抱き枕
人間誰しも苦手な物というのは存在するだろう。
例えば、運動が苦手だとか、勉強が苦手だとか、野菜が苦手だとか。
そんな不完全人間な俺の苦手とする1つに『寝起き』が含まれる。
長い睡眠であれ、短い睡眠であれ、どちらにしても寝起きだけは辛い。
寝起きが悪いのは身体が脱水しているからで、起きたらコップ1杯の水を飲むと目が覚める。とか、寝起きはシャワーを浴びたら1日スッキリ過ごせる。
なんて事を聞いた事があるが、それらを試そうにもまず実行に移すのが困難である。
寝起きの布団の中というのは欲の塊だ。どうしてもノロノロとなってしまい、あと5分、という典型的無意味な言葉が出てしまい、結局遅刻ギリギリなるのがテンプレ展開。
そんな、寝起きの悪い人なら理解してくれるだろう俺の寝起きなのだが――すまないみんな。もしかしたら俺は寝起きが悪いのを卒業してしまったのかもしれない。
いつぶりだろうか。こんなにも清々しい朝を迎えたのは。
寝起きの、あの胸の辺りのムカムカがない。
寝起きの、あの布団に吸い込まれる様な欲求が出ない。
寝起きの、あの目蓋を閉じたら秒で夢の中へ旅立てる気がしない。
寝起きの――etc……。
部屋の窓から差し込む光は優しく俺の部屋を照らしている気がする。
頭の中は妙にクリアで活力に満ちている。
今なら何でもやる気がしてきた。
ピアニストにもプロ野球選手にも小説家にもなれそうだ!
自分でもドーパミンが身体中から溢れ出ているのを実感し機嫌良く部屋を出て顔や歯を磨く。
リビングに入り、ダイニングテーブルの上にお弁当が置いていなかった為、今日は雫よりも早起きなんだ俺、と思いながら勝手に優越感に浸り、鼻歌混じりでリビングのカーテンを開ける。
カーテンを開けると強い日差しを全体で浴びる。
――朝日ってこんな感じだっけ?
そこで違和感に気が付いた。
いやいや、まさか……。またまたぁ……。
そう思いつつリビングの壁に掛けてある雫が選んだ可愛い時計に目をやる。
チックタックと今日も変わらず動いている時計を見た瞬間にノルアドレナリンが大量に分泌されてしまった。
「――じゅ!?」
時計の短い針が10と11の間、いや、ほぼ11の辺りにいた。
まず疑ったのは目の錯覚。
目を擦り3回時計を見直したけど時は変わらなかった。
そして電池切れを疑ったが、さっきも自分で思っていた通りチックタックと変わらない軽快な動きを見してくれている。
――しかし、おかしい。
学校の日の朝は必ず雫が起こしてくれる。それは揺るぎない真実。
仮にそれをスルーしてしまったとしても雫が作ってくれた弁当はあるはずだ。それが無いって事は――。
「あー、なるほどね。今日土曜日か。あー焦ったー」
自分に言い聞かせながらカレンダーに目をやるとガッツリ水曜日だった。
「あ、あはは……。あれか祝日か。祝日だよな。間違いない」
ゴールデンウィークは既に終わったので、祝日なんてあり得ない。
頭では分かっているがら俺はワンチャンにかけてみる。
――うん。ガッツリ平日だった。
ここで俺は考える。一体何が起こっているのかと。
雫が寝坊しているから弁当が無いという可能性は天文学的に低い。
それよりもここが異世界だと言われた方がまだ現実味があるし、そっちの方が可能性は何倍も高い。
あ……。そういえば神様的な者が出てきて色々、諸々、散々俺に何かしらの何かを与えてくれる夢を見た気がする!
そっか。そうだよ。俺も異世界ファンタジーの波に乗ったんだ! そうなんだ!
――だとすると、俺は何かチート能力を神様的な者から授かっているはずだ! よし! 早速見てみよう!
「ステータス! オープン!」
リビングに響き渡る俺の声と同時に目の前にステータス的なやつが――こないね。
「あーはいはい。気合いがね。気合いが足りない訳だ。オッケー。そりゃステータス見るのも気合いはいるよな。間違いない。よしよし」
深呼吸して言い放つ。
「ステエエエエタスウウウウウ!! オオオオペエエエエンンンン!!」
――……。
叫んだ後に俺を包むのは無の極地であった。
虚無感にかられて俺は黙ってリビングを後にして雫の部屋の前に向かった。
「――雫? いてるか?」
コンコンコンとリズム良く彼女の部屋の扉をノックするが応答が無かった。
「おーい。いないのかー?」
もう1度ノックをするが何の反応もない。
「へい! よー! チェケラァ! ふゅー!」
謎のリズムに乗って扉を連打する。
「もう1回遊べるどん」
言いながらもう1度謎のリズムに乗って扉を連打する。
しかしながら何のアクションも起きない。これは即ち中には誰もいないという事で良いのだろうか?
ここに越してきてから思春期女子よろしく「勝手に入ってきたらブラジルまで吹っ飛ばします」何て言われたから雫の部屋には入った事が無い。
アイツの事だマジでやりかねないからな。
それが殴る時の比喩表現なのか、ジェット機を用意して俺が寝ている間に日本の裏側まで連れて行くのかどうから分からないが――。
後者ならやり過ぎかもしれないけどアイツは有言実行タイプだ。何をしでかすか本当に分からない。
だが、今は緊急事態かもしれない。
もしかしたら雫が風邪でもひいて寝込んでしまっている可能性もある。もしかしたらそれ以上の事が起こっている可能性だってある。
だって、あの雫が寝坊なんてした事無いのだから。
最悪のケースがあるので俺は初めて雫の部屋のドアを開けた。
「お――おおん……」
もしかしたら着替え中のラッキースケベなんてイベントが発生するかも何て淡い期待をしたが、そんな事は一切なかった。
そらよりも、雫の部屋に入ると微妙な声が出てしまった。
絶妙に片付いていない部屋。いや、決して汚いという訳では無いのだ。
床は――何着かの服やら鞄やらが放置されていたり。
机は――ノートやら雑誌やらで微妙に散らかっている。散らかっているけど勉強等の作業が出来ない訳ではない。
別に足の踏み場が無いわけじゃない。だけど、俺の部屋を掃除してくれているものだから、勝手に自分の部屋もきっちり綺麗にしていると思っていたから驚いた。
あれだな。仕事とプライベートは分けるタイプの人間だ。
そんな雫はベッドで横になっていた。
様子見る限り普通に寝ているだけだ。特に異常がある感じはしない。
珍しい――いや、初めて見るな。雫が横になっている姿は。
初めては言い過ぎか。小学生の頃に見た事――。いや、幼稚園のお泊まり保育の時?
そんな事をごちゃごちゃ考えながら雫を起こそうと彼女の真前に立ち気がつく。
「俺の学ラン……」
雫は俺の中学の時の学ランを抱き枕代わりにして寝ていた。
「いや……抱き枕の代わりになるのか? それ……。硬くない?」
俺もたまに布団を股の間に挟んで寝たりするが、学ランは硬いしボタンとか痛いだろ。
「――雫? 生きてるか?」
声をかけるが反応はない。しかし、寝息は聞こえるので息はしているだろう。息遣いも異常のある感じではない。
「おーい。雫」
次に身体を揺らしてやる。
「――んにゃ……。ふふ……」
雫は学ランに顔を埋めてニヤついた。
どうやら良い夢見てるみたいだな。かなり幸せそうだ。こちらも幸せになってくる表情をしている。
このまま寝かしてやりたいけど、起こした方が良いよな。
「しーずーくー。おーきーろー!」
声を大きくして身体を揺すると、流石に反応があり、ゆっくりと目蓋を開ける。
「――ん……ん? は……るくん?」
半分眠った状態で俺の名前を呼んでくる。
「おはよう。いや、おはようじゃないけど」
「おは……よー?」
寝ぼけ眼を擦りながら身体を起こしてギュッと俺の学ランを抱きしめる。
「――いや、何で時人様が私の部屋にいるんですか?」
「相変わらず起きてからの覚醒は早いな」
「前に言いましたよね? 勝手に部屋に入ってきたら――」
雫は言葉を途中で止めて、ギュッとしていた学ランに視線を送った。
「い! いや! これは――あれですよ!」
「学ランって抱き枕代わりになるの?」
そう聞くと雫の頬はミルミルと赤くなり、沸騰したやかんの様に怒り出す。
「勝手に乙女の部屋に入ってきて! 勝手に寝姿見て! 勝手に起こして! この! 変態!」
「ちょっと待て。俺は起こしに――」
「出て行って下さい!」
「――ぶふっ!」
言いながら枕が顔面にぶつかり、雫はおかんむりだったので俺は急いで部屋を後にした。




