エピソード62 矛盾が支配する空間と、名前を取り戻した弓使い【巻き込まれた白猫と傍観するシェフ】
古びているのに、新しい……。
それは、洋館を歩く誰もが抱いた違和感だろう。
例えば、足元に敷かれた絨毯にしてもそうだ。使い古された様子はなく、たった今用意されたばかりの新品のように見える。
汚れや擦れのない手すりに、日焼けの痕跡を感じさせないカーテン、埃一つ落ちていない照明……。空間を満たすそれらすべてが、概念によって形作られた不自然な『模造品』であることを如実に物語っていた。
「魔物の気配がしないな……」
赤い絨毯の通路を歩きながら、ふと、探索者の一人が誰へともなく呟いた。
「この絵……」
朱里が足を止めた。視線の先には、壁に掛けられた大きな額縁。そこに描かれているものは……――。
「下がってっ!」
ヒカリの鋭い声に、朱里はぴくりと肩をすくめる。
その瞬間――絵の中から、黒く紫色に光る切っ先が現れる。
「なっ!?」
キィンッ!
朱里は咄嗟に後ろへ跳び、引き抜いた双剣で獣の爪の一撃をかろうじて受け止めた。が、現れた獣……ダークウルフの大きく開いた牙は、そのまま彼女に食らいつこうと勢いを増していった。
ドンッ、と背中を手すりのほうに追いやれる……「うぐっ、もう無理っ」魔物の力に押されて床に膝をついた時だった。
「よく反応できたな。上出来だ」
そう言った半田の抜いた剣が、すでに魔物の喉を深々と貫通していた。そのまま力なく崩れ落ちる魔物を見て、朱里は小さく息を吐く。
「……油断してました」
「何言ってんのよ。ケガもなく生きているんだから、それだけで十分よ」
……ヒカリの言うとおりだろう。魔素の放出を極力抑えながら襲ってきた魔物の気配を察して応戦できただけでも、良い反応だ。
『……朱里でなければ、この程度ではすまなかったな』
ちらりと、ナッツはほかの探索者たちに目を向けた。一人は未だに動けずにいるし、もう一人は何を考えているのかわからない。盾役だけは、すぐに周囲の警戒を始めている。
『……大丈夫か……このメンバーで』
白い猫の視線は、静かにヒカリへと移った。
あのまま朱里が双剣を引き抜かなくても、ヒカリの何らかの一撃が魔物を仕留めていたであろう。
「どうして、絵の中から魔物が……」
しばらくあってから、今はもう何も反応しない絵画を見上げながら朱里は呟いた。
「さぁね、理由なんてないわ。しいて言えば、魔物たちはそのほうが都合がよかった……それだけね」
ヒカリの言葉に釈然としない様子で、朱里は引き抜いた双剣を腰の鞘に収めた。
とはいえ……。
トリック型ダンジョンは、階層を攻略するためにいくつかの条件が設定されている場合も多い。概念に潜む魔物を一つ一つ見ていくには時間もかかる。それに、十五階層の魔物は今の探索者たちにとって決して易しい相手ではないだろう。
「半田さん。十六階層にいくポータルの位置を、わたしにも共有してもらえるかしら」
そう言いながら、ヒカリはスマートフォンを取り出した。
『探友』機能だろう……
ARCANAが提供している、探索者たちが使えるアプリ機能の一つだ。メンバー同士のやり取りもできるが、ファイル共有機能でマップなどの情報を同期化できるようになっている。
スマートフォンの画面を覗き込みながら、ヒカリはそっと、指を口元に立てた。考えるときの彼女の癖のようなものだろうか。
少し考えてから、彼女は口を開いた。
「これは厄介ね」
……何が厄介なのだろうか。こちらの位置からでは画面を見ることができない。
『どれ……私にも見せてみろ』
「わっ、え? 猫?」
ナッツはひょいとヒカリの肩に飛び乗り、そのまま彼女の肩越しからスマートフォンの画面を覗き込んだ。
探索アプリには、実際に通った箇所をマッピングできる機能が備わっている。それと同時に、強い魔素反応が示されている箇所が赤く点滅する仕様になっていた。
『この赤丸が目的地……十六階層に続く部屋か』
実際に視覚を通して伝わってくるダンジョンの広さに比べると、地図上に浮かび上がる屋敷の間取りはそれほど広くないように見える。
『……この黄色の点はなんだ?』
ナッツの視線が、画面上を不自然に動き回る点滅した光の粒を捉えていた。
……この点は恐らく――
「そうだな。何度も冒険者たちが挑んでも、十六階層にいけない理由がそれだ」
「……計画の立て直しね」
ヒカリは言う。半田はやれやれとため息をつきながら言葉を続けた。
「部屋をしらみつぶしに見て回るか?」
「……賛成できないわ。移動する魔物相手に鬼ごっこするつもり?」
ヒカリがそう言うのも無理はない。
トリック型ダンジョンは、扉と鍵が一対になっている場合がある。つまり、十六階層に向かうには、どこかにある鍵を手に入れなければ扉が開かれないわけだ。
「あの、何がどうなってるんですか?」
背後から、朱里も肩越しに画面を覗き込んできた。
「十五階層のポータルを開く条件が、特定の魔物を捕まえて鍵を奪うことなのよ」
「……特定?」
「そうよ」
先ほど、ナッツの視界が捉えた黄色の動く点は、その鍵を持つ魔物なのだろう。
「だがな、魔物の姿がわからんのだ」
なるほど……。画面には簡易的に魔素反応が示されていても、まだ探索者たちはその鍵の主である魔物の『正体』を見つけていないというわけか。
「私なら魔物を特定できるかもしれません」
……えーと。
ナッツの視界の奥の方にいる、探索者の一人の声が聞こえた。
誰の声なのかわからない。今までひと言も話をしなかった一人だ。
『……あー、あのよくわからんやつか』
ナッツも思い出してから、長身の男を見つめた。
「君は……確か」
「弓使いのハンスです」
「……ん?」
「いや、三田くんだろ……」
半田は少しためらいながら言った。
弓使いの男は、少し間をおいてから、何かを思い出したように背負った弓を手に取った。
「はい。私は三田です。つい名前を忘れていました」
「大丈夫なのか……三田くん?」
魔素の影響で幻覚症状が現れることもある。ダンジョンの十五階層には、まだ身体が慣れていないのだろうか。
「そう……それで、三田さんと言ったわね。魔物が特定できると言ったけど、何か方法でもあるの?」
ヒカリはやや警戒しながら男に尋ねた。
「私の固有能力は弓使いだが、広範囲で索敵することも可能です」
……索敵者か。魔素の位置を確認して、脳内にマッピングできる能力だ。探索アプリとの決定的な違いは、個体数や種類、さらには魔物のランクを正確に見ることができる点にある。
でも……索敵の能力は貴重だ。それほどの力がありながら、なぜ弓使いとして一介の冒険者などをしているのだろうか。
ヒカリも同じ疑問を持ったのか、男の言葉に鋭く返す。
「索敵をしたからといって、シーカーを捕まえることはできないわよ」
……その通りだ。発見はできても、捕まえられるとは限らない。
「それなら簡単だ。あぶり出せばいいのですよ」
三田の手から、カタンッ……と、弓がこぼれ落ちた。両手を広げて術式を展開させる。
『……おい、待てっ……その術式はっ』
ナッツが慌てて周囲を探る。警戒しながら、男からサッと距離をとった。
「絶禍狂奏」
男の周囲から、黒い靄が渦巻くように立ち上がる。漆黒の竜巻のような力の奔流が、部屋の中を激しく取り巻いた。
「そんなものここで使ったらっ!」
ヒカリはとっさに、何かの術式を展開させた。
「きゃっ!」
「朱里、こっちよ!」
朱里の短い悲鳴が響き、ヒカリは慌てて彼女の手を強く握り、自分の元へと引き寄せた。
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