エピソード38 迷宮のオーブンを勝手に改造しようとして現行犯逮捕。奥の和室で明かされる、助手の固有スキルを封じる恐るべき呪文の正体と【ダンジョンの法則をハッキングするシェフ】
……うーん。
僕は一通り後片付けを終えた後、キッチンの壁をじっと見つめていた。
白を基調とした壁には、アンティークな風合いのレンガ調キッチンパネルがはめ込まれている。表面の凹凸まで精巧に作られており、どこからどう見ても現実にある本物のキッチンの壁にそっくりだった。
(ある程度の強度があるんだ……)
触れると冷たく、指でノックすると硬い素材で作られているパネルであることはわかる。
仮想的に作られたこの迷宮は、栞奈の知識データによって構築されている。だから、見た目がレンガ調のキッチンパネルであっても、現実世界のものとは違うものだ。
「『付与能力』、『硬化付与』」
キンッ……。
(あ……弾かれた)
包丁の硬化性を高めても、『虚栄の現実』で定義された世界では、包丁で陶器の壁を斬ることはできない。
……ではここに、別の術式を付与した場合はどうなるのか。
「『物質変容』」
包丁から質感の定義を取り出して、役割をそのままにする……と。
スパッ……。
まるで温かいバターを切るように、キッチンの壁に包丁がスッと吸い込まれた。刃の通った道には、切り込まれた線が入る。
(やっぱり、付与能力で物質変化させた包丁なら有効なのか)
栞奈の定義に、さらに僕の付与能力を乗算したり減算したりすれば、自由にダンジョンそのものを変化させることもできるわけか……。
『……そのあたりにしておけ』
とてとてと近づいてきたナッツが、ひょいとキッチンの上に飛び乗った。奥の部屋にいる二人に聞かれないよう、念のため音のない声――『念話』で言葉を伝えてくる。
「この空間は面白いね」
『栞奈に見つかってもいいのか』
「うーん……それは困るけど、何とかなるんじゃないかな」
『何ともならんだろう』
「ほら、この皿だって、こうして……落とすと」
ガシャン……!
派手な音が鳴り、床に落ちた衝撃で陶器の皿はバラバラに割れた。
「でも、不思議なんだ。すぐに再生して元に戻る」
……これは多分、栞奈が『物が壊れた時のイメージ』を、この迷宮に求めていないからだと思う。
「こっちのガスコンロは火の調節もできるし、火力もあげることができる。フライパンにも熱を伝えられるようになっているのに」
『……それがどうしたんだ』
「問題は、下にあるオーブンなんだ」
僕は立派なビルトイン・オーブンの扉を開いてみせる。
「扉の開閉が可能で、料理を焼く台も備わっているのに、肝心のオーブンとしての機能が備わっていない」
……そう。これは、栞奈がオーブンを使ったことがない……もしくは、料理を一切しない彼女にとって、オーブンはキッチンにある『ただの飾り』でしかないということだ。
「もしも、このオーブンのダイヤル部分を導線にして、火の術式を加えるとね。オーブンが使えるようになると思うんだ!」
目を輝かせながら僕は熱弁した。
ナッツは呆れたように「やれやれ」とした顔を作り、パタンと耳を閉じた。
「勝手にボクの迷宮を作り替えないでほしいんだが」
びくっ……。
僕とナッツはその声に気がつき、ゆっくりと振り返った。そこには、腕を組んで仁王立ちしている栞奈の姿があった。
「お、おーぶんの調子が悪くて……」
「その箱は使えないぞ。ただの箱だ」
『おい、もうバレてるって……!』
ナッツは焦りのあまり、思わず念話を忘れて直接声を出してしまった。
「いや、オーブンが使えたら、もっと料理の幅が広がるかな……って」
「ふぅ、ったく」
何か物言いたげな栞奈は、呆れたようにスッと息を吐いてから、少しだけ真剣なトーンを帯びて告げた。
「ミナト……ちょっと来てくれるか」
「……?」
僕は、ナッツと顔を見合わせた。
本の回廊の奥、栞奈に案内された部屋は和室だった。
部屋の中央には、静かに寝かされている朱里の姿がある。
「えーと……君たち、奥の部屋で何してたの?」
「なにって、別にやましい事なんてないからな」
栞奈が朱里に向けて手をかざした、その瞬間だった。
「これを見てほしい」
ズバッ……!
朱里の身体の上に、幾つもの複雑な術式が幾何学模様となって浮かび上がった。
「魔力回路……」
魔力とは、僕たちの命の源だ。身体を動かす原動力となるエネルギー源と言ってもいい。魔力の本質は『エーテル』とも呼ばれ、特に探索者の持つ能力の具現化に必要な養分となるものだ。
「そうだ。彼女が『鬼火』を使えなくなった原因……とでも言ったほうがいいかな」
栞奈は迷宮の構造を自ら創り出すこともできるが、こうして他者の術式の回路を開示させる『解析』の能力も持っている。
「精巧な術式だね」
鮮やかな光の方陣で描かれた術式は、美しさと精密さの両方を兼ね備えていた。術式というものは、目に見えない言語による『命令文』が刻み込まれていることが多い。
僕はその命令文を、頭の中で言語に翻訳してみた。
『――稀代の外にあるべき狗のモノノフの仇なりてふり屠る栄華の如くなり』
……何のことだろう。
分かっていることは、誰かが何かの目的のために、朱里の固有スキルを意図的に封じたということだ。
僕は、そっと眠りについている彼女を見つめた。
「今わかっていることは、この術式はボクらには解けないってことだ」
……回路や仕組みが分かっても、どんな意図で構成された命令文なのかが完全に理解できない以上は、解除することもできないか。理屈の上では、そうなる。
「栞奈にもわからないんだ」
ぴくっ……。
眉根を跳ね上げて、栞奈はこちらを睨みつけるように振り返った。
「いや、わかっているさ。今、コイツを無理に解こうとすれば『暴発』する。だからうかつに触れられないだけだ……!」
暴発か……確かに栞奈の言う通りだ。この術式は、幾重もの罠が仕掛けられた多重構造で施錠されている。
……だとすれば――。
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