エピソード39 迷宮を侵食する謎の呪いと暴走する魔物。厄介事はご免だけど、ご褒美のドラゴンステーキのためなら【満面の笑みで討伐契約を交わすシェフ】
『キシャアッ……!』
部屋の外から、鋭く尖った甲高い魔物の叫び声が響いた。
『何かいるぞ』
それまでジト目で寝ているふりをしていたナッツがぴくりと起き上がり、しっぽを立てて警戒の殺気を放つ。
「そんな……ここはボクのテリトリー内だ。魔物がいるはずがない!」
愕然とした様子で、栞奈は和室を飛び出した。
部屋の外――本棚が立ち並ぶ回廊の中央に、魔素をはらんだ犬の姿をした何かがいた。さっきまで、僕たちが食事をしていたあの応接間のスペースである。
「ハウンドドッグ……が、何で!?」
「うーん。少し違うかな」
……あれは、本物の魔物ではない。
瞬間ーー魔物が動く秒の隙間に……僕は素早く対象の懐に回り込んだ。
背後を取る――(やっぱり、命が感じられない)魔物にあるべき核の流れが感じられない。
僕は唸りを上げる犬の背に、手にしたナイフの刃先を深く押し当てる……と、犬の形をしたソレは、黒い霧となって散り、力なく姿を消した。
「ただの魔素だよ。肉体はない」
……残念だが、食材にはならない代物だ。
つまり、外部から侵入してきた魔物ではない。栞奈が作り上げたこの迷宮で、彼女自身が自らの意思で組み上げた門番の役割を持つ魔物ということになる。
(でも、それならどうして……?)
栞奈の命令で作られたはずの魔物が、どうして主の命令に背いて襲いかかろうとしたのだろうか。
『原因は、あの術式だな』
ナッツが、僕の思考を代弁するように低く呟いた。
「こんなの、ありえない……!」
奥の部屋……朱里がいる和室から、栞奈の震えた声が聞こえた。
一瞬、僕はナッツと視線を交わしたあとで、彼女のもとへと急ぐ。
横たわる朱里がふわりと床から浮かび上がり、彼女を守るように『火の糸』が周囲を囲んでいた。
(術式の暴走か……? いや、それにしては……)
もしも封印の術式そのものが暴発したのなら、朱里から直接魔力が放出され、彼女自身が無事ではいられないはずだ。
幾つもの術式の方陣が、まるで生き物のように宙を舞い、展開していく。
「この術式は、朱里さん本人のものじゃないね」
ぽつりと、僕は呟いた。
体内の魔力の軌道を促す彼女自身の術式構成とは明らかに違う、禍々しい方陣が、彼女の四肢を支配するようにして展開していた。
シュン……!
朱里の周りを回転していた術式たちが、ぴたりと停止する。 ――瞬間。強烈な殺意を周囲に放ちながら、無数の術式が一気に弾け飛んだ。
『………っ!』
ナッツがとっさに魔力盾を展開する。
……が、一気に弾け飛んだ無数の術式は、盾を嘲笑うかのように不自然な軌道を描いて通り過ぎる。
(後ろ……)
術式の一つが、僕たちの背後の壁へと突き刺さる。
と……床の間に下げられていた掛け軸が、黒い霧に侵食されて、そのままゆっくりと崩れ落ちた。
「これって……まさか」
そうだ。栞奈が驚いたのも無理はない。
『書き換えられた』のだ。
栞奈の作り上げたこの迷宮が、朱里から放たれた術式の片鱗によって侵食された……
(術式に触れたものが、黒く腐食して消える……か)
書き換えられたというより、栞奈が定義した『虚栄の現実』が、より強力な呪詛のようなものによって『上書き』されたと言ったほうが正しいかもしれない。
栞奈の迷宮の致命的な欠点は、「外部からの情報の書き換え」が禁止されていないことだ。
……まあ、栞奈の魔力に干渉してそんな真似ができる人間なんて、世界でもそう多くはないから、そもそも警戒する必要もなかったのだろう。
「術式の回路を見破ったものに報復する……そんなところかな」
『いくら何でも笑えん冗談だな』
僕の言葉に、ナッツがすかさずツッコミを入れる。
「あ、でも……朱里さんなら問題ないよ。さっき、僕が『仮の術式』を書き込んでおいたから」
朱里に刻まれていた呪いの術式には、構造の改変はできないが、「新たな付与」に対する防壁の規則はなかった。
だから、あの複雑に施錠された術式の上から、僕が別の命令文を書き加えることで、一時的に術式自体の支配権を奪っておいたのだ。
「書き込むって……ミナト、あんた一体何やったんだ!?」
詳しいことを説明している暇はない。ナッツも僕と同じ意見のようだった。
『今はそれよりも、このままだとファントムが完全に書き換えられてしまうぞ』
オオオオオォォォォ……
空間そのものが悲鳴を上げている……とでもいうべきか。
飛び去った呪詛の群れは次々に、栞奈の施した魔力構成を黒い霧へと焦土化していく。
「まずいな……っ!?」
次々と侵食されていく周囲の様子に、栞奈の顔が緊張で強張った。焦りの表情を見せる。直接戦う術を持たない彼女にとって、自分で生み出した魔物に反逆されれば、身を守ることすらできないだろう。
「ミナト……頼みがある!」
「断る。面倒だし」
僕は他人事のように背を向け、そのまま帰ろうとした。栞奈が必死になって僕の服の裾にしがみついてくる。
「何でだよ! まだ何も言ってないのに!」
「この侵食を止めてほしい、とか言うんだよね?」
「そうだけど……!」
「上の討伐隊にお願いするとか」
迷宮で起きている出来事は、あくまでこの空間……栞奈の虚栄の現実の中でしか発生しない。
外側の現実世界には何も影響を与えないはずだ。問題は大きいだろうが、このまま朱里を連れて外に脱出するという手もある。
「……ドラゴンだ」
「はい?」
一拍の間をおいて、突発的に放たれた栞奈の言葉に、僕は思わず息を呑んだ。
「この塔の上層階に、本物の『火竜』がいるんだ……! ボクのファントムで檻を作り、魔素で培養していたものだ……」
『何でそんな物騒なものを飼っとるんだ、お前は』
ナッツがげんなりして言った。
「ナッツにだけは言われたくないな」
『どういう意味だ?』
……二人の掛け合いはどうでもいい。
もしそれが本当なら、話はまったく変わってくる。
「ファントムの干渉力が弱くなれば、魔力の檻は破壊される……というわけか」
「……そうだ。そんなことにでもなればドラゴンの暴走は止められなくなる」
……うーん、と。それはつまりだ。
「『本物の火竜の肉』を、僕に譲ってくれるって話でいいのかな?」
……ドラゴンの肉は、ダンジョンの食材の中でも最上級に分類される。つまり、この面倒事を片付ければ、ご褒美に『最高のドラゴンステーキ』が待っているわけだ。
「え?」
このままだと、迷宮は崩れ、そのあとドラゴンは討伐隊に処理されてしまうだろう。その前に、食材として確保できないだろうか。
「……この状況を止められるなら、仕方がない」
苦渋の表情を浮かべる栞奈に向けて、僕は満面の笑顔で握手を交わした。
「契約成立だね」
「やってくれるのか……?」
「もちろん」
「……良かった。ドラゴンが暴走したなんて上に知られたら、休日返上で始末書と残業をしなければならなくなるからな……」
『……いや、それだけの問題では済まんだろう』
「とにかく! 極上の肉……じゃなくて、火竜の討伐は僕が行ってくるよ!」
僕はエプロンの紐をキュッと締め直した。愛用のペティナイフを片手に、崩壊の足音が近づく迷宮の上層階へと足を踏み出す。
……調理開始だ!
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