エピソード98 迷走する地下街と崩れ落ちた少女【カレー屋を目指す道中、大声に引き寄せられた絶望を前に立ち尽くすシェフ】
タッ、タッ、タッ、タッ……。
普段なら聞こえるはずの地下鉄の音は、今は聞こえない。
タッ、タッ、タッ……。
薄暗い地下街は、地上と同じように崩壊していた。崩れた壁やむき出しの鉄筋、崩落した天井による土砂で封鎖されている通路もある。
タッ、タッ、タッ、タッ……。
散乱したマネキンと服の類を飛び越えながら、僕はカグラの後を追いかけていた。
かつて、ファッションストリートだった場所だろう。ダンジョンは概念でそう作り出している。
タッ、タッ……シタッ。
地下街に降りてきて数十分――。
(ここは……?)
僕は木漏れ日の広場にいた。
現実の世界ではそう呼ばれている。
イーストアベニュー通りを過ぎてから、フローラルガレリアを右に曲がる。そして、真正面にあるはずの老舗デパートは崩れ、コンクリートと鉄筋の土砂で壁を作っていた。
チカ……チカ、チカ……。
点滅する蛍光灯が不気味に光り、時おり……ジジッ、ジッ……と、機械音を響かせる。
……魔物に支配されてしまった時点で、電気系統の流通も止まるのが自然だが、ありふれた矛盾で溢れているのもダンジョンの構造的な原理と言える。
カグラと再会したあの地上への出入り口、その周辺には息絶えた魔物たちの残骸が今もなお倒れたままだ。
タッ、タッ、タッ、タッ……。
崩落したデパートの壁を右手に向かいながら、急ぐカグラに声をかける。
「カグラ、ちょっといいかな」
「急いでいるの、用事なら手短に済ませて」
「この道だけど……」
足場の悪い道。木の根たちが建物内部まで侵入している。
「……ここ通ったの13回目だね」
ぴたり……。
僕の言葉に、カグラとナッツの動きが止まる。
……何で気が付かなかったのだろう。
地下街は暗いし、カグラも毎回違ったところで曲がるから、何度も同じところをぐるぐる回っているとは思わなかった。
(そっか……迷子だったね、この子……)
僕は立ち止まると、周りの様子をもう一度見回してみた。
『……すまない。私がついていながら――』
少女の肩越しから、ちょこんと降りてくるナッツの表情は暗かった。
「私は、さっき行ってきたばかりのカレー屋に向かっていただけ。間違えるはずがない」
……反省のない人が一人いる。
「えーと、僕たちが目指しているのは――」
近くの壁に張られていた地図を発見した。地下街の案内図になる。僕は壁に下げれた古びた地図を前に、現在地を確認した。
もちろん、この地図が正確であるという保証はない。
「カグラが行きたいのは、このカレー屋さんかい?」
「うーん……」
しばらく悩んでから、彼女はじっと地図を見つめていた。
「うーん……」
近づく。地図の端は汚れ、擦り切れている。カグラがそっと壁の地図に触れると、風化した金具が外れて、ガタンと硬い床の上に落ちた。
「……多分」
しばらくしてから、小さな声でそう言った。
『お前……地図、見れないタイプか……?』
「それができたら、人生の迷子も卒業ね」
ナッツの鋭いツッコミに、カグラは臆面もなく言い返した。
「とにかく、カレー屋さんは地下街に2カ所しかないから、まずは行ってみよう」
もちろん、先頭を行くのは僕だ。即応探索者にリーダーの座を奪われたのが悔しいのか、不服そうな顔でカグラは後ろからついてくるのがわかった。
……これ以上、迷子になるわけにはいかない。
カツン、カツン……。
床に敷き詰められたタイルは、ところどころ割れている。靴音をできるだけ押さえながら、僕たちは先を急いだ。
木漏れ日の広場を背に、札幌駅方面に向かう。概念が現実世界の街並みに沿って作り上げられた虚構の景色であるならば、カグラの目的地もこちらの方向になるはずだ。
カツン……。
トッ……。
足を止める。視界の先に、開けた場所が現れる。本来ならば、たくさんの人たちが待ち合わせに使っている広場になるが……――。
「僕たち、誰かと待ち合わせしてたっけ?」
『さぁ……どうだろうな。茶でも誘って来そうな面構えのやつならそこら中にいるが……』
「私の好みじゃないわね」
キキキキッ!
(見つかったか……)
無用な争いは避けたかったが、こうも広場全域に魔物たちがひしめき合っているとそうもいかない。
『ミナト、そいつの誘いを受けるのか?』
透けるような身体をうねらしながら、魔物ーー幻影魚が牙を剥いて襲ってきた。
「……魚か。身が薄くて柔らかい系だと」
体格に似合わないほどのギザギザの牙をしている。深層以外のダンジョンで出会うのは珍しい。
「煮魚弁当にしようか」
『いいかもな……』
僕は幻影魚の突進を片手でいなし、そのままナイフでヒレを落とした。
「今……何したの?」
動かなくなった煮魚候補を見て、カグラは驚いている。
「なにって、魔素の流れを切断しただけだよ」
……こうすると、鮮度のいい状態で保管できる。
『こっちのも捕まえてきたぞ』
白い猫が身体に似合わないほどの大きな魔物を口に咥えて、放り投げてきた。
「赤毛牛か。ビーフシチューにいいかも……それともすき焼きのほうがいいかな」
「ちょっと、何の話をしてるの?」
「うーん……」
と、少し考えてから、僕は即答した。
「明日の弁当の話だけど」
こんなにたくさんの食材たちが、狩られるのを待っているのだ。食材探しをしないわけにはいかない。
「ミナト……ひょっとして、いつもこうやって狩りをしてるの?」
「そうだけど」
と、言って僕は、先ほどナッツが狩ってきたばかりの赤毛牛を背中に背負いながら、ずるずると通路の端に運んでいく。
「わ、私……だって! それくらいできるんだから! 猫になんか負けないわ」
よほどショックだったのか、カグラは拳を握りしめながら力強く叫んだ。
その時だ……――。
ドドドドドドドドドドドッ。
……ここで大声出したら、こうなるよね。
『ま、迷子! 逃げろ! 後ろを見ろ』
猫の声にカグラは気がつく。
「え?」
背後から迫る獰猛な気配ーーそれは巨大なカメの姿をした魔物だ。
カグラが振り返るよりも早く、カメは右手で、華奢な少女を突き飛ばす。
「カグラっ!?」
ドッ!!
強く壁に背中を打ち付け、そのままだらりと倒れた。
「大丈夫……これくらいで、私は負けない。私は誰よりも強いのよ……」
とっさに、術式で召喚した雲形の魔物が、壁に衝突する手前で、クッションになって衝撃を防いでいたようだ。
「ダメだよ、キミが戦える相手じゃない!」
慌てて僕は彼女のもとに駆け寄ろうと近づく。
ザグッ……。鈍い音。
尖った牙を備えたカメの口は、カグラの身体に食らいつく。
「……」
そのまま……だらりと、力なく少女は冷たい地面に放り投げられた。
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