エピソード49 極上アースベアのハンバーグと、留守を預かる白い猫。誰もいないキッチンで静かに闘志を燃やす【仲間想いのマイペースシェフ】
コトコト……コト、コト……。
朝の静かな空間に響く、不規則だけれどどこか安心感のある音。そのリズムが緩やかになるにつれて、デミグラスソースの深みが増していく。
バッファローゴーストの牛骨と、ワイルド・ブルのスネ肉から溢れ出した旨味をたっぷりと閉じ込めた濃厚なソース……――。鍋のふちでそれが少し煮詰まり、キャラメル化した瞬間に漂う、甘く香ばしい匂いがキッチンに優しく広がっていた。
……ワイルド・ブルは肉質に強い弾力があるけれど、こうしてじっくり煮込んでいくにつれて、自然ととろけるような柔らかさへと変わっていく。感覚としては牛すじの煮込みに近い。
ふと、僕は窓際に掛けられた時計を見やった。ハクリュウ弁当のお店で弁当の仕込みをしていた。
(そろそろ……九時過ぎか……)
お昼の営業時間まで、もうそれほど時間はない。少し急がないと……――。
窓から差し込む陽光は、とても柔らかく優しい。夏のような刺すような強さもなく、冬のような凍える寂しさもない。
……僕はこの穏やかな季節が、とても好きだった。
『……いい香りだ』
いつの間にかやってきたナッツが、僕の足元をくるりと一周し、そのまま窓辺の指定席へと向かう。カーテンのすき間から差し込む陽光に、白い耳をピクピクと動かしていた。
「起こしちゃったかな?」
大きなあくびをした後で、ナッツは顔を洗うように白い前足で耳の後ろまでを丁寧に撫でる。
『……春だからな。眠いだけだ』
「いつものことでしょうが……」
僕は笑いながら言った。デミグラスソースを木べらですくい上げると、宝石のような艷やかな光沢が、まるで鏡に反射するように僕の顔を映し出す。
……うん、良い仕上がりだ。
『ミナトとは、長い付き合いになるからな』
「……そうだね」
多分、誰かとこうして一緒にいられる関係性というのは、デミグラスソースの仕込みと似ているのかもしれない。
じっくりと煮込んで、煮込んで、煮込んで――。
表面的な付き合いから、様々な出来事を共にして、確かな信頼が生まれたときに初めて、深みのあるソースは仕上がっていく。
鏡のように相手のことがわかるようになって、ようやくデミグラスソースが完成するのだ。
『紫苑は何か言ってきたのか?』
僕はアースベアの赤身を切り分けてから、ミートミンサーに入れて挽肉(ひき肉)にしていく。
「お前は目立ちすぎる……だってさ」
飴色に炒めた玉ねぎの甘みが、冷たい挽肉と均等に溶け合うように、指先でじっくりとこね上げていく。ふと、手を止めてから、
「ナッツさん」
『どうかしたか』
「しばらくの間、お店のこと任せてもいいかな」
『私の猫の手を当てにするな。料理などできんのだからな』
不謹慎だ、と言わんばかりに、ナッツは大きくため息を吐いた。
「紫苑から呼び出しがあった……」
返ってこないナッツの言葉を待たずに、僕は熱したフライパンの上に成形した挽肉を並べながら、静かに口を開く。
「自分を守る力と、大事なものを守る力は違うんだと思う」
『それで? 何が言いたい』
「守るために……僕は紫苑のところに行ってくるよ」
『それが、ミナトの出した答えなのだな』
僕は、表面を香ばしく焼き上げたハンバーグを、デミグラスソースの鍋へとそっと入れた。
あとはコトコト……煮込むだけで、極上のアースベア・ハンバーグが仕上がる。
……普段は注文を受けてからお弁当を作っていたけれど――。
ハクリュウ弁当のそれほど広くない店舗スペースに長机を置き、そこに朝から準備しておいたお弁当をずらりと並べていく。今日はこのテーブルの上から、作り置きの弁当を販売していくスタイルだ。
「うんうん。こんな感じかな」
テーブルの上には、彩り豊かなお弁当たちがびっしりと並べられている……――。
デザートイーグルのから揚げ弁当、ライノス・ビーストのカツ丼、コカトリスの卵で作ったオムライス、それにケット・シーの飼い豚で仕上げたポークチャップ……。
『今日はずいぶん品数が多いな』
「それと……」
『これは何のつもりだ?』
僕が用意した小さな箱を首から提げられると、ナッツは露骨に嫌な顔をした。箱にはご丁寧に『代金はこちらへ』と書かれている。
「しばらく、店長代理ということで」
『私はお店を任されるとは言っていないぞ』
「そんなこと言わずに……――あ、ちょっと待ってね」
文句を言い始めたナッツを置いて、僕はデミグラスソースで煮込んでいたハンバーグの様子を見に行った。
……おぉ、上出来!
「ナッツさん、ハンバーグをあげるから機嫌直してよ」
『ゔっ、そういうことなら……仕方があるまい』
ふっくらと膨らんだジューシーな煮込みハンバーグをお弁当に詰めながらチラリと横を見ると、僕の隣ではナッツが熱々のハンバーグをハフハフさせながら夢中で食べていた。
「……猫って、猫舌じゃなかったっけ?」
『それはただの迷信だ』
白い口の周りをデミグラスソースでいっぱいにしながら、ナッツは胸を張って僕に言った。
『気をつけて行ってこい……お前が戻るまで、店は代わりに切り盛りしておいてやる』
そう言って、ナッツは再びガツガツとハンバーグの続きを食べ始めた。
(よし! これで準備ができた)
店内を見渡しながら、お弁当のメニュー表を壁に貼り、ポップやプライスカードを用意して、最後にアースベアの煮込みハンバーグ弁当を店頭に並べる。
すべての作業を終えたところで……――僕は、再び静かになったキッチンへと一人戻った。
……僕の居場所は、この場所だ。
ナッツがハンバーグを食べ終えた空の皿を片付けたあとで、そっと振り返る。
「行ってくるよ」
僕は、誰もいないキッチンに向かって小さく呟いた。
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