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第1話

霧の中で、音が歪んでいた。

悲鳴は途中で途切れる。

走る足音は途中で消える。

まるで世界そのものが“処理しきれずに欠けていく”みたいに。

朝雛凪は、無意識に建物の影へ身を滑り込ませていた。

逃げるべきだという理解と、

もう逃げても意味がないという理解が同時に頭にある。


(……冗談きついだろ)


皮肉でもない。諦めでもない。

ただの現実認識だった。

霧の向こうで、あの“人型”が動くたびに地面が鳴る。


ズゥン。


また一体。

数が増えている。


「おい……誰か、通信……!」


近くで誰かがスマホを叩いていた。

だが画面はすでにノイズだらけで、圏外表示が点滅している。

霧は電波すら食っている。

そのときだった。

凪の視界に、違和感が走った。

霧の“流れ”が見える。

普通の空気じゃない。

まるで、何かの“循環”のように動いている。


(……気持ち悪いな)


そう思った瞬間、霧がわずかに凪の周囲で“避けた”。

まるで、そこだけ触れてはいけないものがあるみたいに。


「……?」


凪は自分の手を見た。

何も変わっていない。

なのに霧は、明らかに距離を取っている。


次の瞬間。


背後で悲鳴が上がった。


「霧が……身体に入ったやつが……!」


振り返ると、地面に倒れ込んだ人間の腕が痙攣していた。

その肌の表面に、黒い筋のようなものが浮かび上がっている。

霧が“定着”している。

そして──その人間の指先が、異様な方向に伸びた。


「……は?」


凪の口から、初めて素の声が漏れた。

指が“変形”している。

骨が折れる音ではない。

組み替わる音だった。


「……やめろ……やめろぉ!」


叫びと同時に、その人間の腕が“刃”のように変質した。

一瞬遅れて、近くの電柱が切断される

金属が、紙みたいに裂けた。

霧の中で、異能が発現した。

それは祝福ではなく、明らかに“事故”だった。

凪は一歩引いた。


(……なるほどな)


霧を吸った人間の一部が変わる。

ただの感染でもない。病気でもない。

もっと厄介な何かだ。

そしてその瞬間、凪の中で“違和感”が確信に変わる。

さっき吸った霧。

あれはまだ、身体の中に残っている。


ズキッ。


頭の奥が痛んだ。

視界の端に、線が走る。

空間に“区切り”が見える。

霧の流れ、建物の輪郭、人の動き。

すべてが、細かい情報としてバラバラに解析されていく感覚。


(……何だこれ)


思考した瞬間、目の前の霧が“数値化されたように”感じられた。

流れ、濃度、圧力。

理解できてしまう。

そして、背後で音がした。


ズゥン。


今までとは違う、明らかに“近い”音。

凪が振り向くより先に、霧が割れた。


そこにいたのは──


さっきの地底人と同じ“存在”。

2メートルを超える影。

だが、今度は違った。

こいつは、最初から凪を見ている。

霧が、凪の周囲だけ薄くなる。

地底人が一歩踏み出す。

地面が軋む。


そして──


その存在が、低く息を吐いた。

言葉ではない。

でも“意志”だけが伝わる。


(……見つけた、って顔か)


凪は小さく息を吐いた。


「……はは。最悪の当たり引いたな」


その瞬間だった。

霧が、凪の中で“完全に繋がった”。

視界が一気に研ぎ澄まされる。

霧の流れが線になる。

空気の密度が壁になる。

そして“自分の周囲だけ”、異常なまでに明確に見える。


(これが……異能、ってやつか)


皮肉にも、理解は異様に早かった。

地底人が動いた。

次の瞬間、地面が割れる。

だが凪は、なぜか“その軌道が見えていた”。

一歩横にずれる。

衝撃が空を切る。

遅れて、ビルの壁が吹き飛んだ。


「……マジかよ」


凪は小さく笑った。


「いきなりこれって、サービス悪すぎだろ」


そして、霧の中で初めて“戦う側”として立った。

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