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『始原の帰還者、札幌でひっそりお弁当屋を始めます〜深層の魔物で作った『魔素抜き弁当』が美味しすぎると探索者たちの間で話題な件〜』  作者: 姫宮澪
不死者の冤罪【六食目】本日のメニューは「土鍋ご飯とレッドバッファローの牛カツ弁当」です。

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エピソード91 聡明な世界での釣りと極度の方向音痴【概念の海で次なる『食材』を待ちわびながら、迷走する少女の尾行劇にため息をつくシェフ】

 ポチャン……。


 青白い光が、聡明な世界を包み込み……

 水を打つ音の波は、淡い色で反射した水面に波紋を作る。


 無意味な釣り竿の先には、行き先を示す針が結われ、おびき出す準備を整えていた。


(……この場所で合っているんだよね?)

 と、自分がこの場にいることすら疑いながら、湖面の下へと沈んでいく釣り針をじっと見つめていた。


 傍らには、立売箱たちうりばこが置かれ、箱の中には今朝作ったばかりの弁当たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。


 ……湖面に揺らぐ様子はない。

 魚はまだかからないようだ――。


 そっと、目を閉じ……うつらうつらと……


 賢人であれば瞑想に至るものだが、時間を持て余した僕は一瞬意識が遠のくのに気がついて目を覚ました。


『……商店街に迷い込んだようだ』


 猫の声が、僕の意識を引き戻す。声と言っても、擬音で作られたそれではない。脳に響く念を波長に変えた能力スキル――念話である。


 ……商店街――手稲駅の南口あたりになるか。


(術式展開……)

 白い猫――ナッツから送られてきた声の響きを聴覚に変換したあと、視覚、触覚、嗅覚へと結びつける。


 能力スキル――感覚共有……だ。

 五感を共有する能力で、離れた相手が受容した情報を僕の五感を通して認識できるようになる。


 一瞬、くらり……。と肉体と意識が離れる感覚に落ちる。


 自分とは違う異なった意識の波長が脳内に流れ込んでくる感覚ーー


(……見知った街の中)


 冷たい地面の感覚。食欲をそそる串カツの匂い。すぐそばを走る車の音……そして――。


 二つの景色がノイズのように混ざり合い、僕の中にもう一つの視覚が映り込んだ。


 革靴が、こつり、こつりとアスファルトを踏み鳴らす音が聞こえる。白い猫が顔を上げると、少女の後ろ姿があった。


「ナッツさんは、そのまま彼女の後をつけてほしい」


 肩よりも少し長い髪を揺らしながら、コートの裾を引きずるように、どこかに向かって歩いている。

『本当にこの女で合っているのだろうな……』

 不安げになりながら、ナッツが呟く。

 ……間違いない。


 彼女の名前は、カグラ――ARCANAアルカナに所属している探索者だ。

 年齢は二十歳か、それよりも上か、見た目は年齢よりも落ち着いて見える。


(……立ち止まった)

 カグラは背を向けたまま、辺りをきょろきょろと窺っている。何かを探しているような素振りを見せると、近くにあった店に入った。


『行ったぞ……どうする?』

 手稲駅を背に、近くにあった和菓子屋の自動ドアに入ったまま、カグラは出てこない。


 ……店の中に、白い猫が入るわけにはいかない。このまましばらく様子を見るか……――。


 そうしている間に、何も買わずにカグラは出てきた。

(……何をしてるんだろう)


 僕の疑問をよそに、再び歩き出した彼女の背中を、ナッツの追跡が始まった。


 手稲駅は南口を中心に、手狭ではあるが、繁華街と商店が立ち並ぶ。前ほどの活気はないが、人通りが少ないわけでもない。

 近代化の波にのまれるように、新しいビルが立ち、高層マンションの姿もちらほらと増えて、過去と現在が共存している街に見える。


 駅前の喧騒を避けて……カグラは、歩道橋にいた。遠くの空を見ているのか、はたまた、しきりに行き交う列車たちの群れを見送るようにして、ただ何もせずにそうしている。


「……猫さん?」

 くるりと振り返り、カグラはこちらに気がついたようだ。


『まずい……どうするんだ!?』

 ……うーん。それはもう――。


「白猫さん、こんにちは。君は一人? 私と一緒ね」

 猫のふりをしながら、とりあえずナッツは喉を鳴らして、必死な演技を始めた。


「ねぇ、猫さん」

『…………』

「ここどこだろう?」

『……はい?』

 思わず声を漏らしそうになりながら、ナッツは必死に言葉を喉元で閉じ込めようとしている。


「私ってダメね。いつも迷子になって、目的地に行こうとしても……気がつくと、どこに向かっていたかも忘れてしまうわ」

『それは、格好良く言っても、全然格好良くないぞ……』

 思わず、念話でツッコミを入れるナッツ。白い猫をよそに、カグラはくるりと振り返る。踵を返すようにして、猫に向かって言う。


「私、決めたわ。今度こそ、道に迷わずに金山ダンジョンに向かうことにする」


 と、言って、彼女はダンジョンのある手稲山とは反対方向に向かって歩き始めた。


 そろそろ夕暮れ……。

 日も落ちかけ、街の人たちは帰宅の列で道を埋める。

 その頃。白い猫と迷子の少女は、とぼとぼ……と軽川沿いを歩いていた。


「猫さん。奇遇ね。また会ったわね」

『ずっと、つけていたからな……』

 と、聞こえない声でナッツは返す。

 ふと立ち止まり、ぼーっと川を眺めるカグラの前に、ナッツが姿を見せた後のことだ。


 川沿いには、桜の木が立ち並び、つい最近まで満開だったはずの桜の花も、今はちらほらと緑の葉が混じり始めている。


 ーー彼女を追跡してから……8時間ほど経過した頃だった。

 少し疲れた表情を見せながら、白い猫はカグラの顔を見上げている。


 うーん……と、考え込んでから、カグラは猫を抱きかかえた。


「もしかして……」

 真剣な眼差しで見つめられ、ナッツは思わず目を逸らす。

「あなたも迷子なのね」

『ちっがあーうっ……!!』


 くったりと力なく、白い猫は深いため息を吐いた。


「心配ないわ。私も迷子だから」

 なぜか自信に溢れた顔でカグラは言った。


『……疲れるな……こいつ』

 内心のツッコミをよそに、カグラは抱えていたナッツを優しく地面に置いてから続ける。


「ごめんね、猫さん。私、これからダンジョンに行かなければならないの。危険なところに、あなたを連れて行けない」

『だから、そっちは海に行ってしまうぞ……行きたいのは山だろ……』


 必死に飛びつきながら、白い猫はカグラに訴えかける。

 ぴたりと足を止めてから、彼女は思い出したように振り返った。


「そうね。私も、こっちの道が違うような気がしてたのよ。猫さんの言う通りね」


 ……わかってくれたのか、そうでないのか。とりあえず、軌道修正はできたようだ。


 とぼとぼ……とぼとぼ……。


 それまで、彼女の後を追跡していたナッツの姿はもうない。

 カグラと並びながら、いつの間にか芽生えたかもしれない友情で結ばれているようにも思える。

 隠れても、隠れなくても、結局カグラは何も気にしていないし、気づいてもいないことに、ナッツは気がついたのかもしれない。


「結局、さっき降りた駅まで戻ってきたわ。逆戻り、まるで私の人生そのもの」

 どこか儚げで、寂しそうに言う彼女に、白い猫は心底疲れた顔をしている。


『黄昏れてないで、降りる駅を間違えたことを思い出せ……』

 聞こえないはずのナッツの声に反応するように、カグラはぴくりと肩を震わせる。


「あ」

『思い出したか……』

「ドーナツ――」

『何の話だ……?』

「金山ダンジョンに一時的にでも席を置くのだから、挨拶にドーナツを買っていこう」


 そう言うと、カグラは駅前にあるドーナツ店の自動ドアの向こうに駆けていった。


『……その前に、無事に到着できるのか分からんだろう』

 という、ナッツの力のない言葉が、駅に到着したバスの音にかき消された。


「猫さん? 待っていてくれたのね」

 少し驚いたように彼女は言うと、白い猫を優しく撫でた。

「もう大丈夫よ。お店の人に金山ダンジョンまでの道を聞いてきたから」


 そう言ってから、先ほど到着したばかりのバスのほうに向かって歩き始める彼女。

『ちょっと、待て。そのバスに乗ると札幌駅に行くぞ……』

 と、ナッツが思ったが、彼女の目的はバスではなく、タクシーだった。


「金山ダンジョンに向かってくれる?」

 駅前にちらほらと並ぶ一台。カグラは乗り込むとそう告げ、座席の下の方にナッツも潜り込んだーーその後、彼女が行き先を告げると同時に、車は無事に動き出した。


 ……そうか、最初からこうすれば良かったんだ。


 同時だったーー僕とナッツは深いため息をついてほっとした……

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


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