エピソード32 SNSの身バレ危機より新作のテールスープ。抗えない肉の魅力で追及をかわす【チェーン店だと言い張るシェフ】
……そろそろ、春だった……っけ。
ぽつり、と。
厨房の窓から雪解けの景色を眺めて、小さく一呼吸をつく。
長く厳しい冬が終わりを告げ、季節が急ぎ足で夏へと向かっていくこの時期。変わっていくものと、変わらないものが自然と分かれていき、雪の下で眠っていた初夏の息吹が新たな時間を運んでくれる。
変わらない明日はない。……変わることを、恐れない限り。
コトコト……コト、コト……。
柔らかな湯気がずん胴鍋から立ちのぼり、香味野菜の香りが優しく厨房に広がる。
テールスープを仕込み始めて、もう三時間ほど経っただろうか。先日ダンジョンで仕入れてきた上質な肉の旨味が、鍋全体に染み渡っている。
『……いい匂いがするな』
「まだ出来てないよ」
とてとて、と足音を立ててやってきたナッツが、厨房の入り口で鼻をクンクンとさせている。
最近、店に客がいない時のナッツは、念話ではなく直接『声』を出して話すようにしているらしい。「そのほうが気持ちが伝わるから」という、ナッツなりの心遣いなのだろう。
(……うーん、今は猫の体だし、やっぱり玉ねぎ入りのスープは飲んじゃダメなのかな?)
ふとそんなことを考えながらナッツの方をじっと見つめていると、ナッツが不思議そうに首を傾げた。
『どうした?』
「いや、何でもないよ」
『……そうか』
僕は視線を戻し、そっと鍋の中を覗き込む。(うん、いい感じだ)
ダンジョンで仕入れた『リザード』の尻尾の肉も、ほろほろに崩れるほど柔らかく煮込まれている。
「そろそろ春だしね。今度の休みは、石狩の方に行って山菜でも採ってきたいな」
僕はテール肉をいったん取り出し、スープをシノア――円錐の形をした濾し器――へと静かに注ぎ込む。
「あ、でも。石狩の方に都合のいいダンジョンなんてあったかな?」
『どうして、山菜採りのついでにダンジョンが出てくるのだ』
「だって、せっかく遠出するんだから、美味しいお肉もついでに仕入れたいじゃない」
ナッツの呆れたツッコミを軽く流しながら、濾し器を通ったスープを確認する。
うん。テールスープは思いのほか、濁りのない美しい透明感を保っていた。下処理の段階で、完璧に血抜きをしたのが良かったのだろう。魔物は『魔素』を核として生きているため、普通の野生動物のような獣臭さはさほど強くないのだ。
「おお、完璧に出来たね」
会心の出来栄えに、思わず声が漏れた。
――と、その時だった。
「ちょっと、湊さんっ!!」
けたたましくドアベルが鳴り、同時に飛び込んでくる血相を変えた声。
僕はシノアからスープを注ぎ終えたまま、厨房からひょっこりと顔を出した。そこには、息を切らしてスマートフォンを握りしめる朱里の姿があった。
「あ、朱里さん。ちょうど良いところに来たね」
「……え?」
「今、新作のテールスープが仕上がったところなんだ。ちょうど味見役を探しててね。試食、お願いできないかな?」
「あの……っ! いや、そうじゃなくて……えっと……はい」
何か重大な報告をしようと口を開きかけた彼女だったが、厨房から漂う食欲をそそる良い匂いに圧倒されたのか、流されるままにコクリと頷いてしまった。
数分後。
「どう? 美味しい……かな」
朱里が熱々のスープを一口飲んだ瞬間、先ほどまでの彼女の顔から、ふっと強張った緊張がほどけたように見えた。
(……うんうん。リザードのスープには、高ぶった感情を落ち着かせる魔力効果でもあるんだろうか? まあ、それはおいおい調べるとして……)
「……美味しい」
「良かった。おかわりならたくさんあるから、遠慮なく言ってね」
「あっ、そうじゃなくて! あのね、湊さん……!」
「なに?」
……あ、そっか。見慣れない肉が入っているから気になっているのか。
「あー、このゴロッとしたお肉のことかな。実は先日、ダンジョンの中で仕入れてきたものでね。僕もスープにするのは初めてで――」
「そうじゃなくてっ!!」
……ん? どうやらお肉のことではないらしい。
「この記事! これ、湊さんだよね!?」
バシッ、と。
朱里はついに痺れを切らしたように、僕の目の前へスマートフォンの画面を突きつけてきた。
そこには、SNSで拡散されているニュースサイトのまとめ記事が表示されている。
【速報】すすきのにランダムダンジョン発生!? 謎の鳥型魔物を瞬殺した『白エプロンの謎シェフ』とは?
記事の内容はこうだ……
昨日未明、すすきの交差点付近に突如として発生したランダムダンジョン。その影響で上空に出現した巨大な黒い鳥型の魔物を、現場に居合わせた謎のシェフが、なんとペティナイフと『ポイントカード』だけで瞬殺したというのだ。
目撃情報によれば、「猫のような謎の鳴き声が響いたかと思うと、上空の黒い鳥が翼を閉じてバタバタと落ちてきた。それを、下で待ち構えていた勇敢なシェフが一気に解討伐した」とのこと。
記事には現場の写真も添えられていた。一応、目元には申し訳程度の黒い線が入っており、顔の輪郭もぼんやりとしか写っていない。
『……ばっちり写ってるな』
後ろから画面を覗き込んできたナッツが、念話で呆れたように呟く。
「だよね……」
この不鮮明な写真なら、姿ははっきりと見えても、ギリギリ誰とまでは断定できないはず……。
「すごいねえ。世の中には、こんなに強い料理人もいるんだね」
「…………湊さんだよね?」
「うーん……シルエットは僕に似ているけど、僕にはこんな強い兄弟はいないし……」
「あぁー、もう! しらばっくれないで! ほら、ここ! エプロンの胸元に『ハクリュウ弁当』ってバッチリ書いてあるじゃない!」
「……うちの系列の、チェーン店かな?」
「……そんなわけないでしょ」
どこか疲労困憊した様子で、朱里ちゃんは深く、深ぁくため息を吐き出した。
「大体、一緒に写ってるこの剣士は誰なのよ!?」
記事をスクロールすると、すすきので目玉の魔物を退治している剣士の姿もバッチリ撮影されていた。僕が何か言い訳をひねり出す前に――。
「……それ、オレ……だと思う」
「うわっ!? びっくりしたっ!!」
気配もなく朱里の後ろに現れた声に、彼女が小さく悲鳴を上げる。
「朔くん。今日も仕事かい?」
「夕方から……泊まりだから」
「そっか」
短く答えた朔の視線が、スッと朱里の方へ向けられた。
ビクッ、と彼女の肩が跳ねる。
「あぁ、彼は朱里さんと同じ『ARCANA』所属の探索者だよ。今は討伐隊にいるんだ」
「と、討伐隊……」
じっと自分の方を見つめてくる朔に、朱里はどうすることもできず、緊張で目をぱちくりとさせている。
すると、朔は朱里の脇をすり抜け、その奥のカウンターへと歩み寄り――。
「師匠……会いに来た」
……だよね。やっぱり。
すっと朔に抱きかかえられたナッツは、ひげをピクピクさせながらひどく不満げな顔をしている。
『だから、もっと抱き方を勉強しろ。居心地が悪くてたまらん』
……だそうだ。
「まあまあ。二人とも、せっかく来たんだから、揚げたての『オーク肉のかつサンド』でも食べていかない?」
「……かつサンド!」
パァッ、と朱里の目が輝いた。
……うんうん。やっぱり、お肉の魅力には誰も逆らえないか。
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