第5話
霧が、濃くなる。
白く霞んでいた空間が、さらに深く沈んでいく。
音が遠のく。
風が止まる。
世界そのものが、薄い膜を一枚重ねられたように曖昧になっていく。
(観測継続)
(対象:メフィスト)
(対象:朝雛凪)
(変化率:上昇)
「……またか」
メフィストは静かに呟いた。
焦りはない。
ただ、面倒そうに霧を見つめる。
「貴様はいつもそうだ」
「説明もなく、理屈もなく、勝手に変化する」
「だから嫌いなのだ」
霧は答えない。
ただ揺れる。
まるで、その言葉すら観測対象だと言わんばかりに。
一方、凪は膝をついていた。
頭が割れそうだった。
「ぐっ……!」
まただ。
意味になりかけた情報が流れ込んでくる。
(個体:朝雛凪)
(運命支配確認)
(適応率:上昇)
(例外候補)
「だから何なんだよ……!」
凪が叫ぶ。
「例外だの適応だの!」
「俺は実験動物じゃねぇ!」
その瞬間。
霧が止まった。
そして。
(否定)
「……?」
凪が目を見開く。
初めてだった。
一方的な情報の羅列ではない。
今のは。
返答。
確かに、返答だった。
「否定……?」
「実験動物じゃないってことか?」
霧は揺れる。
しかし、それ以上の情報は流れてこない。
まるで、
「そこまでは違う」
とだけ訂正したように。
「何を考えてやがる……」
凪が呟いた、その時。
ビキッ。
空間が軋んだ。
メフィストの視線が上を向く。
「……来るな」
次の瞬間。
ズン!!
巨大な影が空から落下した。
地面が陥没する。
二メートルを超える巨体。
赤黒い皮膚。
四本の腕。
そして。
金色の瞳。
「上位個体か」
メフィストの声に僅かな興味が混じる。
地底人。
しかし普通の個体ではない。
300年を超える時を生きた、古参の戦士。
「■■■■■!!」
咆哮。
衝撃波。
ビルの残骸が吹き飛ぶ。
凪の顔が引きつる。
「いやいやいや!」
「今のでかいの何!?」
「上位個体だ」
メフィストが当然のように答える。
「貴様らの基準なら災害級か」
「災害級で済ますなよ!」
刹那
上位個体が飛び出した。
狙いは。
凪。
「はっ!?」
「何故私ではなく人間を狙う」
メフィストは不思議そうに首を傾げる。
だが、次の瞬間。
霧が。
ゆっくりと。
二者の間に流れ込んだ。
(介入)
「……?」
上位個体の動きが止まる。
メフィストも、初めてではないが珍しいものを見るような目で霧を見た。
「珍しいな」
「貴様から動くとは」
そして。
凪だけが気付く。
霧の奥。
そこに。
“何か”が。
こちらを見て、
笑ったような気がした。
「……おい」
凪の頬を冷たい汗が伝う。
「今、笑ったよな……?」
霧は。
ただ静かに揺れていた。




