エピソード79 多重浸透索敵とフェイクの魔力陣【冷蔵庫の奥底から響く、罪と罰を問われるシェフ】
……ダンジョンとは――概念と理でできている。
今から十年ほど前――日本の中心に、異空の門が現れた。理由は分からない。
……ひょっとすると、理由なんてものは初めからなかったのかもしれない。
事実しかなく、理由も根拠もない。
起きた出来事だけが現実であり、門からは魔物と呼ばれるものたちが溢れ出したのも事実でしかない。
始原のダンジョンについて知る者はいない。数名の重奏と呼ばれる……後に探索者として名前を変えた者たちの祖が、ダンジョンを制圧した。
その後……。
ダンジョンはそのまま世界に点在し、魔物たちは深層に息を潜めることになる。
現在は、探索者として覚醒した重奏を束ねる組織――ARCANA協会の管理下のもとで、日本各地にあるダンジョンは厳重に監視されていた。
◆ ◆ ◆
「――魔導門探査……!」
虚空を描くように……その指先は……大地に零れ落ちた一欠片の魔力を吸い上げるようにして……
紡ぎ出された言葉の羅列が、少女の声に乗る。示した指先から広がるようにして光の糸が展開され、古代文字で構成された幾つもの方陣が目の前に出現した。
……ダンジョンとは――概念と理でできている。
見えている形や姿に、真実はない。形は概念としての役割を示しているだけに過ぎず、理という役割がなければ、真の意味を持たない。
少女は、そっとその淡い色をした瞳を閉じた。
「……魔力の点、途切れた糸……封じられた時間、知らない部屋……閉ざされた海……」
呟くように、一言一言告げると、迷宮の創造主――虚栄の現実を作り出すラビリンスマスター、石動栞奈がダンジョンの解析を始めた。
この世界は魔力に満ちている。人にも、動物にも、植物にも、魔力というエーテルが備わって、一つの命になる。
僕たちが僕たちでいる理由は、その見た目の持つ形と、形を動かそうとする意思によって、概念と理が成立している。
……それと同じように――
ダンジョンとは、異界の理――意思の力が、現実世界の現象と結びついて形を作っているものだ。
「――虚空の叩音……」
魔力の通り道をたどりながら、栞奈の指先は虚空の中から魔力の糸を紡ぎ、在りし姿を探り出そうとしているようだ。
……そうあるべき姿や形を示す。
本来、ダンジョンがこの世界に形を作るときは、必ずこの世界にある概念を器にしている。器として構成されている術式が異界の理になり、栞奈は魔力の糸をたどりながら、理の意味を探っているのだろう。
「何なの……これ――」
目をつむる栞奈の眉根がぴくりと跳ねる。
……彼女の表情からして、魔力の接続点に何かを見つけたのかもしれない。
「魔力点に、何かあったのかい?」
「いいえ、その逆よ」
若干、焦りをにじませながら言う彼女に、僕は少し考えてから、浮かび上がる魔方陣の一つを指先で触れた。
「ちょ、ちょっと、なにをっ」
「シッ、見ていて……」
僕が触れた魔方陣の一つがガラスのように砕け落ち、そのまま消えた。
……僕の予想が正しければ――
「フェイクだね。この術式に編み込まれている魔力には、嘘と本当が混ざっているようなんだ」
言ってから、僕は別の術式を指さしてみせる。
「これを見て……明らかに、意味のない言語が刻まれている」
「本当だっ! といっても、何でこんな細かいのがわかるのだ?」
問われてから少し考えてみたが、上手い答えが出ないので、とりあえず笑って誤魔化した。
「うーん……なんとなく」
「もういいよ。君が規格外だとは前から分かってたから……」
どこか納得がいかない顔で、気を取り直して栞奈は再び術式と向かい合った。
……とはいえ、魔力の流れが不安定で偽物が混ざっているとなると、解錠は簡単にいかないか。
「魔力パルスをたどってみるのはどう?」
僕の提案に、栞奈は少しうーんと唸ってから、何かに諦めたようにため息交じりに頷いた。
「わかった。やってみる……」
……それほど、難しいものではないと思うが。
「展開!……多重浸透索敵」
栞奈の声が響き、彼女を中心に魔力の波紋が周囲に広がる。幾重にも重なり、魔力の波は魔導門探査の範囲を広げていった。
(一点を見るよりも、全体を見れば、施された術式の構造も見えてくるはず……)
……あれか。
「あれは?」
同時だった。僕が魔力の点を見つけるのと同時に、点に気がついた栞奈も声をもらした。
「何かの図形だね」
冷蔵庫に出現したダンジョンの周りを浮遊するように、いくつかの奇妙な形をした光の結晶が浮かび上がった。
……見たことのないものだ。
(何かの暗号になっているのかもしれないな)
少し考えてから栞奈のほうを見やると、彼女もそれに気がつき、新たに術式を展開させた。
「魔力残滓っ」
図形の一つに狙いを定め、魔力を結晶化させる。
……認証の残響を辿るつもりのようだが――
(……その方法だと、多分)
僕の推測が正しければ、栞奈の術式は――
バチンッ……と、何かに弾かれたように、彼女は後ろに向かって倒れ込んだ。
栞奈の使った術式は、魔力的な指紋である過去の記憶から、示されている本来の意味を探るものだった。
だが、それに気がついたダンジョンは、自動防衛結界を張って、彼女の魔力を強制的に切断してきたのだ。
「大丈夫? 栞奈」
「うん。平気……」
彼女に怪我はない。ただの反発で跳ね飛ばされただけのようだ。
オロオオオオオオオオオオオオオッ
「なにっ! この声っ」
朱里はとっさに耳をふさぎたくなるような不気味な音に戦慄している。見ると、ナッツも警戒の色を隠せていない。
……おそらく――
「やっと姿を見せてくれたね」
僕がそう言うと、ダンジョンの奥底からくぐもった声音が響いてきた。
『汝、その身に刻みし罪と罰を答えよ』
……なるほど、ね。意味論的認証というわけか。
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