エピソード70 始原の魔物の暴走と忠誠を誓う男【指示を仰がれても困るし、ヒロインが魔王になってしまう件について考え込むシェフ】
気がつくと……
……僕は、札幌を滅ぼす魔王になっていた。
信じるものに定義はない。誰が何を信じようと、鰯の頭に願掛けしようが、その人が幸せであればそれでいいと思う……そう思っていた。
それまでは……――。
遠い沈黙がしばらく続いたあと。
裂けた次元の黒い歪みからは、有象無象の魔物たちの叫び声だけが辺りに響き渡っていた。
深い……深い……沈黙の後で、最初に口を開いたのはグレイドだった。
「私がこの手で次元を繋ぎ、あなた様の帰還をお待ちしています」
後ろで様子を見ていた僕に背中を向けるようにして、グレイドは次元の裂け目から覗く、闇色に染まった気配に向けて言った。
「そんな……湊さんが、魔物たちの王様だなんて……」
(……いや、言ってないよ。僕は何一つ認めてないからね)
と、心の中で朱里に反論しながら、僕はグレイドの様子を見ていた。
「でも、わたしは湊さんを信じたい……例え、魔王だとしても……!」
(だから、魔王じゃないし……)
勝手に誤解して落胆の表情を見せる彼女を放っておいて、僕は静かに術式の構築に入る。
……このまま魔王を演じるつもりはない。
僕はエプロンから取り出したペティナイフに術式を展開させた。
「――付与能力」
口元から紡がれた声に呼応して、幾何学模様の魔法陣が浮かび上がる。
(まずは、あの結界を何とかしないと……)
ちらりと、朱里の周囲に張り巡らされた闇色の球体に目を向けた。
すかさず『硬化付与』で刃の強度を上げ、『耐久強化』を重ね掛けする。さらに『重力付与』で質量を大幅に増加。
(魔力で構成された防御壁を破るには……)
魔力量を強大にしてグレイドの張った結界を叩けば、簡単に破壊できるとは思う。だが、それでは中の朱里ごと粉砕しかねない。
念のため、僕は『解呪溶解』の術式をナイフに上乗せした。
始原のダンジョンの裂け目はまだ不完全のようだ。朱里から抽出される魔力が安定していない今なら、チャンスはある。
「『俊足付与』」
足元に術式を展開させると同時、僕は音もなく素早く朱里の後ろへと回り込んだ。
カキンッ!
(………ん?)
僕の放ったナイフの一撃が見えない壁にはじき返される。切れなかった。見た目よりも頑丈だった。竜の装甲ですら両断できるはずのペティナイフが、魔力の壁に押し戻されたようだ。
(おかしいな……強度が足りなかったかな……)
僕が一人戸惑っていると、物音に気がついたグレイドの声が響く。
「何者ですっ!」
……ここは何と答えるべきだろうか。僕が魔王です、とでも言って誤魔化そうか。それとも……
頭の中であれこれと理屈を探している時だった。
「湊さんっ!」
こちらに気がついた朱里が、見えない壁を内側から両手で叩きながら言った。
「大丈夫? もう何も心配ないからね」
「は、はい!」
「あ。でもね、この結界が硬すぎて破壊できないけど」
「……え?」
一瞬、朱里は硬直して言葉を止めた。
僕が何かを返す前に――。
「ミ、ミ、ミ、ミ、ミナト様ぁあっ! 私のために降臨なさってくれたのですね!」
「違うから。この結界を破壊して朱里さんを救出しにきただけだから――!!」
僕が言葉を言い終える前に、グレイドはばさりとローブをなびかせながら、床に片膝を折って忠誠の意志を示した。
「我が主様。不肖グレイド、私はこの日を何年もお待ちしておりました」
「あ……えっと、僕は君とは初めて会ったので良いよね?」
一応、僕は確認してみた。
「残念ながら、私は始原のダンジョンであなた様を拝見することは叶いませんでした」
「やっぱり、会ってないよね」
「ですがっ、あなた様が作ってくれた教えを今も守っている次第です」
(……何も教えてもいないし、グレイドとも知り合いでもない)
「湊さんの教えって何なの?」
聞くのが怖くて僕があえて言わないでおこうと思った言葉を、朱里がグレイドに言った。
「生きるためには、よく食べて、よく寝て、生存競争に打ち勝て。そうですよね? ミナト様……」
(……嘘は言ってないが)
目を輝かせて言う彼に、僕は何も言えずに黙り込んだ。
「さぁ、今こそ。我々とともに始原をこの世界に降臨させる時です」
……どうしてそうなる。
「その……僕の教え? が……」
自分で教えとか言うのは恥ずかしいが、そうも言っていられないので、躊躇したあとで言葉を続けた。
「どうして、始原のダンジョンの降臨? につながるのかな」
「私はこの世界では、肉体がなければ生きられません。高い魔力を保有すれば、憑依した肉体は滅び朽ちてしまいます」
「魔物だからね。魔素がないと生きられないよね」
「そうなのです。だから、私のいた始原のダンジョンであれば、私は生きることができる。きっと、ミナト様もそれを望んでいるはずなのです」
「えっと……後半から、何か違うこと言ってたね」
僕のささやかなツッコミを完全に無視して、グレイドは立ち上がった。
「とにかく、私はミナト様とこの世界に新しい楽園を作ろうと計画している次第です」
……どこの世界に、前人未到の魔物たちがうじゃうじゃいるところを楽園と呼ぶ人がいるのだろうか。
「グレイド……話はわかったけど、計画は中止してもらえないかな」
「なぜです?」
「始原のダンジョンですよ。魔物たちがたくさんいる楽園ではないですか」
……うーん。確かに……普段は手に入らない食材たちがいるのは魅力的だけど……
そもそも、魔物たちがこの世界にやってきたら、お弁当屋ができなくなるからそれは避けたい。
「ダメダメ……やっぱり、中止ね」
「……ミナト様」
グレイドは落胆し、肩から力が抜けたようにその場に立ち尽くした。
「でも、無理です」
「何が?」
「私には、もう……始原の魔物たちの暴走を止めることはできません」
「えっ?」
何かの聞き間違いではないだろうか。確かに、グレイドの口からは魔物が暴走していると聞こえた。
ガギャアガァァァッ――!
空間を裂く金切り声が轟く。
何もない虚空の中から、二本の獣の巨大な手が飛び出す。手は裂けた溝をつかみ取ると、見えない壁を破壊するように広げていくのが見えた。
……この気配は間違いなく始原の魔物たちのものだ。
「きゃっ!」
同時に――朱里の短い悲鳴が聞こえた。彼女は球体に包まれたまま、祭壇の上層へと浮かび上がっていった。
「グレイド……これは、どういうこと?」
「東雲一族の魔力と空間の歪みとが干渉しあっているようです」
つまり、始原の魔物が空間を開こうとすると、朱里から魔力が吸収される仕組みになっているわけだ。
「ミナト様。私は何をすればよろしいでしょうか」
(……だから、君が元凶だからね)
そうはいっても、何とかして解決しなければならない。
……このまま魔力の供給が続けば、間違いなくゲートは結ばれてしまう。そうなれば、朱里が世界を滅ぼす魔王になるーー
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