エピソード74 ペティナイフの術式解体と目覚めたヒロイン【「コロッケ食べられた」と笑い合う平和な空間からの、突然の殺意を放つシェフ】
一瞬……――僕の目の前で何かが起きた。
掴まれた。腹部辺りを巨大な鳥に鷲掴みにされたような感覚があった。
そのまま後ろの壁に向かって放り出され、石の壁に強く背中を打ち付けてから、僕はこうして床に転がっていた。
(何があったんだろ……)
脳内で少しの間だけ反芻した後で……。
(あ。そうか。グレイド……か)
気がついた時には、寝転がる僕に向けて大きな影が被さり、強大な手のひらで両足を掴まれていた。
(術式の展開が解けたから……)
僕はそのまま、ぶん回されている。子供が人形を無邪気に振り回すようにして、僕は部屋の中の柱や床、壁に強く打ち付けられていた。
『ミナト……生きてるか』
少し遅れてから届いたナッツからの念話に、僕は薄っすらと目を開ける。目の前に見えたのは、大きな赤い太い腕。『虚構の魔獣』のものだった。
グレイドがいなくなり、魔力操作が解けたのだろう。彼の術式の支配を失い、魔物たちの統制もなくなったようだ。
「ちょ……ちょっと!? 魔王のくせに魔獣なんかにやられてどうするのよ!」
ヒカリの声が聞こえる。罵声の中に焦りが混ざっているのがわかった。
「僕は魔王じゃなくて、ただの――」
……弁当屋と言いかけた時、『虚構の魔獣』が放った巨大なマグマの塊が僕に向かって降り注いだ。
(そっか。腕しか召喚してなくても、術式は展開できるんだね)
轟音と共に辺り一面が熱気に溢れ、大気そのものを焼き尽くす。僕はマグマの中に落ちて、そのまま呑み込まれた。
だが、一つ幸運なこともある。灼熱を孕んだ液体は、僕だけでなく周囲にあった魔物たちをも一掃していた。
(……彼らに仲間意識なんてものはないからね)
やがて、流動したマグマは黒くくすんだ溶岩に変わり、石化した。
「まさかっ!? 魔王! 返事しなさいっ」
ヒカリの叫び声が聞こえた。
「どうしよう。猫様……」
不安げに呟く彼女の小さな声の後で……。
ピキッ……パキンッ。
「マグマに焼かれたときにはどうしようかと思ったけど、夏場の調理場に比べればそれほどでもないか」
僕を包み溶かしたはずの溶岩が、その場で弾けた。
熱耐性の術式を施したエプロンのためか、僕は無傷である。
「魔王っ! あんた、生きてんの?」
不躾に言ってくるヒカリを、ちらりと横目で見た後――。
「遅くなってごめんね」
風を足元に纏わせ、地を蹴り上げた。
「今から朱里さんの結界の解除を行う……ヒカリは、もう少しだけ『自己防衛』の制御をしていてほしい」
「……わ、わかったわ」
魔物たちから襲撃がない今がチャンスだ。
僕は朱里に張られた闇色の結界の解析を始めた。
朱里に施された術式は、幾つかの異なった二種の言語で記述されている。魔力回路を用いたものと、魔素を編み込んだ魔法陣だ。グレイドが魔物である以上、二つを調整して使用していてもおかしくない。
(まずは、これだね……)
僕は最初に、朱里に触れようとする外側からの影響を弾く回路を取り除いていく。防御壁があると、奥にある術式に到達できないからだ。
(次は、吸収……)
こちらは魔素由来のもの。始原の魔物たちが使用していた古代の術式に相当する。グレイドは僕が思っていたよりも優秀なようだ。
吸収の術式を解くと、朱里から放出された魔力の供給が止まった。
ちらりと足元を見ると、空間に空いた亀裂も徐々に閉じられていっている。
(黒い霧が消えないのは――)
物質変換の術式が施されていた。
(何のためだろう……か?)
考えていても仕方がない。僕が解こうとした瞬間、何かに弾かれた。
(……拒まれた)
(違うか。もしかしたら……)
僕は物質変換を後回しにして、反重力の術式を解いた。
すると、これまで宙に浮かんでいた朱里の身体に重さが戻る。僕はとっさに彼女の身体を両手で受け止め、そのまま地上へと帰還した。
「魔王っ! 朱里はっ!?」
声をかけてくるヒカリを無言で制してから、僕は朱里をその場に横たえ、術式の解除を続ける。
(闇の霧の正体は、朱里さんに関わるものかも)
そう思い、僕は闇の発生源となっている回路を確認しながら、ペティナイフを取り出した。
「鋭利化 《シャープネス 》 」
ナイフの先端に術式を施し、僕は細長く絡み合った闇色の糸を朱里から切断していった。
(多分、闇色の霧は、物質変換ではなく、操作系のもの……)
朱里……東雲一族の特有の魔力回路を利用して、魔素に変換するための機能だったようだ。
少しあってから……――。
「……湊さん?」
朱里が少し驚いたように目を覚ました。
ゆっくりと周囲を見渡す彼女。そこにはもう始原の魔物たちはいない。空間も元通りになっていた。
「お待たせ」
僕がそう言うと、朱里は小さく息を漏らした。
「……もう、どうなるかと思った。ずっと湊さんがいなくて、探索者襲撃事件の犯人だってヒカリさんは言うし……ナッツは私のコロッケを勝手に食べるし……いろいろあったんだよ」
「ごめんね」
「大丈夫よ。湊さんが作る最高のお弁当を楽しみにしてたから……」
朱里はいつもの彼女の笑顔を見せた。僕はほっとした。
「ミ、ミナト?」
ずっと魔王呼ばわりしていたヒカリから、震えるような声が聞こえてきた。
(……そうか。まだ終わってなかったか)
僕は振り返り、そして、ペティナイフに術式を施した。
「えっ……」
ヒカリの喉元に……――僕の振りかざした殺気のある斬撃が襲った。
一瞬、何が起きたのか分からずに小さな声を漏らすヒカリを、僕はじっと見つめた。
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