エピソード59 食材が語る小さな嘘と、料理人の駆け引き。割烹着の特務執行官と、声に出せなかった「行ってくるね」【ハクリュウ弁当の朝を迎えるシェフ】
シャキシャキ……
トントン、トン。
グツグツ……グツグツ……
ジュワッ!
小気味よい音色が、芳しい香りとともにキッチンの中へと広がっていく。僕にとってこの時間は、何よりも充実している大切なひとときだ……――。
朝になってから、ややあって。紫苑の監視の目から解放された僕は、自分の城である『ハクリュウ弁当』へと戻ってきていた。
時刻はまだ早朝……。
4月の札幌の明け方は春とは呼べず、吐く息も時おり白くなる。街を見下ろす手稲山は未だに白い傘を被り、冬が居座ったまま夏を待ち続けている。
……そんな季節が、札幌の4月だ。
軽快な音色を響かせながら、僕は今日もキッチンに立っていた。
溶き卵を纏わせながら、サンバードのモモ肉は熱したフライパンの上で軽快に踊る。皮の層から溢れ出す脂が、熱された鉄板の上でジュワッと燃え上がった。
(今日のお弁当は……――)
料理を作る時間は、僕にとって戦場だ。食材と料理人との一騎打ちのようなものだ。両者は一歩も譲らず、互いの思惑が絡み合う真剣勝負の始まりなのだ。
剣を交えるのと同じようにして僕が食材たちと対峙するとき、食材たちもまた僕に応えるようにして動く。サンバードの肉にしても、鮮度はもちろんだが、個体による肉質は千差万別であり、育成状況によってその使い道も変わっていく。
(うん。君は最高だね)
……今日のサンバードの肉質は、弾力があって程よい柔らかさ。脂肪分もしっかりとあるから、モモ肉を使ったピカタにするのが最適だろう。
もちろん、ピカタだけでは主役になれない。ヒーローというものは、最高の脇役がいなければ活躍できないのだ。
だから、副菜となる脇役には君を選ぼう。ダンジョンの中層に自生している『ダンジョン芋』だ。デンプンを多く含んだホクホクとした食感が、お弁当全体を仕上げる絶妙なアクセントになってくれるはずだ。
食材と対話をしながら、僕は弁当を仕上げていく。料理の主役を決めるのが一騎打ちだとすれば、塩加減と香辛料は食材との高度な駆け引きになる。
(剛力オークの肉を使ったコロッケを作りたいけど……)
肉質は赤身で、脂分も少なめ。脂による甘みに欠けるから……――
(オレガノとタイムを使おうか……それとも、スターアニス? いや……それだと香りが主張しすぎてしまう……)
剛力オークの肉は、シンプルなマスタードと塩コショウを提案してくる。が、それだとパンに挟んだときに味がぼやけてしまうのだ。
食材の語る小さな嘘と、僕の思い。両者はいつも牽制し合いながら、最終的に一つのお弁当という完成形へと到達していく。
早朝から仕込みをして……壁に掛けられた時計を見ると、そろそろ十一時を過ぎるところだった。
(……あ、早くしないと――)
今日のお弁当の種類は、全部で六種。定番のハンバーグやオムライスに加えて、ダンジョンで仕入れてきた新鮮な食材を使った特製弁当たちが、店頭に並ぶための出番を待っていた。
「時間です」
(……うーん。そんなこと言われなくてもわかっているよ)
心のなかで小さくため息をつく。
僕に声をかけてきたのは、紫苑が僕につけた監視役だ。特務執行官の一人である。
……キッチンに入るときは武装を解除してほしいとお願いしたのだが、武器こそ窓際に無造作に置かれているものの、軽鎧の上に割烹着を着た、なんとも間抜けな姿をしていた。
「じゃあさ、手伝ってよ」
「何をすればいいでしょう」
特務執行官にお願いしたのは、キッチンで出番を待っているお弁当たちの陳列だった。
……サンバードのピカタとダンジョン芋のサラダの弁当。
剛力オークの黄金コロッケサンドイッチには、挟んだ野菜にトレントの若葉を使用。
それに、フレア・トマトをじっくり煮込んだレッドホーン・ブルのハヤシライス……。
(今日の弁当も、秀逸揃いだね)
……うーん、何か違う。
せっかく並べてもらったのはいいが、なぜ弁当を真ん中に置かず、左寄せで固めて置いてしまうのだろうか……。
メニューのポップとプライスカードをテープで貼り付けつつ、僕は陳列を中央に並べ直しながらブツブツとつぶやいていた。
「誰か来たようです」
特務執行官は、店の前にやってきた微かな気配にいち早く気がついた。
日常生活でもこれだけの察しの良さがあれば、もっと付き合いやすいのだが……。
(……戦闘に特化した兵士に、柔軟性を求めるのはよそう)
振り返ると、小柄な人影が窓の向こう側に見えた。
ガシャ、チャラチャラ……。
「あれ? 開いてる」
聞こえてきた声には、聞き覚えがあった。
「ミナト様、早く行きましょう」
「あ、もう少し……ハヤシライスの位置はやっぱり右側のほうがいいかも」
「駄目です。時間がありません。見つかります」
「わかったから、せめてハヤシライスの位置だけ……」
「……うわっ!」
僕は特務執行官に無理やり担ぎ上げられ、キッチンの奥へと連れ込まれた。
その時……だった。
「湊さん? あ。お弁当がある」
店内に明るい声が響いた。朱里だ。
「湊さん、おはようございます。いますか?」
いつもならここですぐに出ていって、笑顔でお出迎えをしたいところだが、今は仕方がない。
「行こうか」
僕が命じると、特務執行官はキッチンの中央に空間を裂き、ポータルを開いた。
「はい。お待たせいたしました」
(それじゃあ、また行ってくるね)
音の出ない声で朱里に向けてそう呟くと、僕は特務執行官と共にポータルの中へと飛び込んだ。




