
「あ! あれですよ!」
「あれとは?」
焦っている雫が珍しく、俺はついつい好きな女の子をからかう小学生男子の様にグイグイとつっこんでしまう。
「――うっさい! です!」
焦りで脳が働かないのか単純な言葉で返す雫が可愛くて深く足を突っ込んでしまう。
「えー? 教えてくれよー。もしかして雫ちゃんたら時人様の事――」
「――あー! そうだ時人様!」
言いながら雫が立ち上がる。
「ラーメン食べたいです! ラーメン!」
「らあめん?」
「はい! ほら! もうお昼ですし! ラーメン食べましょう! そうしましょう!」
早口で言いくるめる様に言ってくる。
「いきなりどしたし」
「気になるラーメン屋さんがあるのです! さ! 行きますよ!」
「お、おい学校は!?」
「そんな事よりもラーメンです!」
雫はイソイソとリビングを後にしたのであった。
♦︎
「――それで? 今から学校行くのか?」
時刻は12時30分。
わざわざ都会まで足を運んでラーメンだけを食べに行った。
そこの店のラーメンは美味しかった。まじで美味しかった。今度また行こうと思う。
美味しい物を食べて幸せ気分で電車に乗っている。
平日の昼間だけあって電車は空いていた。ガラガラとまでは言えないが、いつもは座席に座る事が出来ないのだが、珍しく座る事が出来た。
「当然です。今日も応援団の集まりがあるじゃないですか」
「それだけの為に行くのって何か勿体ない気がするな」
「損得の問題ではないと思いますが……。それにテーマが決まったから、これからが本番。忙しくなりますよ」
無遅刻無欠席記録がストップして少し落ち込んでいると思ったが、雫は楽しそうにしていた。
「雫って意外とイベント事好きだよな」
「意外……ですか?」
「雫ってなんつうか……『学校行事には余り興味ありません。まぁ手伝いはしますけど』みたいな感じじゃん」
そう言うと「なんですか、それ」と軽く笑って返してくれる。
「ほら、小学3年生の頃、体育館で皆集めさせられてバルーンアート作らされた時とかさ『こんな事するよりドッジボールしたい』とか言ってたろ?」
「そんな事言いました?」
「言った言った。その後、俺がバルーンアートに苦戦してたら『やれやれ』みたいな感じで助けてくれたんだよ」
そう言うと雫は指を顎に持っていき天を仰いで「あー……」と思い出した様な声を漏らす。
「『迷犬ゴロチャン』」
雫の言葉に「それ!」と脳裏にそれが蘇る。
「どこで間違えたか足が5本なんだよな」
「そうそう。だからゴロチャンなんですよね」
「あはは! 懐かしい。あれすぐに割れたんだよな」
「時人様が『俺の愛犬は世界一!』って言った瞬間に破裂しましたよね」
「あっは! そうだ! あはは!」
昔話に花を咲かせてお互い笑い合う。
「――そう! その雫の台詞が妙に脳裏に残っていたから『雫ってイベント事嫌いなんだな』ってイメージだったんだよ」
「んー。その時の台詞は覚えていませんが……。イベント事は人並みに好きですよ。詳しく言えば、去年応援団をやって大好きになったというった所でしょうか」
「応援団相当良かったんだな……」
「はい。ただイベントの中でもお泊まり系――」
雫はふと顔を曇らした。しかしそれも一瞬の事。すぐに明るい表情を見してくれる。
「お泊まり系といえば今年は修学旅行がありますね」
「ビッグイベントだよな」
「楽しみですね」
「――って言ってもまだ先の話だろ」
「いやいや。半年を切っているのですからすぐですよ」
「どこに行くんだろう。楽しみだな」
「はい。楽しみですね」
これは彼女の幼馴染であり、主人である俺の勘に過ぎないが――。
ニコッと可愛く笑う雫の笑顔は純粋な笑顔では無い気がした。




