エピソード46 厄災の古代竜がもたらす絶望と、ざわめく歴戦の探索者たち。放たれた致死のブレスを【無敵のキッチンエプロンであっさり防ぐシェフ】
ドォゴンッ……!!
爆音が周囲の空気を激しく歪ませる。とっさに張った風の膜に覆われたまま、僕は古代竜の放った咆哮の爆風によって弾き飛ばされた。
明るい。外の世界だ。
青い空と雲。土の匂いを感じ、僕は反射的に眼下を見下ろした。風の術式を展開していたため、地面への激突は免れたようだ。
……見慣れた景色がそこにあった。
視界に映り込む光景の先に、多くの探索者たちの姿が見える。
ここは栞奈の作った迷宮ではない。迷宮の外……現実の金山ダンジョンへと戻ってきたのだ。
いつもと変わらない景色に、僕は小さく息を吐く。
だが、安堵してもいられない。いつもと決定的に違うところは――目の前に古代竜が翼を広げ、陽光を遮り、広場を飲み込むほどの巨大な影を作っていた。
「ドラゴンだと……!?」
古代竜の放つ圧倒的な威圧感の前に、広場に集まっていた探索者たちが口々に叫び合う。
「嘘だろ、本当に来やがったのかよ……!」
「どうするんだ!? 俺たちであんなバケモノ、どうにかできるのか……?」
眼下には、身の丈ほどある大剣を構える戦士、弓を引き絞る狩人、杖を掲げて術式の準備に入る魔術師風の者など、金山ダンジョンには集う錚々(そうそう)たる面々が揃っていた。
「と、とにかく陣形だ! さ、作戦を立てよう!」
だが、ダンジョンで魔物を狩ることに慣れているはずの彼らでさえ、突然上空に現れた『厄災』を前にして、武器を握る手を震わせ、恐る恐る後ずさっているのがわかる。
頭上を見上げると、半円を描くように、金山ダンジョン全体を覆う七色の術式障壁が展開されていた。
『厄介なものを連れてきたな……』
「活きはいいでしょ?」
頭の中に直接響いた声に、僕は心なしか安堵した。これほどまでに広範囲で、密度の高い結界を作れるのはナッツしかいない。念話の主は、あの白い猫のものだった。
『鮮度は悪くないな……だが、捕獲はできんぞ』
「解体するしかないよ……――朱里さんと栞奈は無事かい?」
『何も問題はない』
「……良かった」
『どう料理するつもりだ? アイツは見た目の通り、硬い鎧を纏っているのだぞ』
僕は静かに頷いた。勝算はある。
目の前に活きの良い極上の肉があるのに、ここで逃げ出してしまえばシェフ失格である。
(魔素の流れが思ったよりも早いな……)
広場には、竜から発された魔素が充満してきた。上位種の魔物には、膨大な魔素が内包されている。
古代竜ならなおのこと……表皮から自然と溢れ出す魔素の量は、僕の想定よりも放出速度が早い。
……これも呪詛の影響によるものだろうか。
魔物は、魔素を核として形が作られていく。ダンジョンの深層部には魔素核があり、それがダンジョン内の魔物たちを生み出す源になっている。それと同じだーー古代竜から溢れ出す濃密な魔素が、周囲の空間で次々と新たな魔物を生み出していく……。
……今は考えている暇はない。
ドラゴンの魔素から湧き出す有象無象については、経験のある探索者たちに任せておいてもよさそうだし……
『古代竜とは、始原のダンジョン以来だな』
ナッツが警戒を緩めないまま、静かに語った。
「こうして出会えるとは思わなかったけどね」
『……アイツもここでは全力とはいかんだろう』
上位種が人間世界に来ない理由は一つある。それは、この世界には魔素がないからだ。
ドラゴンともなれば、体内に蓄積されている魔素の量も膨大になる。そのため、魔素の供給がしづらい場所では、活動そのものに制限がかかってしまう。そのことが、魔物たちが簡単にこちらの世界を侵略できない理由でもある。
……それに、本来ならばもう少し知性的な動きを見せるはずの魔物であるが、呪詛の影響から状態異常の『狂乱』が付与されているようだ。
グォオゥッ……。
空中に滞空したまま、竜の王は動き出す構えをとる。
『咆哮か……ここであれをやられると、被害は大きいぞ』
古代竜の動きに意識を向けながら、僕は最悪の事態に備えて術式を完成させておく……。
『……一気に畳み掛けるか?』
僕は静かに首を振った。
「それだと、食材にならないよ」
『しかしだな、あの鱗は鋼鉄よりも硬いのだぞ』
「生け捕りは無理でも、生き造りくらいならできるかもよ」
『厄災級のドラゴン相手に、そんな物騒なこと言えるのはお前だけだろうな』
と、ナッツは呆れたようにため息をこぼした。
バサァッ……!
一対の巨大な皮膜が、重い風切り音を立てて展開される。
始原のダンジョンで古代竜と対峙したときの記憶が、一瞬だけ脳裏をよぎった……――。
「ナッツさん! 栞奈に今すぐ探索者たちを退避するよう伝えて!! 職務なんて放棄していい、身の危険を感じた者はその場から逃げるように……ッ」
来る……!?
瞬間――空を覆うほど広げられた翼が、大きく上下に羽ばたいた。
目に見えないほどの速さで、鋼鉄の棘が広場に向けてバラ撒かれる。
……竜骨の剥片か。空から放たれた大岩ほどもある翼の硬い剥片が、雨のように地面に突き刺さり、ギルドの建物の屋根を無惨に貫いていく。
術式で防ぐ間合いが掴めない……!
ドォンッ!!
その時、巨大な火球の一撃がドラゴンの頭部を捉え、炸裂した。僕が放ったものではない。広場にいた探索者の誰かが、決死の覚悟で放った大魔術だろう。
古代竜にとっては痛くも痒くもない攻撃だろうが、不意の一撃に竜の動きが一瞬だけ緩む。その隙を、僕は逃さない。
「重力嵐気!」
密度の高い重力の波が空間を激しく揺さぶり、空中の古代竜の巨体へ、叩き落とすような圧力をかける。
『ギョォオオオオオオオオオオオッ!!』
だが、古代竜は落ちない。
予想外の重圧に対し、古代竜は空気を噛み砕くような咆哮を上げ、莫大な魔素を全身から噴出させた。ギシギシと鋼鉄の鱗が悲鳴を上げているのにも構わず、力任せに巨大な尾を振り回し、僕の『重力』そのものを物理的に引き剥がそうと必死に抵抗している。
空気がミシミシと軋み、重力と魔素の衝突でバチバチと火花が散った。
……術式が浅かったか。
「お、おい! 今の重力波はなんだ……!?」
「あんなバケモノみたいな魔法、見たことねえぞ! 超・上級スキルじゃねえのか!?」
「一体誰が放ったんだ! この中に重力魔法なんて使えるヤツがいるのかよ!」
古代竜をも押し潰そうとした凄まじい威力の術式を目の当たりにして、広場に集まっていた探索者たちの間に激しいどよめきが走った。
一体誰があんな大魔術を放ったのかと、周囲をキョロキョロと見渡してざわめく声が、上空にいる僕の耳にもはっきりと聞こえてくる。
……本当は、あんまり目立ちたくはないのだけど。
見下ろすと、探索者たちの中に見知った顔があった。
(朱里さん……じゃあ、さっきの魔力の流れは――)
だが、それに先に気がついたのは古代竜のほうだった。
重圧の中、自分に火球を放った相手を探り当て、目を見開いた先にいたのは朱里の姿。
僕はとっさに、重力の術式を解き、別の術式を構成して跳躍する。
ギロリと、ドラゴンの眼が瞬いた瞬間。大きく開かれた口から咆哮が放出された。
先ほどの『終焉の黒業火』ほどではないが、それでも直撃すれば、小さな家くらいなら一瞬で吹き飛ばすほどの威力がある。
「鬼火よ!」
それは、朱里の声だった。声に応えるようにして、彼女の手のひらから巨大な炎の渦が展開され、球体となって竜の咆哮へと放たれる。
……が、ドラゴンの咆哮は、朱里の放った火球をいとも簡単に飲み込んだ。
そして――!
シュッ……。
迫り来る絶望に身をすくませた朱里の目の前で、巨大な咆哮が嘘のように掻き消えた。
(良かった……間に合った……)
ばさり……っ、と。白い布は力を失い、地面に落ちた。
「……湊さんの、エプロン?」
「朱里さん。どう? 僕の無敵のエプロンは」
……対魔吸収の術式を施したキッチンエプロンがあって良かった。まるで巨大なスポンジのように、古代竜の放った魔素をあっさりと吸収してくれた。
「はいっ!」
……うんうん。いい返事だ。とりあえず無事で何よりだ。
魔物の数は多いが……。
朱里たちを襲おうとしていた魔物の群れを、長剣で鮮やかに捌いていく剣士の姿があった。討伐隊の朔だ。
「大丈夫……?」
朔がこちらへと駆け寄ってくる。
「……えっと、朔さんだっけ……ありがとう」
と、朱里が告げるが、
「良かった……師匠が無事で……」
「師匠って……? あぁ、そっちね」
押し寄せる魔物と戦いながら、器用にナッツを抱きかかえている朔の姿を見て、朱里はやれやれとため息交じりに肩をすくめた。




